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サイクリングロード、完歩2020年10月16日

10月15日。
いい天気だし、暑くもなく寒くもなくの絶好のコンディションなので、
宿願であった京都八幡木津自転車道線の制覇に向かいました。

嵐山から木津までの45キロ。
桂川沿いに下ってゆき、
八幡の三川合流点からは木津川沿いを遡っていくサイクリングロード。
アルキニストにとっても一度は歩いてみたい道です。

時速5キロでノンストップで歩いたとして9時間。
事前調査で街灯がないことが分かっていますから、
歩くことが出来るのは日中だけです。
一回で歩ききるのはちょっと無謀なので、
何回かに小分けして歩くことにしました。

その第一回は2016年の10月16日でした。
スタートはなぜか淀の宮前橋。
そこから嵐山までの18キロでした。

二回目は3年も開いてしまった2019年の10月28日。
淀の宮前橋から八幡の御幸橋(三川合流点)まで。

三回目はその二日後の10月30日。
八幡の御幸橋から京田辺の山城大橋まで。
この二日間で15キロ。

残り12キロ。
京田辺の山城大橋から、
木津の泉大橋までが第四回の目標でした。

山城大橋や木津川の流れを左手に望みながらスタート。

しばらく進んで右後ろを振り返ると、
我が母校、
同志社大学田辺キャンパスが遠望出来ました。
あまりいい写真じゃないのですが、
母校なので載せちゃいます。

それにしても、広々とした風景ですな。
今思えば、素晴らしい環境の中で勉強出来た筈です。
最高の時間と空間を随分浪費してしまったなぁと、
若き日の反省が胸をよぎります。

土手の上のサイクリングロードをただひたすら歩くのが基本です。
が、ときおり土手から外れたルートを辿ることもあります。
これまで、勝手な思い込みでルートを逸れてしまうことが何度もありました。
その反省の上に、ルートを間違えないように気を付けて歩きます。

大きな橋が架かっている地点では、
サイクリングロードは橋の下を潜ることが殆どです。
土手を挟んで川の反対側を通ることもあれば、
河川敷に降りることもあります。

その河川敷で、
背丈が3メートルはあろうかというお化けススキ群と出くわしました。

この写真だと大きさが伝わりにくいかもしれませんが、
現場では風に揺られて動きまくるし、
ザワザワ言いよるしで、
怪獣に襲われそうな怖さがありました。

山城大橋をスタートしたのが午前9時55分。
泉大橋にはお昼の12時20分頃に到着しました。
歩ききったなぁ~。

踏み止まる2020年10月14日

本を年間100冊も読むことは出来ませんが、
映画を年間100本観ることは楽勝ですな。

私が「人生いろいろ」を考える素地としては、
間違いなく映画がベースとなっています。

先日、『望み』という映画を観ました。
堤真一さんの演技を拝見しながら、
踏み止まることの大切さを感じ取りました。

少人数でも何とかなる2020年10月9日

10月9日(金)は、
久しぶりに調を変えて基本練習しました。
E♭ の音階を練習したので、
コラールも『コラール in E♭ 』でした。

楽曲練習は引き続き『トリトン・デュアリティ』。

今どきの合奏練習は、
人が少ない方がいいと言われるので、
何だか妙な感じです。

が、出来ない訳ではありません。

楽団草創期なんか今と同じで、
一ケタの人数で合奏したりしたもんです。

当時は辛いなぁと思ったものですが、
歳をとると何ともありません。
少人数でのやり方は、
若い頃に叩き込まれてますので。

読書の秋2020年10月9日

秋の夜長の読書などと申しますが、
眠くて眠くて私には無理。
早寝早起きして、
早朝読書と相成ります。

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』という映画で、
ジョージ・オーウェルの『動物農場』の一節が紹介されたのをきっかけに、
まず『動物農場』を読みました。

