2012年01月
東北のじっちゃん、ばっちゃんが言っていた通り、
今冬は厳しい寒さとなりましたね。
(「みちのく一人旅~その9~」参照)
歩くの大好きな私をもってしても外出が億劫になる程なので、
録り溜めしてほったらかしになっている映画たちから、
何かピックアップして観てみようと思い立ちました。
時代が進み、テレビ番組の録画があまりに簡単にできるもので、
録りまくってあったのです。
録画リストを見ていて、「アッ」と思いました。
何と、『コンタクト』があるじゃあ~りませんか!
『コンタクト』とは、1997年のアメリカ映画。
監督はロバート・ゼメキス。
主演、ジョディー・フォスター。
以前、私の一番好きな映画は『ある日どこかで』と書きました。
(古いひとりごと「ある日どこかで」参照)
が、よくよく考えると、
『コンタクト』のほうが好きかも知れません。
ジョディー・フォスター演じる天文学者が、
何光年も離れた星、ベガからのメッセージを受信します。
そこには時空を超えてその星へ行くことができる装置の設計図が書かれています。
その装置にジョディー・フォスター自身が乗り込み、
ベガへ行って、帰ってきます。
こう書くと、どこにでもありそうなSFっぽいのですが、
映画はそんなに単純じゃあ~ナイ。
まず、なぜジョディー・フォスターが天文学者になったか。
彼女は、幼少期に母と死別します(もちろん、映画上の設定)。
父は娘を男手ひとつで育てながら、その才能を見出し、
天文学の世界への扉を開いてやります。
が、その父も彼女が10歳になるまでに他界。
彼女は、宇宙に異星人の声を求めつつ、
実は早くして別れた父や母の声を求めていたのだと思います。
ジョディー・フォスターがファーストコンタクトするベガ人は、
彼女の父の姿をしています。
ファーストコンタクトをスムーズにいかせるためにベガ人がとった方法なのですが、
夢にまで見た父との再会のようであり、
胸にグッと来るシーンであります。
ジョディー・フォスターが最初に受け取ったメッセージを、
上司が横取りして自身の手柄として公表します。
装置に最初に乗り込んだのも、実はその上司。
この世の理不尽を感じます。
が、テロリストの妨害により、
装置は破壊され、上司も死んでしまいます。
ジョディー・フォスターが乗り込むのは、
バックアップとして密かに建造されていた、
北海道にある装置でした。
この超時空装置は実に不思議な構造です。
乗組員を乗せたポッドが、
複雑に回転するリングの中を上から下に通過するだけなのです。
実はそのリングの中で空間転移が行われるらしいのですが、
観察している他者からはポッドが落ちたようにしか見えない。
あらゆる記録装置にはノイズしか入っておらず、
ジョディー・フォスターの宇宙旅行には証拠がなく、
誰にも信用してもらえません。
が、恋人だけは彼女のことを強く信じます。
多くの群衆の前で、彼はその想いを宣言します。
人と人との絆の強さを感じさせるシーンでした。
語り始めるときりがありませんので、この辺りで筆を置かせていただきますが、
「私はこの映画が好きだ!」
「私はこの小説が好きだ!」
「私はこの音楽が好きだ!」
っていうのがあると、
人生がとても豊かになると思うんですが、
いかがでしょうか?
もうすぐ、せせらぎ名物「団内発表会」があります。
これは楽員がいろんなアンサンブルを組んで演奏し、
また他のアンサンブルを聴き、
互いに切磋琢磨する会です。
私もホルンを吹いていた頃は金管五重奏に参加しました。
胃に穴が開くのじゃないかと思えるほどの緊張感の中で演奏しました。
厳しいけれども、とてもいい経験になりました。
今回はどんな演奏を聴かせてもらえるでしょうか。
とても楽しみにしています。
私は司会者として参加することになりました。
演奏する皆さんも、また今回は参加しない皆さんも、
寒さが厳しい季節です、
体調管理には充分気をつけてください。
(前回のひとりごと「寒い!!」は訳の分からない締め方でしたが、
本当はプレイヤーの皆さんの健康を祈っていたのです)
今回は出演しない方も、
都合のつく限り是非聴きに来てくださいね。
寒い!!2012年1月27日
皆さん、この猛烈な寒さの中、いかがお過ごしでしょうか?
