雲に届いたか2019年9月1日

8月30日(金)は、

ピッコロ × 1
フルート × 1
E♭クラリネット × 1
B♭クラリネット × 6
アルト・クラリネット × 1
バス・クラリネット × 1
トランペット × 4
ホルン × 4
ユーフォニアム × 1
テューバ × 1
パーカッション × 3(見学1含む)

そして私の計25人で合奏しました。

※※※

高校時代の2期下の後輩、N が亡くなりました。

高校卒業後、
N は私鉄の車掌になり、
そして運転士になりました。
彼の乗務する電車に乗ったことが何度かあります。

その後、N は広報のセクションに異動しました。
今から二十数年前、
私がラジオのディレクターをしていた頃には、
仕事での交流もありました。

お互いの務める会社がご近所であるにもかかわらず、
それ以来出会うことがなくなっていました。

梅田駅で久しぶりに N を見掛けたのは、
今から3~4年前の朝だったと思います。
出勤時でした。
奥さんに支えられながら、
杖をついて会社に向かう姿が痛々しく、
私は声を掛けることすら出来ませんでした。

が、ある日、遂に意を決して、「おはよう」の挨拶をしました。
「病気なのか?」と尋ねると、
「そうです」と返しました。
何の病気なのかまで問うことが怖くて出来ませんでした。

それからしょっちゅう朝の出勤時に会いました。
N と、必ず寄り添っておられる奥さんに「おはようございます」を言い、
お二人が「おはようございます」を返してくれる、
ただそれだけの営みを何度も繰り返しました。

N の姿を見続けて、
映画バカの私は、
『博士と彼女のセオリー』のホーキング博士の症状とよく似ていると感じていました。
会うたびに少しずつ歩き辛さが増しているのが分かりました。

それでもやはり「おはよう」しか声掛けしない日々が続きました。

ある日、
N を会社に送り届けて京都へ帰る奥さんの姿を見掛けました。
意を決して N の病名を尋ねようかどうしようか悩みました。
が、声を掛けることする出来ず見送りました。

奥さんが一人でおられるところと出くわしたのはこの一回きりです。

結局、N の病気が何なのか分からず仕舞いです。

が、それが分かったからといって、どうなるのでしょうか。
N や奥さんに面と向かって病名を聞いてどうなるのでしょうか。

※※※

高校の同期から N が亡くなったと知らされました。
遂にその日が来てしまったのかと思いました。

練習日ではありますが、
東向日で途中下車してお通夜に参列させていただきました。

お経を聴きながら、
車椅子を使わないと難しい状態だと思われるのに、
杖をつきながらあくまでも歩こうとした N は凄いな、
彼に寄り添い支え続けた奥さんは偉いな、
働き続けることが出来るようにサポートした電鉄会社は太っ腹やな。
いろんなことが思われました。

お通夜が終わって四条大宮のスタジオに駆けつけたとき、
合奏のための残り時間は約10分になっていました。

この日のラスト・メニューは『坂の上の雲』のテーマ音楽『 Stand Alone 』です。

いつもは合奏前半に組み込んでいたこの曲を合奏のラストにしたのはこの日だけ。
トランペットの Y さんの申し出によりそうしたのでした。
神の配材としか思えません。

『 Stand Alone 』が N に届くよう念じて、
この日の練習を終えました。