オーウェルと言えば『1984年』。
これも読みました。

全体主義のディストピアが描かれており、
暗澹たる気分になりました。
時にこういう書物と向き合うのも大切なんですが。

B♭ の音は「ファ」に感じた2020年10月5日

「京都こども文化会館ありがとうコンサート」が終わり、
来年のせせらぎコンサートを目指した練習を再開しました。

会場探しはこれからですし、
プログラムにしても決まっていません。
が、今年7月に演奏する筈だった『トリトン・デュアリティ』はプログラムされると思います。
レンタル譜ですし、
コロナ禍による1年のレンタル延長が可能となった楽譜ですから、
選ばれない筈がないと思います。

3月で集合を打ち切った時に練習していたのが『トリトン・デュアリティ』。
あまりに難しく、いくら練習してもし足りないくらい。
ちょうど今、時間があるので、重点的に取り組んでいます。

「ありがとうコンサート」を目指していた9月は、
毎回7曲も合わせていたので
みんなで基本練習する時間が取れませんでした。
かろうじて『コラール in B♭ 』は練習したのですが、
音階練習はしませんでした。

先週の金曜日、久しぶりの音階練習に取り組みました。
吹奏楽にとって基本中の基本、B♭ の音階です。

最初、当然ながら B♭ の調の主音である B♭ を鳴らしてもらうのですが、
私はそれが「ド」ではなくて「ファ」と感じました。
ホルンは F 管の楽器です。
F が「ド」であるホルン吹きにとって、
B♭ は「ファ」なのです。

毎週のように違う調で音階練習していた頃は、
どの調も「ドレミファソラシド」と感じていたのですが、
久しぶりの音階練習が B♭ から始まると、
「ファソラシ♭ドレミファ」と聞こえたのでした。

ホルン吹きだった頃の感覚が蘇ってきたのでしょうか。
不思議な感じでした。

『浅田家!』は『おくりびと』以来だった2020年10月4日

予告篇と、実際の映画とで、印象が全く違う。
言葉は悪いけど「騙された」と思うこと、ちょくちょくあります。

『おくりびと』は、予告篇の期待を大きく上回る映画でした。
もう12年も前の映画ですな。

先週観た『浅田家!』。
予告篇で高まった期待を絶対に裏切らない映画に違いないと思っていたのですが、
正にその通りでした。
『おくりびと』と同じく、
期待を大きく上回る作品だったのです。

「浅田」という苗字。
浅からぬ縁があります。

A さんは、
通っていた中学校は別々なんですが、
中学時代に知り合いました。
合同バンドの練習だったと思います。

同じベクトルで高校に進学した俺たちは、
同じ高校の吹奏楽部の戦友となりました。

A さん、つまり、もうバレバレの浅田君は、
テューバからバスーンにコンバート。
当時はいろいろありましたが、
今や押しも押されもしないバスーン奏者。
早く京都に帰ってきてほしいと願っています。

映画の話に戻ります。

写真家・浅田政志さんの半生を描いています。
彼が撮るのは家族写真。
思わず「クスッ」と笑いたくなるような、
微笑ましい写真がいっぱいです。

僕は植田正治さんの「演出写真」を思い出しました。
独特な構図で家族の写真を撮った植田正治さんの写真美術館にも行ったことがあります。
何だかとても心温まる印象なんですな。

浅田政志さんが植田正治さんを意識していたのかどうかは分かりませんが、
私は、
二人の写真には相通ずるものがあると感じました。

主演のニノが素晴らしかったです。
その彼女、
ゆくゆくは結婚する役どころの黒木華さんも素晴らしかった。
思えばこのお二人、
『母と暮らせば』でも共演してましたね。

黒木華さんは、
先日観た『甘いお酒でうがい』の演技も素晴らしく、
何だかいっぱい賞をとっちゃいそうな勢いだと感じます。

パンフレットがちょいとお高めでしたが、
ほぼ写真集という態ですから、
仕方ありませんな。
こんなに楽しいパンフも珍しいと思います。

そして監督は、
『油を沸かすほどの熱い愛』の中野量太さんでした。
熱い映画でない訳がない!