吹奏楽に携わる私たちにとって最も厳しい季節です。
寒さに加えて空気の乾燥も大敵です。
熱燗で寒さなんか吹っ飛ばしてやりましょう(?)
ああ、精神的に疲れてるな、
と感じたら、
『男はつらいよ』シリーズにどっぷり身を浸すのがイチバン、
と私は思っています。
これまで、どれだけ救われたことか。
そして最近、といってもここ数年のことですが、
心の疲れを癒すラインナップに『かもめ食堂』が加わりました。
この映画が好き、という話をよく耳にしますが、
私にとってもそうです。
先日、BSプレミアムで放送していました。
やっぱり、CMなしで観ることができるのはいいですね!
どっぷり浸らせていただきました。
もう何回も観ているので、内容はほぼ頭に入っています。
それでも、何を表しているのか、
今もってよく分からないシーンがあります。
行方不明だった「もたいまさこ」さんの旅行用トランクが発見された際、
その中には彼女がフィンランドの森で採集した「きのこ」が満載されていたのです。
う~ん、あのシーンには一体どういう意味が込められているのでしょうか…
『天使突抜六丁目』という映画が今年の初めに京都シネマでかかりました。
2012年の初見映画でした。
不思議な不思議な映画でありました。
(この映画の山田雅史監督は、『堀川中立売』という映画も撮っています。
こちらは観ていないのですが、噂では、やっぱり不思議テイストだったそうです)
そんなこんなで「天使突抜町(てんしつきぬけちょう)」散歩に出かけました。
そうなんです、天使突抜町という不思議な名前の町は実在するのです。
烏丸通りと堀川通りの間にある東中筋通り。
五条通りを挟んで北側が「天使突抜一丁目」「天使突抜二丁目」、
南側が「天使突抜三丁目」「天使突抜四丁目」です。
(六丁目は実在しません)
名前は不思議ですが、
町そのものは割と普通な感じでした。
京都の町歩きに慣れた身にとっては、特に。
僕はやっぱり西陣が好きです。
ただ、その西陣との妙な符合がありました。
それは、鍾馗(しょうき)さんを沢山見掛けたことです。
鍾馗さんというのは、京町家の屋根などに乗っている厄除けの人形で、
もしかすると西陣に限ったものではないのかもしれませんが、
僕の経験では、西陣でしか見たことがないくらい、
西陣で見ることが圧倒的に多いのです。
それが天使突抜町にも沢山ありました。
ところで、あちらこちらに「不審者に注意」の貼紙が。
かつて島原を散歩したときも同様の貼紙があり、
なんだか冷たい視線を感じながらブラブラしたものでした。
ただ、天使突抜町は東中筋通りに面した一本道なので、
おそらく怪しまれることなくすんなり歩くことができたと思っています、自分では。
しかし、路地をひとつひとつ覗きまくってたら、
やっぱり冷たい視線にさらされたのでしょうな。
1/15(日)は、久しぶりの日曜練習でした。
なんだか上唇が腫れぼったいので、
休憩時間にお手洗いの鏡で自分の顔を見ると、
まあ、おかしな顔!
(いやまあ、普段からおかしいのですが…)
どこでどうしたのか、全く見当がつきません。
練習後、馴染みの店でカウンターに座った途端、
女将さんに、
「木村さん!どうしはったんですか、その唇!」
言うて大笑いされてしまいました。
(いや、そないに笑わんでも…)
ですから、合奏中も笑うのを堪えていた楽員さん、
きっと多かっただろうと思います。
申し訳ありません、以後気を付けます。
(って言うても、何に気を付ければいいんやろ?
