2011年12月

2011年2011年12月30日

激動の一年でした。
何をすればいいのか全く分からなくなる、
そんな無力感に覆われる時期もありました。
その心情は今でも大きくは変わっていないのですが、
ひとつ、勇気づけられたことがありました。
ドナルド・キーン先生が、日本人となられたことです。

何があっても思い続ける。
その大切さを学ばせていただきました。

言葉を失う出来事2011年12月24日

みちのく一人旅の間に、
森直子さんという方から喪中欠礼のハガキが届いていた。
「夫 正幸が7月3日に54歳で永眠いたしました」
あまりのショックに言葉を失ってしまった…

森正幸さんは、吹奏楽団せせらぎ創立メンバーのひとりだった。
(当時は堀川吹奏楽団という名前だった)
アレキサンダーのホルンを軽々と吹きこなす先輩。

なぜかホルン奏者が約6人いた創立当時、
しかし棒振り役がいない状況。
そこで団長でもあった森さんに指名され、
私がホルンから指揮者に転進することとなった。
今日の私があるのは森さんのおかげである。

森さんとのつきあいは長くはなかった。
東京に転勤になり、退団せざるを得なかったからだ。
その後、年賀状のやりとりは続けた。
何回かに一回ではあったが、
せせらぎコンサートを聴きに来てくださったこともあった。

7月3日といえば第24回せせらぎコンサートの日だった。
ご冥福をお祈りするばかりである。

みちのく一人旅~その9~2011年12月19日

11月14日(月) 天気:晴れ 歩数:2629

盛岡で2万4千歩歩いたのに、この日はその10分の1。
十和田南駅から京都駅まで、殆んどを列車内で過ごしたせいです。
ゆっくりじっくり北上してきた「みちのく一人旅」、
最終日は一気に帰京です。

大湯温泉・龍門亭千葉旅館から十和田南駅まで送ってくれたタクシーの運転手さんに、
とても興味深い話を伺いました。
カメムシが大量発生する年は、
雪が多くて寒い冬になるのだそうです。
東北地方のじっちゃん、ばあちゃんは、皆そう言うのだそうです。

確かに、
花巻の台温泉・中嶋旅館で、
やたらとカメムシが目につきました。
この運転手さんも、
あちこちでカメムシと出会っているそうです。

お年寄りの皆さんが伝えてきてくださったことには、
不思議と真実が潜んでいるような気がします。
さて、今年の冬はどんな冬になるのでしょうか?

京都⇔十和田南の往復で購入した切符、
前日は十和田南の2駅手前、鹿角花輪(かづのはなわ)までしか使っていません。
が、ご心配なく。
往復割引が効いているので、
これでいいんです。

宿のチェックアウト時刻の都合上、
十和田南駅に着いたのは午前10時過ぎ。
しかし、大館(おおだて)発・盛岡行きの快速「八幡平(はちまんたい)」の十和田南入線は11:23。
十和田南駅はスイッチバックとなっているので、
発車には少し時間がかかって11:28。
兎にも角にも約1時間半待ちです。

スイッチバックとなっている十和田南駅

 

この間、
切符の払い戻しにやってきた青年が一人。
旅行のチラシをやたらと取りに来たおばちゃんが一人。
計2人が駅を訪れただけ。
新幹線の特急券をゆっくりゆっくり作ってくれた駅長さんと二人で、
まったりした時間を過ごしたのでありました。

十和田南駅で快速「八幡平」を降りた乗客、ゼロ。
乗りこんだのは私だけ。
4両編成の先頭車両に乗りましたが、
その車両の乗客は私を含め3人。
究極ですな。

快速「八幡平」

 

十和田南11:28発、花輪線快速「八幡平」、盛岡着13:28。
ぴったし2時間。
盛岡13:41発、東北新幹線はやて・こまち26号、東京着16:08。
所要2時間27分。
東京16:20発、東海道新幹線のぞみ239号、京都着18:41。
所要2時間21分。
時間感覚が変になりそうです。

はやて・こまち26号は、
盛岡を出たあと、仙台まで停まりません。
北上川流域に広がる世界を、ずっと眺め続けました。
新花巻、北上、水沢江刺…
もうすぐ平泉が見える頃だな、と思っていると、
列車は長い長いトンネルに入ってしまいました。
平泉の東方、束稲山(たばしねやま)の地下を新幹線は走るのでした。
トンネルを抜けて右後方を見つめると、
そこには中尊寺の建つ関山(かんざん)の姿が。
どんどん遠ざかり、遂に一ノ関を通過。
ああ、旅は終わったんだな…