京都こども文化会館ありがとうコンサート(7)2020年10月4日

5曲目『宇宙戦艦ヤマト』を演奏した後はトランペットの K さんのコメント。
団員数が少なかった頃は、
「もう今日は誰も来そうもないし、呑みにいこか」っていうの、よくあったね。

6曲目はそんな時代、
1988年の第3回せせらぎコンサートで演奏した『オーメンズ・オブ・ラブ』。
途中から涙腺が危なくなってきました。

第3回せせらぎコンサートの第1部は、
現在、名古屋フィルで首席フルート奏者を務めておられる、
中学の先輩 F さんの指揮。
私は第2部の指揮を務めさせていただき、
それが指揮者デビューでした。

大学の2年生だった私は、
人生で一番馬鹿で、苦しい毎日を送っていました。
他の誰のせいでもなく、
自分自身で招いた馬鹿さ加減のせいで、
自分で自分を苦しめていたのです。
そして周囲の皆さんにも多大なご迷惑をお掛けしていました。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

第3回せせらぎコンサートの取りだった『オーメンズ・オブ・ラブ』は、
今回、どうしても演奏したかった楽曲でした。

ユーフォニアム M さん、
トロンボーン T さんのコメント紹介の後、
ラスト・プログラム『ニュー・シネマ・パラダイス』演奏の前、
私の挨拶となりました。

何度も何度も推敲し、
何度も何度もしゃべる練習をしましたが、
泣かずに出来たことは一回もありませんでした。
ここに全文を掲載します。

※※※

いつもの「せせらぎ」ですと、『オーメンズ・オブ・ラブ』で賑やかに終わるところですが、今日は『ニュー・シネマ・パラダイス』で締めくくりたいと思います。

今年の7月に亡くなったエンニオ・モリコーネが音楽を担当した、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』。
シチリア島の、小さな町の、唯一の娯楽の場所と言ってもいい映画館、パラダイス劇場。
その映写技師・アルフレードと、少年トトの友情を描いています。
大人になって町を出たトトは、映画監督として成功します。
それから30年、アルフレードが亡くなったという知らせを受けて、トトは初めて故郷に帰ります。
彼がそこで出会ったのは、慣れ親しんだパラダイス劇場の、閉館後の姿でした。

こども文化会館で演奏させていただくラストの楽曲は、『ニュー・シネマ・パラダイス』をおいて他にあり得ない。
その思いで選曲いたしました。

僕たちのパラダイス劇場、こども文化会館。
ありがとう、そして、さようなら。

※※※

『ニュー・シネマ・パラダイス』演奏後、
舞台の衣川さんから猛烈なカーテンコールをいただき、
K さん作曲の『コラール in B♭』でアンコールに応えました。

京都こども文化会館ありがとうコンサート(6)2020年10月4日

一人一人が思い思いの昼休みを過ごした後、午後2時、開演。
懐かしい響きのブザーを聴いたら、いざ、本番。
「京都こども文化会館ありがとうコンサート」は『威風堂々第1番』で幕を開けました。

司会はクラリネット奏者の A さん。
司会原稿はテューバ奏者 兼 副指揮者の K さんが、
ベテラン団員にインタビューして構成してくれました。

2曲目の『花は咲く』の後で、
コンサートマスター U さんのコメントが紹介されました。
こども文化会館は京都市電・北野線の車庫跡に建設されたものです。
ホール玄関の外には、市電の記念レリーフがあります。

また、名物のからくり時計も。

閉館となってもこれらは残してほしいとのコメントでした。

3曲目の『オリエント急行』を演奏した後、約10分の休憩。
客席には20~30人程度の関係者の方々がいらっしゃいました。
奏者が客席へ降りて談笑したり、
奏者のご家族が逆に舞台上に上がって来られたりと、
普段の本番では考えられないことが出来たのも、
「ありがとうコンサート」ならではでした。

