2013年08月

海自の音楽隊 & 歌手2013年8月30日

MOVIX京都の帰り道、
ふらりとJEUGIA三条本店に立ち寄った。
エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏による
リムスキー=コルサコフ作曲『交響組曲シェエラザード』が復刻されていないかと思い、
ちょくちょく覗くのだが、
この日もやっぱりなかった。

そんなこんなでCD売り場をブラブラしていたら、
海上自衛隊東京音楽隊の新譜が見つかった。
『祈り~未来への歌声』というタイトルのこのCD、
ジャケットの写真は音楽隊と、
ひとりの女性。

彼女の名は三宅由佳莉。
23万人の自衛官の中で唯一のヴォーカリストなのだそうだ。

全く知らなかったが、面白そうだと思って買って帰った。

歌と吹奏楽(一部、歌とピアノ)でこの構成されたアルバム、
とても美しい仕上がりだった。

三宅由佳莉さんの歌声は、
時に母のようであり、時に娘のようであり、
時に少女のようであり、時に少年のようであり、
時にオペラ歌手のようであり、時にポップス・シンガーのようであり。
曲によって変化に富み、素晴らしいと思った。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より『夢やぶれて』。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」より『スタンド・アローン』。
私はこの2曲が特にいいなぁと思った。

それにしても、
彼女はなぜ自衛官になったのだろう。
楽器を演奏する人が音楽隊を目指して入隊するのはよくある話だが、
自衛隊に入って歌手になるというのは、
どういういきさつなのだろう?

耳鼻科に行く2013年8月29日

ある朝、5時くらいに目が覚めた。
前夜、夜更かししたのでもう少し眠ろうと思った。
が、ほどなくして蝉の大合唱が始まり、眠れなくなってしまった。
そこで耳栓の登場。
ちょいと奥まで突っ込みすぎた感もあったが、まあいい。
それから約3時間、本当によく眠れた。

問題は起床してすぐに起こった。
耳栓を抜いたのに、音が聞こえないのである。
と書くと少しオーバーだが、
耳栓をはずしてすぐはホントにそんな感じだった。

だんだん聞こえるようになったが、
片方の耳の聞こえは悪いままだ。
具合の悪いことに、左右どちらの耳の聞こえが悪いのか分からないのだ。
これは不思議な感覚だった。
明らかに聞こえが悪いのに、左右が分からないなんて。

そのまま出勤したが、やはり聞こえが悪いままだった。
仕事をしながらやっと、右耳の聞こえが悪いのが分かってきた。
左耳はもう大丈夫なようだ。

それから一日、フラフラしながら働いた。
夕方くらいになって何とか聞こえは回復したが、
耳のことだからとても心配だ。
音楽活動にも仕事にも、聴覚はとても大切だ。

私は長年、耳掻きを使っていない。
風呂上りに、耳の中に水滴が残っている感じがイヤなので、
綿棒で拭き取るようにはしているが、
もしかするとそれがマズいんじゃなかろうか?
耳垢を奥のほうに押し込んでいるのでは?
耳栓を使ったせいでさらに押し込んでしまったのでは?

耳の聞こえ方は回復しているが、
不安なので耳鼻科に行ってみた。

何年かぶりの耳鼻科にビックリした。
耳の中の様子を映像で見せてくれるのだ。

医師のおっしゃるには、
両耳とも、耳垢のほとんどないキレイな状態だということだ。
掃除の行き届いた健康な耳だという評価もいただいた。

耳掻きでゴリゴリやると皮膚の柔らかい耳の中を傷つけることもあるので、
あまり良くないらしい。
むしろ綿棒でやさしく掃除すべきだと。
そうか、私のやり方は間違ってなかったのか!

一時的に難聴になるにはいくつか原因があるらしく、
気圧の変化もそのひとつ。
耳栓のはずし方が良くなかったのかもしれない。
あるいは奥まで突っ込みすぎて、
鼓膜の状態が一時的におかしくなったのかもしれない。

静かに眠ることができる耳栓はなかなかの優れものだが、
取り扱いには十分注意したほうがよさそうだ。

竹田城跡に登る2013年8月28日

日本のマチュピチュ。
天空の城。
いろんな言葉で表現されることの多い竹田城跡(兵庫県朝来(あさご)市)。

一度登ってみたいと思い続けていた山城の遺跡。
よい具合に夏休み(といっても学生さんと違って年次有給休暇)と、
少し涼しくなったのとが重なったので、
思い切って出掛けた。

