みちのく一人旅

みちのく一人旅~その1~2011年11月22日

11月8日(火) 天気:晴れ 歩数:18276

これまで、こんなに一所懸命準備したことがあっただろうか、
旅だけでなく、せせらぎコンサートでも…
だからでしょうか、出発前夜、ドキドキしてあまり眠れませんでした。

「みちのく一人旅」出発当日は、こうして寝不足で明けました。
ですが、ワクワクしています。

京都8:42発のぞみ218号、東京着は11:03。
乗り継ぎはやまびこ259号、東京11:40発、福島13:11着。
福島からは在来線で、4駅先の藤田駅に向かいます。
14:00に福島を発車の仙台行き、藤田着は14:17。

初日の探訪目的地は、阿津賀志山(あつかしやま)防塁です。
1189年、源頼朝の奥州侵略に備え、
藤原泰衡(やすひら)が築いた防塁が残っているのです。
その最寄り駅が藤田駅。
藤田駅からはタクシーで向かうつもりでした。

ここでトラブル発生。
駅前にタクシーがいないのです。
「えっ!」
事前の調査では、そんな小規模な駅とは思えなかったのです。
が、実際には「タクシー乗場」すらない。
駅長さん(と言っても他に駅員さんはいない)にタクシー会社の名刺をもらい、
電話でタクシーを呼び寄せようと試みましたが、
予約が入っていて回せるタクシーはないとのこと。
どないやねん!

初日から予定変更か?
まあ、一人旅だから、誰に気を遣うこともないのだけれど、
ここまで来たんだから、やっぱり行ってみたいよなぁ~…
ということで、徒歩で向かうことにしました。
片道約5キロ、往復10キロの行程です。

ここで頼りになったのが「マップル」です。
つまり、昭文社の、東北道路地図。
これを買って、会社の後輩に「みちのく一人旅」の予定を話したとき、
散々笑われたものです。
「だって先輩、車の運転、しはりませんやん。
そやのに、道路地図って…」

しかし、マップルは歩くのにだって役立つのであります。
事実、この地図のおかげで、
このあと全く迷わずに「阿津賀志山防塁」にたどり着いたのです。

約50分かかりました。
車がビュンビュン通り、歩道がない道でしたが、
何とか無事たどり着きました。

阿津賀志山防塁

なんだか、どこかで見たことのある風景だな…
そう、大山崎によく似た地勢なのです。
天王山と男山に囲まれた狭い平地の真ん中を淀川が流れる、
あの大山崎です。
阿津賀志山とその向かいの山に囲まれた狭い平地に阿武隈川が流れるこの地は、
大山崎と同じく、
大軍が通過するにはここしかない、
という交通の要衝でした。

豊臣秀吉と明智光秀が戦った天王山の合戦はとても有名ですが、
ここ、阿津賀志山でも、
源氏の大軍と奥州藤原軍が激突したのでした。
源軍を防ごうとした防塁が残っていたのです。
すごく感慨深いです。

探訪を終え、藤田駅に戻り始めたのは、だいたい15:40。
西日が、山の端にかかりそうになっています。
そう、ここは東北の地なのでした。
日暮れが早い。
急ぎ足で戻りました。

藤田駅から福島駅に戻り、
福島交通飯坂(いいざか)線に乗り換え、
飯坂温泉に着いたのが18時頃。
既に真っ暗になっていました。
震災で壊れた部屋の工事もしておられましたが、
「なかむらや」さんが温かく迎えてくれました。

泊めてくれた部屋は、なんと10畳×3部屋=30畳!
さすがに30畳ぶち抜きは寒いので、
10畳の襖は閉めました。
それでも20畳占有、ええんかいな?

旅の準備2011年11月16日

7月3日、『第24回せせらぎコンサート』終了。
音楽面では9月に2つの演奏会を控え、
仕事上はアナログ放送終了と、その後片付けで大忙しの中、
東北地方探訪の旅の準備に取り掛かりました。

まずは高橋克彦さん著『炎立つ(ほむらたつ)』原作を読み直し、
探訪したいスポットをピックアップ。
これだけで9月半ばまでかかりました。

※※※

1051年、前九年合戦勃発(~1062年)。
日本史的に言えば、
陸奥(ざっくりいって岩手県)の豪族・安倍頼時(よりとき)の叛乱となるだろうが、
安倍氏からすれば、源頼義(よりよし)の奥州侵略戦争だった。

前九年合戦の最中(停戦中)、
源頼義の旗下にあった藤原経清(つねきよ)と、
安倍頼時の娘・結有(ゆう。小説上つけられた名前と思われる)が結婚。
二人の間に生まれたのが、のちの奥州藤原氏初代・藤原清衡(きよひら)である。

藤原経清は源頼義の真意を憎み、安倍軍に加わる。
これは源氏からすれば裏切り行為だった。

1062年、源軍は出羽(ざっくりいって秋田県)の清原氏の援軍により、
厨川(くりやがわ)柵の戦い(現・盛岡市)で安倍氏を滅ぼす。
捕えられた藤原経清は、敢えて刃こぼれさせた刀で斬首された。