ユーフォニアムの F さん、
サックスの S さんのコメントが紹介された後、
4曲目の『恋のカーニバル』を演奏しました。

次のコメントはパーカッション・リーダー K さん。
1989年の5楽団合同演奏会「音楽の病」でステージマネージャーをしてくれた時の思い出を語ってくれました。

そもそも、第4回せせらぎコンサートを開催するために、
当時まだ「堀川吹奏楽団」と称した「せせらぎ」がこども文化会館を借りたのでした。
にもかかわらず、
団員数不足で「せせコン」を開けそうもない。
そんなこんなで、当時、吹奏楽連盟の行事に合同出演することの多かった4つの楽団に声を掛け、
合同演奏会をすることにしたのです。
その演奏会の名前が「音楽の病」。
音楽という病に憑りつかれた者たちの「病膏肓に入る」音楽会、
そんな思いを込めました。

ただ、私たちは大きな間違いを犯していました。
こども文化会館に申し入れず、勝手にことを進めていたのです。
主催者が「堀川吹奏楽団」から「5楽団合同バンド」に変更となっている訳ですから、
きっとお堅いことを言えば「堀川吹奏楽団」としての予約を一旦返上し、
「5楽団合同バンド」で予約し直さないといけなかったのだと思います。
若い僕らはそんなことも分かっていませんでした。

会館からはこっぴどく叱られました。
が、予約取消となることもなく、
「音楽の病」を開催することが出来たのです。
きっと、
「こいつら若いし、しゃあないな、今回はまあ大目に見といたろか」
と思ってくださったのだと思います。

「音楽の病」は2部構成。
第1部はクラッシク、第2部はポップスというお馴染みの形。
第2部の指揮を私が務めました。

小なりとは言え、何せ5つも楽団が集まっています。
人数もさることながら、タレントが豊富。
急・緩・急で構成した6曲を、
司会なしの音楽のみで押しまくるというプログラムを組んだのでした。

その取りが『ローマの松』から ” アッピア街道の松 “。
金管楽器奏者が沢山いてるんやから、
バンダ(別働隊)を客席の後ろに配置。
ドラムを叩くことが出来る人が3人もいるんやから、
舞台の下手、上手、そして雛壇の上に配置。
バンダとトリプル・ドラムで圧倒的な音響空間を作ろうとしたのでした。
(ポップスでもなく、ドラムの入る楽曲でもないのに!)

演奏後、割れんばかりの拍手が鳴り響き、
緞帳を降ろしてもカーテンコールが鳴りやまないという、
凄いことになったのでした。

予定していなかったアンコールを急きょやることになり、
” アッピア街道 ” の途中からもう一度やることにしました。
そんな大わらわの舞台裏を取り仕切ってくれたのが K さん。
あの時はホントに苦労をお掛けしました。
会館の皆さんも、
急なお願いを聞いてくださって、
本当にありがとうございました。

一度降ろした緞帳を再び上げてもらう経験、
後にも先にもこの一度だけです。

京都こども文化会館ありがとうコンサート(5)2020年10月4日

舞台セッティングがシンプルなら、
色付き照明もなし、
マイクを通して音の増強を図る演出もなし。
実にシンプルで、広々とした舞台。

その気になれば9時30分や10時からでもリハーサルを始めることが出来たかも知れません。
が、プレイヤーの皆さんの練習量が絶対的に不足しています。
朝の自由時間をたっぷりめにし、
じっくりウォーミングアップしてもらうことにしました。