せせらぎトレッキング・チームに対抗する気なんてサラサラないが、
装備はキチッとしておきたい。
特に足元をしっかりさせておくべきだと思ったので、
トレッキング・シューズを履いた。
17年前、ラジオのディレクターだった頃、
富士山に登る仕事のために買った靴だ。
殆んど履く機会がなかったので、
今でもバリバリの現役だ。
(ちなみに富士山の山頂には登ることができなかった。
 高山病のため、7~8合目で断念した…)

京都8:51発の「特急きのさき1号」で、
まずは終点の福知山へ。
(JR西日本287系を使用した最新式の特急で、
 綾部までは東舞鶴行きの「特急まいづる1号」を連結している)
「きのさき」の名を冠しているにもかかわらず、
なぜ城崎温泉まで行かずに福知山止まりなのだろうか…?
DSC_0253

福知山からは普通電車で和田山へ。

《廃墟と化した機関庫。かつて和田山は一大基地だったのだろうか…》

《廃墟と化した機関庫。かつて和田山は一大基地だったのだろうか…》

ここで山陰本線と別れを告げ、
播但線を一駅だけ姫路方面へ。
そこが竹田駅だ。
DSC_0273《竹田駅》

駅のすぐ近くから登山道が延びており、
そこを登れば40分くらいで竹田城跡にたどり着くらしいのだが、
あいにく工事のため通行止め。
山腹を九十九折れで登っていく迂回路を、
ツクツクボウシの鳴き声を聞きながら約1時間かけて歩くこととなる。

駅前から早速、城を望むことができた。

《分かりづらいでしょうか…》

《分かりづらいでしょうか…》

途中、「寺町通り」という道を歩いた。
駅裏すぐといった場所なのだが、
水路があり、
鯉が沢山泳いでいた。
その中に突然、ドラえもんの石像が!
これは一体何なのだ…?

《実はこれ以外にも、「ピカチュー」や「ゴジラ」の石像があった…》

《実はこれ以外にも、「ピカチュー」や「ゴジラ」の石像があった…》

舗装されている道なので、
捻挫の心配がなくて助かった。
が、人が殆んどいない。
そんなに訪れる人が少ないのかと思っていたら、
山頂まであと700メートルとなったところで、
多くの人と合流した。
そこには中腹の駐車場があるのだ。
大概の人はそこまでマイカーで来て、700メートルだけ歩くらしい。

そして竹田城跡に到達すると、
そこには夥しい人の群れが!
私が登ったのは平日だが、
土日だったらもっと凄いのだろう。
DSC_0266

まあ、人の多い少ないはこの際よいとして、
私はここに来てもの凄い開放感を味わった。

まず、弁当が旨かった。
お茶も美味しかった。

空が近いと思った。
雲との距離が近くなったと思った。
「天空の城」とはよく言ったものだ。

よくこんな高い場所に石垣を組んで、
城を作ったものだと感心した。
現代でも難しい事業だと思う。

よくここで映画を撮影したと思う。
竹田城跡は昨年公開された高倉健さん主演の『あなたへ』のロケ地なのだ。

何度でも訪れたい。
素敵な城跡だった。

ところで、約1時間かかった登りだが、
下りるのにかかった時間は35分だった。
それは速くて楽で良かったと思われるかもしれないが、
下りはスピードを制御しないといけなくて、
太腿や足裏にかかる負担が半端ない。
普段、平地ばかり歩いている者にとっては、
これは大きな発見だった。
気をつけないといけない。

『宇宙戦艦ヤマト2199』完結2013年8月27日

8月24日(土)、最終章となる第七章の劇場公開が始まった。
テレビでの最終話放映が9月29日(日)なので、
映画館に足を運べば約一ヶ月早く結末を知ることができる。

1974年の『宇宙戦艦ヤマト』オリジナル・シリーズは、
当時のアニメーションの常識を覆す作品だったが、
『宇宙戦艦ヤマト2199』もまたそんな作品だった。

劇場公開用オリジナルのアニメ作品は別だが、
テレビ用のアニメは、
当たり前だけれども、
まず、テレビで放送される。
それを再編集したり、再構成したりしたものが、
あるいはテレビ・シリーズの続編が映画館で上映される、
というのが順序だ。

が、『ヤマト2199』は、テレビ放送を目論んだ作品だが、
数話ずつまとめての劇場公開が先行した。
内容的には同じものが劇場を追いかけるようにテレビ放送され、
遂に映画館のほうが先に最終回を迎えた。
私の知る限り、こんな例はない。

そんな訳で、映画館で結末を観てきた。
遂にヤマトは…

ああ、しゃべりたい!