最初は食事の際に誤って唇を噛んでしまったように思っていたけど、
今では違う原因のような気が。
それが全く思い当たらない。
困ったな…)
さて、たまには合奏の感想を書きましょう。
この日は、なんといっても「せせらぎ」の音が元気だと感じました。
とっても難しい『メイン・ストリート・エレクトカル・パレード』の初合奏だったんですが、
とても明るい音が出ているので、
楽曲の雰囲気とピッタリ合っているな、と感じました。
きっちり組み上げるために遅めのテンポで練習しましたが、
遅さを感じさせない明るい音でした。
こういう合奏ができると、
指揮者としての役割が果たせてよかったな、と思い、
おいしいお酒が呑めるのであります。
逆に、感情的になって、合奏中に声を荒げたような日は、
「あぁ、またやってしもうた…」と自己嫌悪に陥り、
酒に慰めを求めてしまうのです。
(なんか、飲酒の理由を正当化してるだけやないか?)
しかし、唇が腫れてるいうのに、
呑んでええのんか?
夜勤明けで、久しぶりに心斎橋のヤマハに行きました。
CDを探すためです。
そのCDは、
アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の『ロシア管弦楽曲集』11枚組。
JEUGIAで探したもののお店にはなく、
またメーカーに問い合わせてもらっても在庫がないので、
どこかの店頭でたまたま見つかるのを待つしかないのです。
えっ、そういうのはネットで探すんやて?
いやはや、アナクロでアナログな私は、
そういうの、やったことないんです。
この「ひとりごと」かて、
戸田君に手取り足取り教えてもろて何とかなってるんやし、
「みちのく一人旅」の写真のアップなんか、
全部戸田君にやってもろたぐらいやし…
で、心斎橋ヤマハでも見つからず(まっ、そんなもんでしょう)、
宇野君率いる「せせらぎ鉄道友の会(通称:鉄っちゃん会)」が、
因島&尾道の旅をしているこの日、
久しぶりに淀屋橋から出町柳まで、京阪電車の特急に乗ることにしたのです。
真ん中らへんに二階建て車両、ダブル・デッカーがある8000系です。
勤務先の部長(←鉄道好き)に、
「ふーさん(←私の勤務先でのあだ名)、ダブル・デッカーの下の階に乗ったことあるか?
おもろいで。
一遍乗ってみ。」
って言われてたのを思い出したのです。
上の階は見晴らしがいいから何度も乗ったことがあるのですが、
下の階は初体験でした。
いやはや、かなりの迫力ですな。
地面に近い分だけスピード感がアップします。
駅を通過するときなど、
ホームが窓に突き刺さるんとちゃうかと思えます。
いやー、おもろかった!
関東の人からしたら、
こんな特急に特別料金無しで乗ることができるのは意外でしょうな。
何せ、関東では私鉄の特急料金なんて、
当たり前ですからな。
JRの普通列車にもグリーン車(当然、別料金がかかる)が繋がってたりするくらいやし。
関西やったら、
なんで近鉄には特急料金があるんや、
って思うんやけど…
『メイン・ストリート・エレクトリカル・パレード』のスコアを受け取り、
「おやっ」と思いました。
楽団印が「ブラス集団せせらぎ」となっていたからです。
いや~、懐かしいなあ…
※※※
「吹奏楽団せせらぎ」は、もともと、
京都市立堀川高校の吹奏楽部OB・OGで結成された「堀川吹奏楽団」でした。
と言っても、堀川高校OB・OG以外も受け入れていました。
(私も堀川高校出身ではありませんし)
今から20年以上前になるでしょうか、
京都府職域・一般吹奏楽連盟の「アンサンブル・コンサート(コンテストではない)」に出ることになりました。
規定の緩やかな、割と何でもありのコンサートだったので、
当時在籍した楽員全員(20人くらいだったかな)で出よう、
指揮者(つまり私)もつけよう、
曲は『展覧会の絵』の終曲『キエフの大きな門』をメンバーに合わせて編曲しよう、
ってようなやりたい放題の企画でした。
その実体は「堀川吹奏楽団」なのですが(何せ全員ですから)、
アン・コンにそのままの名前で出ても面白くないから、
「ブラス集団Z(ゼット)」って名前で出ちゃえ、
って話になりました。
今思えば、木管は無視したネーミングだし(ちゃんと木管プレイヤーもいたのですよ)、
「Z」ってなんやねん!