※※※

やたらと石やら遺跡やらを巡る旅。
行く先行く先、殆ど誰とも出会わない旅。
自分だけのために設計したスピリチュアルな旅。

こんな「みちのく一人旅」に付き合ってくださった皆さん、
本当にどうもありがとうございました。
「指揮者のひとりごと」というタイトルに甘えて脱線を繰り返してきましたが、
究極の連作をやってしまいました。

親父に教えられた自分のルーツ、確かめられた訳ではありません。
しかし、かつて「奥六郡(おくろくぐん)」と称された岩手県の北上盆地、
そのゆったりした雰囲気が大好きになりました。

「道の奥」だから「陸奥(みちのく)」。
京都や奈良、あるいは東京から見て「東北」。
まつろわぬ民「蝦夷(えみし)」として蔑まれた歴史を持つ地。
今は遠く離れた京都に暮らす身ですが、
私の心は「みちのく」とともにあります。
いえ、「みちのく」とともにありたい、と強く思います。
いつの日か再び訪れます、必ず。

※※※

旅が終わっても全く疲れが出ません。
いや、むしろ旅立つ前よりも元気になりました。
リュックサックを担いで歩き回ったにもかかわらず、
信じられないことに、長年苦しんだ肩こりが消えてしまいました。
コンピュータに向き合うこともなく、
体を使って好き放題歩き回るというのは、
こんなにも健康にいいのですかな。

ただし、仕事に復帰後、
肩こりも復活してしまいましたが。。。

みちのく一人旅~その8~2011年12月12日

11月13日(日) 天気:雨→曇り→晴れ 歩数:11823歩

この日は、遂に雨の中の行動開始となってしまいました。
繋(つなぎ)温泉・四季亭で女将さんに傘を差しかけてもらいながらタクシーに乗り込み、
盛岡駅に向かいます。
駅で脱兎の如くタクシーから飛び降り、
花輪線のホームに向かいます。
何とか傘を使わずにしのぎました。

花輪線とIGRいわて銀河鉄道は、東北本線や新幹線とは別の改札口から入ります。
入口が分からないで迷っている人を散見します。

IGRいわて銀河鉄道・盛岡駅改札口

 

盛岡9:46発、花輪線の大館(おおだて)行き普通で鹿角花輪(かづのはなわ)へ。
花輪線は「十和田八幡平四季彩ライン」という愛称がついています。
岩手山も、安比高原(あっぴこうげん)も、八幡平(はちまんたい)も美しかった!
と書きたいところですが、
雨に煙って近景しか見えませんでした。
とほほ…

しかし、徐々に雨が上がっていき、雲も切れてきました。
11:41、鹿角花輪着。
なんと、駅に降りた途端に日がさしてきました!
自分自身の晴れ男っぷりにビックリです。

秋田県鹿角市。
鹿角花輪駅の近くには「花輪朝市」というのもあり、
いい感じで賑わっています。
(ただし、私が着いたのは昼前なので、朝市の片付けを見ただけですが…)
こじんまりした街ですが、
古くて味わいのある商店があったり、電線は地下化されていたりで、
街歩きするだけで風情があります。

「食堂平和」という町の食堂に飛び込み、
味噌ラーメンを頼みましたら、
これまた花巻で食べた味噌ラーメンに勝るとも劣らず、
旨くて、でかくて、安い!
600円でした。

※※※

そういえば、
前の日の盛岡では、
岩手大学近くの「盛岡食堂」という町の中華料理屋さんに飛び込み、
盛岡名物「じゃじゃ麺」をいただきました。
これまたすごい分量で、さらに「チータンタン」という卵スープもついて、
500円!
どうなっているんでしょうか!

※※※

昼食後に向かったのは、史跡・尾去沢鉱山(おさりざわこうざん)。
1300年の歴史があります。
現在は廃鉱となっていますが、かつては金も産出しました。
そう、ここも平泉の黄金文化を支えた拠点のひとつだったのです。

石切沢通洞坑という、1.7キロの観光坑道が整備されていて、
ひんやりした地下を歩き回ることができます。
観光坑道として整備した際、新たに銅鉱脈が見つかったそうです。
ピッカピカでした。

尾去沢鉱山・石切沢通洞坑

それにしても、坑道内で出会ったのは老夫婦一組だけ。
またもやほとんど一人っきりの探訪です。
採掘の様子を再現した人形がリアルすぎて、
今にも動き出しそうな感じ。
怖い。
もしも落盤事故が起きて、このまま生き埋めになったら…
やたらとチキン・ハートが疼きだし、
足早に出口に向かったのでありました。

次のポイントは、遂に旅の最終目的地となる、
大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)。
「えさし藤原の郷」でアラハバキのご神体のモデルとされたのが、
ここ、大湯環状列石です。

大湯環状列石
実際には、
縄文時代のお墓であり、日時計であり、祭祀の場だったようです。
何にしても不思議な空間であることには違いありません。
世界遺産登録を目指しているそうです。

それにしても、
平泉の毛越寺(もうつうじ)庭園の立石と、
大湯環状列石はそっくり。
と、私には思えます。
何か関連性があるのでしょうか?