我慢できない!

なので、今日はしゃべっちゃいます!

これから劇場で第七章を観ようとしていらっしゃる方、
テレビで1話ずつゆっくり観ていこうとしておられる方、
ネタバレを書きますので、
ここから先は読まないことをお勧めします(パンフみたいですが)

※※※

『ヤマト2199』は、
オリジナル・シリーズを「リメイク」した作品である。
だが、随所に新たな設定やストーリー展開もあるので、
「結末」が変更されているかも知れない。
私の最大の注目点は、ここだった。

1974年のオリジナルでは、
ガミラス星での激闘で、
ヤマトはガミラスを滅ぼしてしまう。
イスガンダル星にたどり着いたヤマトは、
放射能除去装置を受け取って地球に帰還、
地球は元の青さを取り戻す。

1975年に朝日ソノラマから発売された小説では、
もはや地球を元の姿に戻す方法はなく、
地球人が生き延びるためには、
環境の激変した地球に合わせて人類を人体改造するしかないという設定。
また、ガミラスは、
イスカンダルを守るために生み出された人工生命体という設定。
ガミラスを打ち破るにはイスカンダルを破壊するしかなく、
ヤマトはイスカンダルに特攻。
古代進と森雪の二人だけが人体改造の方法とともに地球に帰還。

キムタクが主演した実写映画では、
地球帰還を目前にしたヤマトの前にガミラス艦が立ちはだかり、
古代進操艦のもとヤマトはガミラス艦に特攻。
放射能除去「能力」を授けられた森雪以下数名のみ地球に帰還。
地球は元の青さを取り戻す。

さて、『ヤマト2199』ではどうなったかというと、
ヤマトはガミラスを滅ぼすようなことはせず、
逆にガミラス星に落下しようとする巨大な物体を波動砲で破壊、
ガミラスを救う。
イスカンダルでコスモ・リバース・システム(オリジナルでは放射能除去装置)を受け取り、
ヤマトは地球に帰還。
映画館の大スクリーンに青き地球が復活し、
物語は完結した。

ガミラスを打倒することがヤマトの目的ではない。
地球を救うことが使命であった。
なのに、オリジナルでは、
生き延びるためとはいえ、
ガミラスを滅ぼしてしまった。
そのことに主人公・古代進は大いに悩む。

『ヤマト2199』では、
ヤマトはガミラスを救った。
ストーリー上、大きな変更だ。
でも、私はそれで良かったと思う。

地球人とガミラス人(の一部ではあるが)との間に友情も育まれた。
ガミラスの女性パイロットのメルダは、
古代進に恋をしていたようだ…

オリジナルでは特に問題とされなかった波動砲だが、
『ヤマト2199』では “ 大量破壊兵器 ” として大いに問題視される。
イスカンダルでコスモ・リバースを受け取る条件として、
波動砲が封印されることとなった。
波動エンジンと直結した波動砲発射システムが
コスモ・リバース・システムに改造されたので、
ヤマトそのものがコスモ・リバース・システムに生まれ変わったのである。
兵器・戦艦が、命の箱舟になったのだと思った。

「西暦2199年12月8日 宇宙戦艦ヤマト、地球に帰還」
というテロップが表示されたあと、
先述の青き地球の姿が映し出されて物語は終わる。
その後のことは想像に任されているのだが、
ヤマトはきっと緑のモニュメントとして大地に横たわっているのだろう。

気負い2013年8月26日

前回、「心技体」に触れました。
そこで「技術」と「体力」のことについて書いたのですが、
「心」について書かなかったので、
今回は「心」、
というか「気持の持ち方」について、
思うところを書いてみたい、と。

またまた自分の中学生時代の話。
「音楽の表現に大切なのは “ 精神 ” だ!」
と思っていました。
もちろん今でも大切だと思っていますが、
中学の頃は精神「さえ」良ければそれで良し、
だったのです。

高校に進学し、
今は亡き恩師に、
「その精神を伝えるために、演奏の “ 基本技術 ” を磨く」よう、
徹底的に指導を受けたのです。
つまり、いくら表現をしたいと思っても、
「音そのもの」が出ていなければ、
何の意味もないのだと。

