2012年02月

大河ドラマの音楽2012年2月26日

大河ドラマのテーマ音楽、いい曲が多いですね。
大河ドラマに出演することが俳優さんにとって大きな意味があるのと同じように、
作曲家にとっても、大河ドラマを担当させていただくというのはすごく名誉なことだと思います。

『黄金の日々』や『おんな太閤記』、
近年では『龍馬伝』、
そして特別な思い入れがある『炎立つ(ほむらたつ)』。
自身のお気に入りがスラスラっと思いつきます。
大河ドラマではないけれども、『坂の上の雲』。
国難にある現状ともマッチし、
生きていく覚悟ってものを感じ取らせてくれる名曲だな、と思います。

今年の大河ドラマ『平清盛』。
兵庫県の知事が何かと文句をつけていらっしゃるようですが、
私にはそんな風には思いません。
埃っぽい映像といえば、
『龍馬伝』のほうがもっと埃っぽかったと思いますし。

で、そのテーマ音楽も、お気に入りになりました。
いきなり女声による歌が入り、
これが清盛の出生に関わるドラマの伏線ともなっている。
ピアノ独奏もすばらしい。

しかし、私たちが吹奏楽で演奏するとしたら、
一体どうすればいいんだろう?
って考えてしまって純粋に楽しめない悪い癖がありますが、
『平清盛』のテーマ音楽、
ドラマ性を感じさせてくれる秀逸な作品だとは思うのですが、
吹奏楽に編曲しての演奏は難しいだろうなぁ、
聴くだけにとどめておきたいなぁ、
そんな感想を持ちました。

メイン・ストリート・エレクトリカル・パレード、そして…2012年2月25日

「ブラス集団せせらぎ」という懐かしいハンコが捺してある
『メイン・ストリート・エレクトリカル・パレード』。
聴いていると楽しい曲ですが、演奏してみると相当に大変。
ここ数週間、頑張って取り組んできて、
2/24(金)でひとまず締めくくりといたしました。
割とテンポアップできたし、ノリも良かったと思います。
そして何より、きっちり演奏できていました。
(ただ、どうしてもテンポが伸縮してしまうところはありましたが)
「せせらぎ人語」には、プレイヤー目線での感想も書かれるでしょうが、
私としては自信を持ってよい演奏だったと思います。

そして、次回からは、未だ合奏で採り上げていない
『イマジン』『朧月夜』に取り掛かろうと思います。

7/1(日)のせせらぎコンサートまで、あと4ヶ月ちょっと。
しばらく寝かせてある曲をもう一度引っ張り出してきて、
5/6(日)の臨時練習で全曲通してみたいと思っています。

スキー・ジャンプ~その2~2012年2月24日

私がスキー・ジャンプにはまったのは、
1994年のリレハンメル冬季オリンピックの原田雅彦選手がきっかけです。

※※※

ジャンプ団体が金メダル目前に迫っていた。
4人のジャンパーが2回ずつの計8回飛び、
合計点数で勝負を争う。
のべ7回を終えた時点で日本はトップ。
最終ジャンパーの原田雅彦選手が普通に飛べば金メダル、だった。
が、その原田選手の最終ジャンプが見事というほかはない失敗ジャンプ。
日本は銀メダルに終わった。

1998年の長野オリンピックに向け、
日本ジャンプ陣の巻き返しが始まる。
NHKのBSでもワールドカップ・ジャンプの中継が数多く放送されていた。
時には1位~5位を日本選手が独占するなんてこともあったし、
原田選手がゴールドゼッケン(ワールドカップ・ランキング1位の選手がつけるゼッケン)
をつけていることもあった。
(日本選手が最終的なワールドカップ・チャンピオンになったことは未だない)

1997年、ノルウェーのトロンハイムで開かれたノルディックスキー世界選手権。
そのラージヒル個人戦。
原田選手が優勝した!