そして最後の宿泊地、
大湯温泉・龍門亭千葉旅館にやって来ました。
日本庭園の紅葉が見事で、
トップシーズンの予約が困難らしいのですが、
奇跡的に泊まることができました。

大湯温泉・龍門亭千葉旅館

源泉100%掛け流しの露天風呂からも紅葉を見ることができます。
夜はライトアップしてくれていますし、
朝は霧に佇む紅葉を鑑賞できます。
この上ない贅沢を堪能させていただきました。

みちのく一人旅~その7~2011年12月6日

11月12日(土) 天気:霧→曇り→晴れ→雨 歩数:24196

花巻の朝も霧。
幸い、前夜の雨は上がりました。
花巻温泉郷の台温泉・中嶋旅館が霧の中に幻想的に佇んでいます。

この日は遂に盛岡に入ります。
奥州藤原氏の前身である安倍氏が滅ぼされ、
藤原清衡(きよひら)の父・藤原経清(つねきよ)が刑死させられた
前九年合戦最後の戦場・厨川柵(くりやがわのさく)がある地です。

花巻9:33発、快速はまゆり2号に乗車。
この列車は釜石を7:40に出発、2時間弱かけて花巻に到着したものです。
盛岡着は10:02。
花巻を出発するときはまだ曇っていましたが、
盛岡に着く頃にはすっかり晴れ上がりました。

盛岡駅から厨川柵跡まで約2.5キロ、
北上川沿いの県道を歩きます。
遺跡まであと500メートルの地点に、館坂橋(たてざかばし)というのがあります。
ここから上り坂になっていきます。
厨川柵跡がある場所の地名は、安倍館町(あべたてちょう)。
(近くには前九年という町名もあります)
いわゆる河岸段丘だと思いますが、
北上川を見下ろす丘の上に、遺跡はありました。
(説明板には安倍館遺跡(あべたていせき)と書いてありました)
ここが城柵だったと感じさせるものは濠の跡だけですが、
天然の要害だったことは容易に想像できます。

遺跡内には「安倍館稲荷神社」、
その隣には「貞任(さだとう)宗任(むねとう)神社」がありました。

貞任宗任神社
安倍貞任は安倍頼時亡き後、安倍氏の棟梁となり、
ここ、厨川柵の城主でした。
安倍宗任は、2日前に訪れた鳥海柵の城主で、貞任の弟。
貞任は戦死、宗任は捕われて伊予国に流されました。
紅葉が血のように赤く染まっていました。

遺跡を訪ね歩くと、いつも私一人っきりでしたが、
厨川柵跡では、初めて二人になりました。
50歳代半ばといった感じの男性が先に訪れていたのです。
何か話をしようと思ったのですが、何となく気恥ずかしくて、
「こんにちは」と言ったきりでした…

館坂橋を渡った向こう側を、館向町(たてむかいちょう)といいます。
ここから厨川柵跡を眺めてみます。
北上川を渡り、断崖をよじ登って城柵に取りつくのは、
かなりの困難を極めたと思います。

館向町から2キロ程行くと、高松神社があります。
安倍氏と戦った源義家(よしいえ)が陣を張ったという小高い丘です。
確かに、厨川柵跡がよく見渡せました。

近くの高松ノ池から西のほうを仰ぎ見ると、
岩手山の山容が青空に、そして池に美しく映えていました。

高松ノ池と岩手山

ここまでで結構歩いています。
おそらく10キロを超えているかと。
特に厨川柵近辺では、何か歴史の痕跡はないかとウロウロしまくりました。

厨川柵跡の紅葉
初めての土地を地図を見ながら行ったり来たりするものですから、
かなり足にきています。

高松ノ池から国道4号に出たところで、
流しのタクシーを捕まえようと思ったのですが、
国道なんてのはいろんな車種がビュンビュン飛ばしているものの、
意外とタクシーは走っていないもんですね。
次の目的地、三ツ石神社まで約3キロ、やっぱり歩くことにしました。

 

