2017年03月
暴発2017年3月8日
第4回 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本ラウンドが開幕した3月7日。
時を同じくして私の花粉症が暴発した。
何の因果だろうか?
出勤途上、ポケット・ティッシュがなくなってゆく。
「プラ」の入物がもったいなくてしようがない。
勤務中も箱ティッシュがどんどんなくなってゆく。
帰路の車中でもポケット・ティッシュが …
京都に帰り着いて、ドラッグストアで堪らなく箱ティッシュを買いました。
とにかくその場を凌ぎたいので、1箱でいいのですが、5箱セットばかり。
「鼻セレブ」だけが1箱売りしていたので、もったいないかと思ったけどそれを買いました。
いつもはレジ袋をもらわないのですが、
箱ティッシュを入れる手提げ、兼、ゴミ袋としてもらっちゃいました。
当分の間、格闘の日々が続きます。
私、このところ合奏中に「シャショウ」という言葉をよく発します。
「車掌」でも「社章」でもありません。
「捨象」です。
「広辞苑」で「捨象」を引いてみますと、
「抽象」を見よ、となります。
すると、
「ある面を抜き出す、つまり抽出する」
ということは、
「他の面を捨てる」
ということになります。
イコール、捨象。
実は、ちゃんと意味も知らず、もちろん漢字も知らずに発言していました。
ただ、意味からして「捨象」という漢字になる筈だとは思っていました。
合っていてホッとした。。。
※※※
ピアノを習っていた頃、
左手を捨てて右手だけで弾く、
右手を捨てて左手だけで弾く、
楽譜を見ることを捨てて手元だけを見て弾く、
手元を見ることを捨てて楽譜だけを見て弾く、
見ることを捨てて目を瞑って弾く。
いろんな「捨象」をしてみるように教えられたものです。
合奏で、
旋律だけを抜きだす、
対旋律だけを抜きだす、
リズム・セクションだけを抜きだす、
というのも「捨象」ですな。
最近よくやるのは、
リズムを捨てて音程だけを確かめるという「捨象」。
それが確かめられてから楽譜通りに、
つまりリズムに乗せてやるという練習を積みます。
まわりくどいようですが、
音程もリズムもと欲張るよりも、
圧倒的に仕上がりが違います。
3月3日(金)は、
ピッコロ × 1
フルート × 1
B♭クラリネット × 8(うち一人は見学の方)
アルト・サックス × 1
トランペット × 3
ホルン × 5
トロンボーン × 3
パーカッション × 2
そして私の計25人で合奏を行いました。
本日のメインは、
テューバとウインドオーケストラの協奏曲である『キャリオカ2』。
ソリストの K さんが仕事の都合で来ることができないので、
ひたすらにバックの稽古です。
実は、それをやりたかったのです。
ソリストはできてますけど、
バックに不安・大ですから。
毎度の如く、しつこくさらいました。
本番に向けて、意味のある稽古になったと信じています。
『彼らが本気で編むときは、』を観ました。
どういうタイアップなのか知りませんが、
本編との繋がりが全く感じられない曲がエンドロールで流されることがあります。
が、この映画ではそれがありませんでした。
本編中で何度も使われたマクダウェル作曲の『野ばらに寄せて』が、
エンドロールでも印象的に用いられました。
せせらぎでもフィリップ・スパークの編曲版を演奏したことがある『野ばらに寄せて』。
しっとりしていていいなぁと思いました。
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