そしてもはや伝説である長野オリンピック。
『WAになっておどろう』が公式テーマソングだった大会である。
ジャンプ団体のリベンジが期されていたが、
原田選手の1回目だけ猛吹雪となる。大失敗ジャンプ。
全選手1回目を終えて日本4位。
しかし2回目、日本選手は大ジャンプを見せつける。
原田選手も最長不倒クラスの大ジャンプ!
最後の船木選手が無難にまとめ、
遂に念願の金メダルを獲得した。

※※※

あの頃、私の心情は完全に原田選手とシンクロしていました。
ともにリベンジを果たしたような気がしたのでした。
私が涙もろいのは、原田選手の影響だと、勝手に思っています。

※※※

それからもワールドカップ・ジャンプを見続けました。
ルール変更への対応が遅れるなどして日本ジャンプ陣の低迷が続きましたが、
それでもテレビで観る機会があれば、
世界のトップ・ジャンパーに魅了され続けました。
もちろん日本選手が勝ってくれれば嬉しいですが、
そうでなくても、
世界のジャンプそのものに魅せられていったのです。

もう引退してしまいましたが、私の尊敬するジャンパーに、
ポーランドのアダム・マリシュ選手がいます。
背の高い選手ほど長いスキー板を使うことができ(それだけ多く浮力を得ることができ)、
背の低い選手は短いスキー板で不利となるルールの中、
小柄なアダム・マリシュは大柄なジャンパーを凌駕するジャンプで、
何度も世界チャンピオンに輝いたのです。
いつも穏やかな笑みを絶やさないアダム・マリシュ、
私の憧れでした。

※※※

音楽しかできない、
いや、音楽もできているかどうか覚束ない私にとり、
空飛ぶ人たちは物凄い憧れです。

スキー・ジャンプ2012年2月22日

2月18日に行われたノルディックスキーのワールドカップ・ジャンプ男子・個人第21戦で、
伊東大貴選手が209メートル&209.5メートルを飛び、2位に入りました。
優勝したのオーストリアのマルティン・コッホ選手で、
218メートル&221.5メートル(=最長不倒)!

何なんだ、この距離は!と思われる方もまだまだ多いことでしょう。
が、ジャンプ台には、子供用の小さなものから巨大なフライングヒルまで、
様々あるのです。
つまり、前述の大会はフライングヒルだった訳です。

ワールドカップ・ジャンプで用いられるのが、
ノーマルヒル(K点90メートル、ヒルサイズ100メートルくらい)、
ラージヒル(K点120メートル、ヒルサイズ140メートルくらい)、
フライングヒル(K点180メートル、ヒルサイズ200メートルくらい)の3種類。
(K点やヒルサイズはジャンプ台によって異なります)

最近のワールドカップ・ジャンプではノーマルヒルは滅多に使われません。
ほとんどがラージヒルで競われます。
そして、時々フライングヒルの大会があります。
(オリンピックではノーマルヒルとラージヒルが行われますし、
日本にはフライングヒルの台がありません。
フライングヒルの知名度が低いのも仕方ないか…)

伊東選手が2位に入った個人第21戦はドイツのオーベルストドルフで行われましたが、
ここのフライングヒルは、K点185メートル、ヒルサイズは213メートル。
コッホ選手はヒルサイズを8.5メートルも超えての大ジャンプで優勝したのです。

※※※

運動音痴の私ですが、本当はスポーツが好きです。
(正しくはスポーツ観戦と言ったほうがいいでしょう)
これまでも野球やF1の「ひとりごと」を書いてきましたが、
実はスキー・ジャンプも大好きなんです。
世界の名だたるジャンパーが集結するワールドカップ・ジャンプ、
その中でも特にフライングヒルの大会にはワクワクします。

ジャンプっていうのは、素人目には美しく遠くへ飛ぶという印象があります。
が、正確には、できるだけ遠くに「落ちる」競技なのだそうです。
遠くへ飛ぶ、というより、近くに落ちないように、
選手は日夜努力を積んでおられるのかもしれません。

