シャショウ2017年3月4日

私、このところ合奏中に「シャショウ」という言葉をよく発します。
「車掌」でも「社章」でもありません。
「捨象」です。

「広辞苑」で「捨象」を引いてみますと、
「抽象」を見よ、となります。

すると、
「ある面を抜き出す、つまり抽出する」
ということは、
「他の面を捨てる」
ということになります。

イコール、捨象。

実は、ちゃんと意味も知らず、もちろん漢字も知らずに発言していました。
ただ、意味からして「捨象」という漢字になる筈だとは思っていました。

合っていてホッとした。。。

※※※

ピアノを習っていた頃、
左手を捨てて右手だけで弾く、
右手を捨てて左手だけで弾く、
楽譜を見ることを捨てて手元だけを見て弾く、
手元を見ることを捨てて楽譜だけを見て弾く、
見ることを捨てて目を瞑って弾く。
いろんな「捨象」をしてみるように教えられたものです。

合奏で、
旋律だけを抜きだす、
対旋律だけを抜きだす、
リズム・セクションだけを抜きだす、
というのも「捨象」ですな。

最近よくやるのは、
リズムを捨てて音程だけを確かめるという「捨象」。
それが確かめられてから楽譜通りに、
つまりリズムに乗せてやるという練習を積みます。

まわりくどいようですが、
音程もリズムもと欲張るよりも、
圧倒的に仕上がりが違います。