鈴鹿、そして、セナ ~その2~2010年11月10日
時に西暦1988年10月30日、日曜日、午前0時。
トランペットの中川俊明さんとともに、鈴鹿へ出発した。
鈴鹿峠を越える際の気温が摂氏2度だった。
午前2時、鈴鹿到着。
サーキットからかなり離れた駐車場に誘導された。
サーキットの正門まで、駐車場からは徒歩である。
午前4時、開門。
当時、ほとんどが自由席である。
(小林可夢偉の5台オーバーテイクで有名になったヘアピンも、
第1、第2コーナーも、この年は自由席)
多くのファンが、それぞれのベスト・スポットを目指して走る。
もちろん我々も走った。
車で走ればあっという間のサーキットも、人の足だとかなりの距離。
しかも、ほとんど真っ暗闇だと言っていい。
第1、第2コーナーを目指したつもりが、
到着したのはバック・ストレートだった。
走り疲れてヘトヘト、しかも汗びっしょりである。
もはや違う場所へ行く気力も体力もなく、その場で寝転がっての仮眠となった。
ものすごい冷え込みだった。
寝袋も用意しておらず、未だ革ジャンも所有しておらず、風通しがすこぶる良い。
私は今もって、この時以上の寒さというのを経験したことがない。
ちなみに、重武装して眠った中川さんは、
横で眠る私が二度と目を覚まさないかもしれないとヒヤヒヤしたそうだ。
幸い凍死はしなかったが、あまりの寒さに、目覚めてから缶コーヒーを15本も飲んだ。
午後1時、待ちに待った決勝レース、スタート。
ポールポジション(予選第1位)を獲得したアイルトン・セナ。
このレースに勝てば、念願のワールドチャンピオン(年間総合優勝)獲得である。
そのプレッシャーもあったのだろうか、スタートをミス。
いきなり中段グループまで沈む。
が、そこから怒濤の追い上げを見せ、
28周目にトップ走行中のアラン・プロストを正面ストレート前でオーバーテイク!
我々も、その数秒後のバック・ストレートで黄色のヘルメットのセナが前になったのを目撃。
腹の底から大声援を送った。
小雨の中、セナはそのままトップ・チェッカーを受け、
鈴鹿(日本グランプリ)初勝利、
そして自身初のワールドチャンピオンに輝いた。
ホンダ・エンジンを搭載したマクラーレンMP4/4を駆るアイルトン・セナの優勝。
涙のウィニング・ランに、僕らも涙ながらに手を振った。
最高のグランプリ観戦だった。
アイルトン・セナは、その後、1990年、1991年と、
3度のワールドチャンピオンに輝いた。
が、鈴鹿では勝っていない。
(トップでチェッカー・フラッグを受けたものの、
その後の裁定で失格処分となった悲しいレースもあった)
セナの次の鈴鹿での勝利は、1993年の日本グランプリである。
それは私にとって4度目の鈴鹿来訪の時だった。