リハーサル開始は「せせコン」と同じ10時30分。
ただし中身はいつもの「せせコン」とは違います。
【ゲネプロ】ではなく【リハーサル】なのです。

いつもの「せせコン」だと、
午前中のこの時間は会館の音響さん・照明さん等と合わせることがメインで、
私たちの練習ではないというスタンス。
それまでの練習を踏まえて、
あくまでも本番と同じことをする。
イコール、ゲネプロなのです。

でも今回は、
会館側と合わせなければならないことが殆どありません。
この日が初めての参加という方もいらっしゃいます。
長年、京都こども文化会館をお借りしてきましたが、
舞台を借りての純然たる練習はこれが初めてでした。

まずは呼吸合わせ。
テューバ奏者 兼 副指揮者 K さん作曲の『コラール in B♭ 』。

12ある長調。
楽団の成長のためには、
それぞれの調に即したコラールが必要だと考えました。
世の中を探せば見つかるのかもしれませんが、
せせらぎオリジナルの方が面白いそうだなと考えて、
K さんに作曲をお願いしたのでした。
『コラール in B♭ 』はその第一作。

調を変えて、既に8曲も作ってもらっています。
が、ここのところはリハビリ期間でもあったので、
基本中の基本である『コラール in B♭ 』ばかり練習していました。

ここからは演目7曲の練習。

いつもなら一曲通して、
会館側との申し合わせ事項に問題なければ次の曲へ。
もしもズレが生じたらその箇所だけを抜きだして音を出す。
そんな流れですが、
前述の通り、この日は私たちの練習です。

もちろん、本番当日の練習のし過ぎは良くないので、
さっと通して終わることが出来る曲は通しました。

が、やっぱり練習をちゃんとしとかんたマズいな、という曲は、
しっかり小返し。
このような曲は逆に通し稽古を回避し、
体力の温存を図りました。

『威風堂々第1番』
『オリエント急行』
『ニュー・シネマ・パラダイス』
この3曲にはたっぷり時間を使いました。

リハーサルは2時間の予定。
特に綿密な時間割を作った訳ではありませんが、
やってみたら1時間50分。
限られた時間内での練習を何年も積み重ねると、
不思議とこんなことが出来るようになっていました。

京都こども文化会館ありがとうコンサート(4)2020年9月29日

午前9時、入場。
いわゆる「密」を避けるため、
楽屋を使うのは女性のみとしました。
男性はロビーや客席を楽屋の代わりとしました。
何せ無観客ですから。

舞台上のセッティングもいつもと全く違います。

まず、天板を除いて反響板は使いません。
客席から見て正面、出演者の背中にある正板なし。
舞台を囲むような形となる側板なし。
(天板には上からの照明器具が組み込まれているようなので、
使用することを会館側から勧められました)

また、雛壇も組みませんでした。

反響板に囲まれ、
雛壇で座る位置が固定化すると、
どうしても「密」になります。

今回の「ありがとうコンサート」は、
何よりも京都こども文化会館の舞台を踏むことが大切です。
出来るだけ安全に配慮し、
プレイヤーの皆さんが安心して舞台に上がることが出来るのが一番。
音響効果に関することは二の次でした。

いつもは背が低めの指揮台を用意してもらいます。
が、今回は雛壇がないので、
舞台奥の方に座るプレイヤーの方々にも指揮者を見てもらい易いように、
高めの指揮台にしてもらいました。

一年に一回しか「せせコン」はないものの、
不思議と体が指揮台の高さを覚えているものです。
昇り降りで何度もこけそうになりました。

例年、頑張ってスコアを暗譜しますが、
今回は覚える自信がありませんでした。
もしかすると本番途中で曲が止まってしまう事態も想定されました。
曲の途中からやり直すとなったときに、
スコアがないと「どこから」が指示できません。
(暗譜したとしても、さすがにリハーサル記号までは覚えていません)
久しぶりに指揮者用譜面台を使わせてもらいました。

そんなこんなで、
舞台セッティングはこのようになりました。

お昼休みに客席の最後列から撮った写真がこちら。