三ツ石神社には巨石が3つあります。

三ツ石神社
大昔、この地で悪さをしていた鬼を神様が捕まえ、
三ツ石に縛り付けたそうです。
二度と悪事を働かないと約束した証拠に、
鬼はこの巨石に手形を押したそうです。
「岩手」という地名の由来だと聞きました。

「鬼の手形」は見える人には見えるらしいですが、
私には分かりませんでした。

~さすがに疲れました。
歩数計によりますと、約20キロ歩いたようです。
三ツ石神社を出たところで流しのタクシーが見つかったので、
盛岡駅まで乗せてもらいました。
約4キロといったところでしょうか。

駅のコインロッカーでリュックサックをピックアップし、
この日の宿、繋温泉(つなぎおんせん)・四季亭に向かいます。

この温泉を見つけたのは、源義家と伝わります。
義家は、愛馬の傷をこの湯で洗ってやると快癒したので、
穴のあいた石に愛馬を繋いで自身も湯に浸かったそうです。

「繋石(つなぎいし)」は、四季亭の2軒横にありました。

繋石

 

※※※

疲れた足を癒すべく、私も繋温泉に浸かっていましたら、
またもや雨が降ってきました。
昨夜も花巻で雨が降りましたが、
朝には上がっていました。
今夜の雨はどうなるものやら…

みちのく一人旅~その6~2011年12月4日

11月11日(金)続き

濡れたお尻もすっかり乾きました。
「えさし藤原の郷」から次の目的地に移動します。

…それにしても、一日一稿にまとめられなくなってきました。
まるで『ハリー・ポッター』の後のほうの巻が上下に分かれたように。
(↑ そんなええもんちゃうぞ!と独りで突っ込む)

水沢12:48発、普通・盛岡行き、花巻着13:15。
午前中晴れていたのに、
だんだんと雲が垂れ込めてきました。
今にも降り出しそうです。

何となくラーメンが食べたい。
そんな訳で駅前をウロウロしていますと、
小さな食堂街に行き当たりました。
その中の一軒に飛び込んで、味噌ラーメンを頼みました。
ビックリしました!あまりのでかさに!
よくお目にかかる丼鉢の1.5倍くらいあるのではないかと思われます。
(花巻ではこれが普通サイズなんでしょうか?)
具もたっぷり。
麺もたっぷり。
さらにコーヒーまでついて、630円!
安さにまたビックリです。

駅前に戻ってタクシーに乗車、
「すみません、丹内山神社(たんないさんじんじゃ)に行ってください。」
どうせまた地図見せたり、いろいろ説明しないと無理なんやろな、
と思っていると、
「丹内山神社、はい、分かりました。」
運転手さんへの説明なしでの行動開始、この旅で初めてです。
何だかホッとしました。

花巻市の東に遠野市があります。
その途中、東和(とうわ)という地に丹内山神社はあります。
森閑とした境内を訪れる人、
またもや私のほかに誰もいません。

丹内山神社のご神体は、「胎内石」という名の巨石です。
高さは4~5メートルあるでしょう。
奥行きもやはり4~5メートルといったところでしょうか。
横の長さは10メートル以上だと思います。
ぐるりと注連縄がかけられています。

丹内山神社の胎内石

 

胎内石にはアラハバキの神が宿るそうです。
またもやアラハバキの神の登場です。
やはり、謎です。
ただ、奥州藤原氏や物部氏の崇敬を受けていたことは確かなようで、
説明板にその旨はっきり書いてありました。

胎内石の中を、壁面に触れずにくぐり抜けると大願が゙成就され、
また触れてしまったとしても通り抜けることができればいいことがある、
と説明版に書いてありました。
そんな訳でトライするのですが、狭くてとても無理。
よっぽど細い人なら通り抜けるくらいはできるかもしれませんが、
触れずになんて、とてもとても。

胎内石の隙間
私の場合はお腹と背中が石に挟まれました。
必死で何とか頑張ったんですが、
このままつっかえて動きが取れなくなったら、
誰も助けに来てくれそうにありません。
(胎内石は神社の駐車場からずっと上のほうにあり、
運転手さんにも気づいてもらえそうにありません)
…諦めました。

※※※

この日の宿泊は、花巻温泉郷のひとつ、台温泉。
中嶋旅館は『千と千尋の神隠し』の油屋のような外観。

台温泉・中嶋旅館の外観
内装も素晴らしく、黒光りする擬宝珠など、ピカピカに磨き上げられています。
もちろん、お湯も最高!
せせらぎの皆さん、練習してはるところ、申し訳ございません。

…この日の夜には遂に雨が降り出しました。