が、私は憧れを持って見続けている素人です。
やっぱり、トップ・ジャンパーのジャンプを観ていると、
飛んでいるような感じがし、
それが堪らんのです。

着地しそうで着地しない、もう一度浮力を得てふわっとする感じ。
本当は物凄いスピードでランディングしているんですが、
スキー板と着地点との間の空気がゴムボールのような弾力を生み、
ソフトにランディングしているように見えてならんのです。

野球もF1も生で観たことがありますが、
スキー・ジャンプは未だ生で観たことがありません。
寒がりの私ではありますが、何とかそれに耐え、
世界のトップ・ジャンパーが頭上を飛んでいくさま、
観てみたいものです。

インフルエンザ!~その2~2012年2月21日

2006年、『博士の愛した数式』を観て以来、
そのあまりの美しさに子供の頃の映画好きの血が再燃。
まるで何かに憑りつかれたかのように映画館に通うようになった。

2007年2月、体調が最悪であるにもかかわらず、
『天国は待ってくれる』という映画を観に行った。
咳は出るわ、熱っぽいわ、ぼやーっとしているわ…
なぜそこまでこの映画にこだわったのか今となっては全く分からないが、
とにかく根性で最後まで鑑賞した。

そのあと、また何を血迷ったのかカッパ寿司に立ち寄り、
「こんな程度の風邪でへたばらへんぞ、この野郎!」
と訳の分からないことを口走りながら、
ビールでトコトン体を冷やし、食欲もないのに寿司を押し込み…
店を出たところで遂に限界。
この夜、自身最悪の41.4度を計測した。
(意識朦朧としていたものの、41度台というのがあまりにショックでよく覚えている)
もちろん、検査結果はA型インフルエンザ・陽性だった。

今思えば、人が多く集まるところ、特に密室に行く体調でないのに加え、
マナーも悪い。
自分の息がしんどいという理由でマスクを着用せず、
お構いなしに咳をしまくっていたのである。
水曜日、レディースデイの19時台、
お勤め帰りと思われる若い女性の多い回だった。
きっと小規模パンデミックを引き起こしたに違いない。
(パンデミックいうてんのに「小規模」はおかしいぞ)

※※※

ドラマ『砂時計』にはまってしまい、
2008年4月公開の映画『砂時計』の劇場公開が待ちきれず、社内試写に足を運んだ。
するとこれがザンナイ代物で、
DVDを大画面にかけるもんだから画面が粗いわ、
タイムコードが載っかってるわ…

映画の内容には大満足したのだが、何としても劇場で観ないと気が済まない。
ゴールデンウィークが明けたら観るぞ、と気負い込んでいたら風邪をひいてしまった。
5月にもかかわらず、これが何とインフルエンザだったのである。
約10日間、しつこくまとわりつかれてしまった。

※※※

それ以来、ちょいと悪寒がして早めに寝ることがあっても、
翌朝にはスッキリ抜けていることが多かった。
今回、インフルエンザではなかったものの、
数日寝込むことになったのは4年ぶり。
(だったと思うんだけど…)

※※※

自分なりに気をつけていたつもりなんですが、
今回は全く唐突に発症しました。
いや、本当はきっとそれなりの前兆があったのに、
全く気付かずにやり過ごしてしまい、
結局40度の熱を出すことになってしまったのだと思います。

インフルエンザにせよ普通の風邪にせよ、罹るとしんどいです。
どうぞ皆さん、うつらないようにお気をつけください。
それでもうつってしまったら、
それ以上人にうつさないように気をつけながら、
早くよくなりますように。