源頼義は、思惑に反し朝廷に干されてしまう。
武士の台頭が恐れられたからだ。
陸奥と出羽は清原氏の支配となった。

結有は清原武貞と再婚させられる。
連れ子の藤原清衡は、敵の中で成長していくこととなる。

1083年、後三年合戦勃発(~1087年)。
ざっくりいうと、清原氏の内紛である。

この戦いの最中、清衡は妻子を殺される。
が、なんと源頼義の息子・義家(よしいえ)の協力を得、
清衡は最後まで生き残る。

源義家にも陸奥を我が物に、という野望があったはずだが、
父・頼義と同じく、朝廷から遠ざけられてしまう。
1087年、安倍氏と清原氏の遺産を受け継いだ藤原清衡が最後の勝者となった。
1189年の源頼朝の奥州侵略まで、
約100年に及ぶ平泉を中心とした楽土が形成される。

奥州藤原氏初代・藤原清衡が再興したのが中尊寺。
その落慶供養で、清衡は、
戦の犠牲となった人々を敵も味方もなく弔い、
さらには人間だけでなく、
戦の中で殺された鳥獣までも弔ったのである。

二代・藤原基衡(もとひら)の代表的建造物は毛越寺(もうつうじ)。
その妻は安倍頼時の孫で、観自在王院を開いた。

三代・藤原秀衡(ひでひら)は無量光院を立てた。
宇治の平等院鳳凰堂を模したといわれるが、
それよりも一回り大きかったらしい。

四代・泰衡(やすひら)のとき、源頼朝の侵略を受ける。
源氏にとり、奥州は宿怨の地なのだ。
阿津賀志山(あつかしやま。現・福島県国見町)で決戦するも敗退。
奥州藤原氏は滅亡する。

(以上、ざっくり、でございました)

※※※

平泉へ行くのは何の心配もありません。
世界遺産となった大観光地ですから、
迷わずにたどり着けるはずです。

問題は、今や史跡となっている場所。
一体どこなのか、特定する必要があります。
そのために関連史書7冊を約1か月で読破。
地図も4種類購入、
インターネットでも関連史料を調べ、
白地図に探訪スポットを書き込んでいきました。

時刻表を駆使し具体的な行動を固めていった結果、
『みちのく一人旅』の計画が出来上がりました。
仕事の調整、宿の予約もでき、
11月8日から11月14日までの6泊7日です。
せせらぎの練習も1回お休みさせていただきました。

乗車券は京都⇔十和田南(花輪線)の往復。
ポイント毎に途中下車を繰り返します。

では、旅立ちます。

勤続20年2011年11月15日

社会人となって、はや20年。
現在勤めている会社、よく辞めずに済んだものだと思います。
今日に至るまで、人事と喧嘩したこともあったし、
会社から処罰を食らったこともありました。

我が社には、勤続20年で、特別休暇5日取得というご褒美があります。
時短休日+公休日+特別休暇5日+時短休日+公休日=9連休!
ただし、当該年度中に消化しなければなりません。

先輩方のお話を聞いていると、
9連休もらえるものの、どう使ったらいいか分からん、
という方が多いようです。
中には、年度末にとりあえず取得したものの、
家でブラブラしていたという方も。
ワーカホリックが多いのでしょうか。

僕は、そんなん絶対嫌や、と思いました。

※※※

『冬のソナタ』のロケ地巡りに行く
韓流ドラマはまりまくりおばちゃんの気持ち、
実はよく分かります。

1993年のNHK大河ドラマ『炎立つ(ほむらたつ)』。
その歴史の舞台を訪ねてみたいとずっと思い続けてきました。
前九年合戦、後三年合戦、そして奥州藤原氏の興亡という、
東北地方を舞台にした140年に渡る壮大な物語です。
世界の渡辺謙主演の『炎立つ』、
歴代の大河ドラマの中で、私が最もはまったドラマでした。

お恥ずかしながら、私が『炎立つ』にはまったのには、
もうひとつ理由があります。
父から、「これは我が家のご先祖様の物語である」と教えられたことです。
家系図も何も残っておらず、
代々口承されてきたそうなのですが、
たどりたどると我が家のルーツは東北に行き着くのだそうです。

枝分かれした子孫が最も多いのが藤原氏だそうです。。
可能性がゼロ、ではないでしょう。
とはいうものの、口承だけで証拠となるものがない。
『炎立つ』放映中、父は癌を患っていることが判明し、程なく他界。
確かめる術がないのですが、
何か運命的なものを感じ、
私は父の言葉を信じることにしました。
ただし、きっと直系ではなく、
遠い遠い親戚や、家来の一人だったと思うんですが…

映画風に言うと「構想18年」の東北地方探訪の旅。
勤続20年特別休暇を利用して実行しようと決意したのが、
去年の終わりか今年の初め頃だったと思います。

※※※

3月11日、東日本大震災発災。
私は体の一部を持っていかれたような痛みを感じました。
この稿も約一ヶ月書くことができなくなりました。

当初、東北地方探訪の旅などもってのほか、と考えていました。
が、2ヶ月、3ヶ月と経つうちに、是非の程は分かりませんが、
今こそ訪ねるべきなのではないかと思えてきました。

7月の『せせらぎコンサート』終了後、
いよいよ本格的な準備に入ります。