当時は「こんな表現がしたい!」と気負うばかり。
しかし、表現のための「技術」が伴っておらず、
体は力みまくっていました。

中学でやってきたことを一旦捨て去り、
高校の1年から2年の前半くらいまでは、
ひたすらに力みをとり、
基本技術を身につける日々でした。

岡田監督は「技心体」の順番が大切だと書いておられましたが、
高校の恩師の教えは「心技体」の順番にこだわるものではなく、
そのバランスを大切にすることでした。

※※※

やっぱり今でも心も体も力んでしまうことが多いので、
もっとしなやかに生きることができないものかと悩んでしまいます。
ホントに難しいです。

プレイヤーの皆さんは「心技体」のバランス、
うまくとれておられるでしょうか。

久々の合奏2013年8月25日

8月9日(金)は年度初めの定例総会、
8月16日(金)はお盆休みのため、
8月23日(金)は久しぶりの合奏となりました。
(せせらぎでは8月~翌年7月を「年度」としています。
 年度終わりの7月に定期演奏会である「せせらぎコンサート」を開催し、
 年度頭の8月に定例総会を開くという流れです)

約3週間、実は私はあまり音楽の準備をしておらず、
どちらかというと音符よりも活字を読んでいました。
読んだ本の中で印象に残ったのが、
阪神、オリックスで選手・コーチ・監督として活躍された
岡田彰布(あきのぶ)さんの本でした。

「心技体」が大切だといわれるが、
岡田さんが重要視する順番は
「技心体」だと書いてありました。
まずは技術を身につけることが大事だと説いておられました。

技術を磨いていくと、
練習が面白くなって自然に練習量が増え、
心も体も鍛えられていくという論理です。
よく、体力をつけることばかり優先させる風潮があるけれども、
まずは技術を磨かなければ通用しない、と。

もちろんこれは野球の話ですが、
自分自身の吹奏楽経験に置き換えてみると、
はたと思うことがありました。

中学生の頃、
ホルンの練習といえば、
腹筋運動をすることだったり、
楽器を持ったら32秒ロングトーンだったり、
やたらと体をいじめるようなことばかりやっていたのです。
体力重視の練習をすればホルンも上手になる、
勝手にそう思い込んでいたのですが、
一番吹きやすい筈の中音域が全く鳴らなかったり、
全然息が続かなかったりしたのでした。

高校生になっても同じようなペースで練習していました。
ちょうど今、せせらぎで採り上げている『交響的断章』を、
コンクールでの演奏に向けて練習中で、
その個人練習していたとき、
先生に指導されました。
難しくて長いパッセージをひたすら何回も何回も練習していたのですが、
もっと短く区切って、
「音色は美しいか?」
「唇の感じはどうか?」
「腹式呼吸はちゃんとできているか?」
「フィンガリングは力まずにできているか?」などなど、
よ~く自分を観察しなさい、
という指導でした。
今思うと、
基本的な技術習得に努めなさいと言われたのだと思います。

『交響的断章』の演奏で先生のご指導の成果があったかどうかはよく分からないのですが、
その数ヵ月後に『国民の象徴』というマーチを演奏した際、
数ヶ月前の自分と明らかに変わっていることに気付いたのです。
それまで汚くて嫌気がさしていた自分の音色が生まれ変わっていたし、
ビックリするくらい音量が上がっていたし、
修飾音という細かい音型がピタッとはまるようになっていたし、
何よりもバテなくなっていたのです。

今、岡田監督の言葉を読み、
私自身は「なるほど!」という感じなのです。

8月23日(金)の合奏では、
実はこんなこと、
つまり基本的な演奏技術がうまくいっているか、
に耳をそばだてながらタクトを振っていました。

『交響的断章』も、
岩井直溥さんの『復興への序曲「夢の明日に」』も、
難しいからこそ “ 基本技術 ” を疎かにしてはいけないのだと、
逆に言えば “ 基本技術 ” を疎かにしているとすぐにバレる曲だと思うのです。