インフルエンザ!~その1~2012年2月20日

2月17日(金)、高熱を発したため、練習を休ませていただきました。
申し訳ありません。

※※※

2月16日(木)、勤務先のM部長と社内バーでウィスキーを呑んでいましたら
(なんで社内にバーがあるかは、この際、無視してくださいますでしょうか)、
なにやら妙に足腰がだるく感じられてきました。
「たった一杯やのに、珍しいな。何か、足に来ることでもしたっけ?」
この時はその程度にしか思っていませんでした。

阪急電車で京都・四条河原町まで帰り着き、
いつものように今出川のちょい北、同志社大学の辺りまで歩いたのですが、
一向に体が温まらないし、足腰はだるいまま。
毛布にくるまっても全然ダメ、どころか、悪寒が激しくなるばかり。
「あっ!やばい!もしかしたらインフルエンザちゃうか…」
この時点まで、そこに全く考えが至りませんでした。

翌2月17日(金)朝、体温を計ってみると38.1度。
まあ、平熱より1度ちょい高いだけだと思えば、出勤できないこともない。
昼出にさせてもらおうかな、と思ってM部長に相談の電話を入れたら、
「出社まかりならず!」と言い渡されてしまいました。
これが現代の会社事情なのですな。
インフルエンザの可能性がある社員を出社させて感染を広げるようなことにでもなれば、社業が立ち行かなくなる。
ひいては社会的に無責任だという批判を受ける。
それを最も恐れている。
一昔前までは、風邪なんか仕事しながら治し、
休日には元気に遊ぼうっていう社風だったのに…

しかし、パンデミックを引き起こさないようにしようとする考えには従わねばなりません。
合奏予定曲目が『メイン・ストリート・エレクトリカル・パレード』という、
ほぼテンポ変化のない曲を採り上げていたこともあり、
申し訳ありませんが、感染拡大を避けるため楽団もお休みさせていただきました。

※※※

2月18日(土)早朝に4~5年ぶりの40度を発したのち、
インフルエンザかどうかの検査を受けに行きましたが、
結果は「陰性」。
ほんまかいな?ということで2月20日(月)に再検査を受けましたが、
やはり「陰性」。

なにはともあれ一安心。
とにかく体調を整えて次の金曜日の練習に参加できるようにしたいと思います。

そして、せっかくなので(何がせっかくなのかよく分かりませんが)、
インフルエンザにまつわる思い出を書いてみようかと思います。

自転車2012年2月16日

先日、大阪で横断歩道を渡っていましたら、
鼻先数センチメートルのところを自転車が猛スピードで横切っていきました。
ぼけーっとしながら歩いていたものですから、
近づいてくるのに全く気がつかず、
横切ってから「ワオッ!」と驚いたのでした。

もちろん、私は青信号で渡っていました。
自転車のほうは赤信号。
お構いなしなんですな。
このとき、ホントに怖いなぁと思いました。

私の知り合いなどは、自転車に乗っていたんですが、
暴走自転車にぶつけられ、
唇を切るわ、前輪がいがむわだったそうです。
そんでもって暴走自転車は謝りもせず逃走したそうです。
ひき逃げです。

もちろん、安全運転していらっしゃる方も沢山おられると存じますが、
自転車のマナーの悪さ、何とかならないものでしょうか。

パトリス・ルコントのボレロ2012年2月12日

職場のM部長は、鉄道好きなだけでなく、映画好きでもあります。
そのM部長に勧められた映画が『パトリス・ルコントのボレロ』。

パトリス・ルコントというのは、フランスの映画監督です。
『ボレロ』は、言うまでもなくモーリス・ラヴェルの作品。
2つの旋律が延々と繰り返され、
スネア・ドラムがボレロのリズムを延々と刻み続ける、あの曲。

『パトリス・ルコントのボレロ』とは、
この『ボレロ』の演奏の様子を、
スネア・ドラム奏者だけにスポットを当てたショート・ムービーなのです。
約8分、ということで、曲はある程度割愛されています。
『パリ空港の人々』という映画の併映作品だったそうです。