(おそらく、「究極」か何かをイメージしたのだと思いますが、覚えていません。
「フェアレディZ」から取ったような気もするし…)
演奏は大成功!
アンサンブルや、っていうてるのに、20人規模でやっちゃうんだから、
そりゃあ迫力ありました。
でも、それだけじゃなくて、
割と綿密に練習を積んだのが功を奏したのも確かでした。
そのあと、ついでに楽団名も変更しちゃえ、となりました。
いくら堀川高校のOB・OGに限らないと言っていても、
「堀川吹奏楽団」という名前のままでは門戸を狭めているイメージを払拭できないからでした。
で、最終的に落ち着いたのが「ブラス集団せせらぎ」。
いくらなんでも「Z」はないやろ、
それなら定期演奏会名の「せせらぎ」に変えましょう、ということで落ち着きました。
しかし、「ブラス集団」かておかしいやろ、ということで、
数年後に「吹奏楽団せせらぎ」と改称、現在に至ります。
※※※
ということで、『メイン・ストリート・エレクトリカル・パレード』は、
「ブラス集団せせらぎ」と名乗っていたホンの短い期間に演奏した曲だったのです。
「吹奏楽団せせらぎ」として、どんな演奏になるでしょうか?
ちょいと楽しみでありますな。
1月6日(金)、2012年の初合奏を迎えました。
ニューセンチュリースタジオの床がきれいになり、とてもいい感じ。
響きも良くなったように感じました。
これからも大切に使わせていただこうと思います。
昨年の暮れは、個人的なことながら、仕事がとても忙しく、
まともに合奏に参加できていませんでした。
2011年最終の12月23日は全く参加できず。
12月30日は練習自体がお休みだったので、
1月6日は実に久しぶりの合奏と感じました。
それでも、スタジオ到着はかなり遅くなってしまいましたが。
やっぱり生の音に接するのはいいもんですね。
それだけでリフレッシュされます。
「せせらぎ人語」12月23日の稿で、
『みんなのうたセレクション』にかなり苦労した様子が伺えたので、
ドキドキして合奏に臨んだのですが、
心配していた程のことはなかったですね。
きっと、皆さん、研鑚を積んでおかれたのでしょう。
加えて、前述の通りスタジオがきれい。
とても気持ちのいい新年第一回目でした。
皆様、あけましておめでとうございます。
本年も「吹奏楽団せせらぎ」をよろしくお願い申し上げます。
「ひとりごと」執筆者である私の年越しは夜勤でありました。
思えば大学の5年間(?)、
アルバイト先の喫茶店の年越しオールナイト勤務をやり続けました。
社会人になってからも夜勤をしているのですが、
大晦日泊り・元旦明けとなったのは勤続20年で初めてのことでした。
何だか初心に帰ったようで、清々しい朝です。
(と、少し強がりを言ってみる…)
実はちょこっとヒヤヒヤする場面もあり、
スリリングな夜勤となりました。
「一年の計は元旦にあり」などと申しますが、
スリリングな一年は、ちょいと勘弁してもらいたいな。
いやいや、そんな逃げ腰でいると余計に大変だから、
ここはドーンと構えているのがいいのでしょうな。