これらの曲を合奏するのはもうちょっとの間でしょうが、
基本を大切に取り組めたらいいなと思っています。

熱中症?2013年8月18日

きっと普段から軽い熱中症にはなっていると思うが、
軽くて済んでいるのだろう。

ある休日、急に頭痛を覚えた。
脳の芯にどんよりした重い塊があるような感じだった。
これはいつもの感じと違うな、と思った。

体が休息を求めているようだ。
無理をせず、横になった。
が、不思議と眠気がやってこない。

そこで予てから用意しておいた
アイマスクと耳栓を使うことにした。

アイマスクを付けると顔が暑い。
耳栓すると耳垢を押し込んでしまうみたいな違和感がある。
けれども、暗闇と静寂を無理やりにでも確保できる。

ぼちぼち起き上がろうかな、と思って時計を見たら、
何と3時間も経っていた!
知らず知らずの間にかなりの眠りを貪ったようだ。

普段の呑みすぎによる睡眠不足が祟っていたのではないだろうか。
気を付けるべし、である。

五山の送り火2013年8月17日

8月16日。
今年も大文字五山の送り火の日を迎えました。
多くの思いを抱きながら見送りました。

《あまりうまく撮れていませんが…》

《あまりうまく撮れていませんが…》

友人の死2013年8月16日

8月11日、
勤務先の1期上のKさんが急逝した。
46歳だった。
年齢としては私より2つ下だが、
入社年度は私より1年早かったので、
あくまでも先輩である。
そんな業界である。
(私が大学入学&卒業に手間取ったため、
このような逆転現象が起こった。
ままあることだけれども)

とはいうものの、
Kさんは年上の私を何かと気遣ってくれた。
私も裏表のない性格のKさんが好きだった。
お互いに尊敬しあえる関係だったと思う。
同じ部署にいた時は隣同士のデスクで働いた。

まさか末期ガンで闘病生活を送っていらしたとは…
関連会社に出向しておられたので、
私は近況を全く知らなかった。
ガンと分かってから僅か半年での他界だったそうだ。

もう十数年前のことだが、
やはり同じ部署で働いたことのあるT君も、
20台後半、
ガンで他界している。

KさんもT君も豪快な人で、
当時カニが食べられなかった私を強引に香住の民宿に連れて行き、
新鮮な本場のカニを食べさせてくれた。
私はここでカニの旨さに開眼させられた。
KさんとT君のおかげである。

Kさん、T君、Sさん、そして私の4人でよく麻雀をした。
でも、今ではSさんと私だけになってしまった。

せせらぎ草創期の団長Mさんも、
昨年、
50台前半の若さで亡くなられた。
私に指揮者の道を拓いてくれたのがMさんだった。

友人の死は堪える。

夏の読書2013年8月15日

演奏会の直前一ヶ月くらいは、
やはり演奏曲目のことで頭が一杯になるので、
ちょっと読書する余裕がありません。

いや、何もそこまで思い込むことはないかもしれません。
でも、怖いんです、本番で振り間違えることが。
そう思うと、寸暇を惜しんで「鼻歌トレーニング」してしまうんです。

今、ようやく落ち着いて読書できます。
もちろん今でも読まなければならない楽譜はありますが、
さすがに詰め詰めの状態ではありませんので。

8月の盛夏(暦の上では立秋を過ぎましたが…)に本を読んでいると、
なんだか小学校の夏休みの宿題を思い出しますなぁ。

昨日読み終えたのは、
藤沢周平さんの『隠し剣秋風抄』。
9篇の短編が収録されているのですが、
ラストは『盲目剣谺(こだま)返し』。
山田洋次監督の時代劇3部作の3作目、
『武士の一分』の原作です。

キムタクが山田洋次監督作の主人公を演じるって、どういうこと?
と公開前は思っていました。
(ファンの皆さま、済みません)
しかし、『武士の一分』を観て、
なんと見事な演技だと感服つかまつったのでした。
事務所の方針からか、映画賞を辞退するということで、
彼の受賞はありませんでしたが、
もし辞退していなかったら、
間違いなく日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞していた、
と、私は思います。

剣士としては少し線が細いかなと思いもしましたが、
「盲目の剣士」としてはピッタリだったかもしれません。

キムタクは、訳あって檀れいさん演じる妻を離縁しますが、
“ 武士の一分 ” を果たした後、
笹野高史さん演じる下僕の計らいで、
彼女は女中としてこっそり家に戻るのです。
(キムタクは失明しているので、最初はそのことに気付かない)
が、料理の味付けで妻が戻っていることに気付くのです。

劇場は、このシーンで、多くの人の嗚咽や鼻水をすする音に包まれるのでした。

この場面を小説で読んだのは、
出勤途上の電車の中でした。
クロスシートの二人掛けならまだ良かったのですが、
四人掛けに座っていたのでした。
こんなときに限ってハンカチを忘れているは、
汗拭き用のリストバンドをしていないは。。。