このスネア・ドラム奏者、
カメラ目線になったり、
旋律に合わせて恍惚とした表情をみせたり、
座るポジションを直すためか、腰を浮かせてみたり、
飽きてきたのか余所見をしてみたり。
真面目にやってるのかふざけているのか、
とにかく面白くってしようがない。

指揮者もオーケストラも本物ですが、
実はこのスネア・ドラム奏者、ジャック・ヴィルレという喜劇俳優なんだそうです。

You Tubeで簡単に観ることができます。
何はともあれ、まずはご覧あれ。

相棒2012年2月10日

約25年着込んだ革ジャン。
近年、痛みが目立ち、
毎年、春になると「洋服の病院」のお世話になる。
ファスナーを付け替えてもらったり、
破けて穴の開いたポケットを修繕してもらったり。
いつも丁寧な仕事をしていただき、
感謝感激雨あられ、である。

スコアを持ち運ぶのにちょうどいいサイズのアタッシェケース。
ショルダーバッグにもなる優れものだが、
肩紐のフックが壊れてしまったときも、
きっちりと修理してくださった。

今、「入院」しているのは、
約15年使い込んだ仕事鞄だ。
手提げにもなり、
ショルダーバッグにもなり、
リュックスタイルにもなる、
これまた優れものである。
ここ数年はもっぱらリュックスタイルで使ってきた。
スコアを入れるにもタクトを入れるにも便利なのだ。
読みかけの小説や映画のパンフレットも入っている。
なので、仕事、兼、音楽、兼、遊び。
相棒といっていいくらい、いつもそばにいてくれる奴なのだ。

さすがに15年の歳月は長かった。
あちこちに綻びが出てきていたのだが、
遂にファスナーが壊れてしまった。
早く治ってきてほしい、
そしてまた一緒に歩き回ろう。
今、相棒が恋しくて仕方ない。

オーボエとトランペット、そして、クラリネットとホルン2012年2月9日

先日の団内発表会で聴いた混成七重奏。その編成は、
フルート
B♭クラリネット
アルト・クラリネット
バリトン・サックス
トランペット
ホルン
テューバ
でした。
木管4、金管3の混成です。

アルト・クラリネット、バリトン・サックス、ホルンのブレンド具合が特に印象に残りました。
和音の構成とも相まって、実にやわらかい響きを作っておられたと思います。

上記メンバーにテューバを加えた中低音に支えられ、
フルートやB♭クラリネットが自由に歌えているな、と感じました。

そして、特筆すべきはトランペットでした。
他の6本から抜け出るように旋律線を鮮やかに描いていました。
ふくちくんのトランペットが、
この編成にベスト・マッチしていると思いました。
実際にはオーボエのパートなのでしょうか?
(私の勝手な想像ですが)

そういえば、吹奏楽のスコアには、
オーボエ奏者がいない場合はトランペットで代用するように、
という指示が書いてあることがよくあります。
(トランペットの段に、小さな音符で「Oboe Cue」と書いてあるもの。
「Cue」を英和辞典で調べたら「演奏指示楽節」となっていました)

また、トゥッティ(全合奏)の場面。
トランペットが旋律、
他の金管は伴奏、
木管は細かいスケールをやっているとき、
オーボエはスケールではなく、
トランペットと一緒に旋律、
というのがよくあります。

オーボエとトランペットというのは、
とても親和性がいいのでしょうね。

※※※

ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』第4部に、
クラリネットとホルンが同じ音型を演奏する場面があります。
途中でクラリネットだけになったり、ホルンだけになったりするんですが、
聴いていても私には全く分かりません。
スコアを見て初めて「ああ、分かれていたのか」と分かる次第。

それくらい、クラリネットとホルンの親和性もいいと思うのです。

高校時代、私を含めたホルン・パートの演奏があまりに頼りないと、
クラリネットに同じ音型をかぶされたものでした。
当時は悔しいなと思いましたが、
今、指揮者の立場になってみると、
仕方ないなぁと思ったりします。