2013年12月
大晦日2013年12月31日
あと数時間で2013年が終わろうとしています。
みなさんはどんな大晦日をお過ごしでしょうか。
私は大掃除で体がバキバキに痛んでおります。
やはり普段からマメにやっておくべきなんですね。
ただし、昨日今日と寒さがマシで助かっています。
※※※
今年も吹奏楽団せせらぎのホームページを訪ねてくださり、
また、せせらぎを応援してくださり、
どうもありがとうございました。
楽員のみなさん、今年もお疲れさまでした。
2014年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
よいお年を。
同期のテューバ奏者・O村くんが仕切ってくれる同期会。
いつもありがたく参加させていただいております。
昨日も約半年ぶりの同期会を開いてくれたのですが、
やっぱり昔話が多くなってしまいますねぇ~。
それはそれで悪くはないんですが、
もっとこれからの話もしたいですねぇ~。
せっかくなので、
もう一度楽器を吹いてみたらどうかな?
秋のある日、
近所の酒房「たなかや」で呑んでいた時のお話。
女将さんの息子さんのコースケ君と本の話題となりました。
コースケ君は凄い読書家なのです。
コースケ君に、
「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだこと、ありますか?」
と訊かれ、
「いや、読んだことないなぁ~。だけど…」
気になる言葉が一杯詰まった書名なのです。
※※※
“ アンドロイド ”
2013年夏に大ヒットした日曜劇場『半沢直樹』のあとを受けてTBSが制作したのが、
キムタク主演の『安堂ロイド』。
100年後の世界からやってきたキムタク演じるアンドロイドが、
柴咲コウ演じるヒロイン安堂麻陽(あさひ)を守るために戦うストーリー。
賛否両論渦巻いた作品でしたが、私は面白く拝見いたしましたな。
庵野秀明さんが監修していた『安堂ロイド』、
SFとして大変よく練られていたと思います。
“ オートマタは電気羊の夢を見るか ”
オートマタとは、「機械人形」とか「自動人形」と訳される言葉。
「からくり人形」というほうが馴染みがあるでしょうか。
『宇宙戦艦ヤマト2199』第9話「時計仕掛けの虜囚」。
ガミラスのアンドロイド兵 “ ガミロイド ” に、
人としての意識があるか否か?を問う回で、
唐突に現れたテロップが “ オートマタは電気羊の夢を見るか ”。
これまで全く意味、というか出典が分からなかったのです。
※※※
映画『ブレードランナー』の原作である、
フィリップ・K.ディック著『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
コースケ君が貸してくれるというので、
忙しい日常の合間を縫って読み進めました。
そして年内最終の夜勤を終え、
明けの電車の中で読み終えました。
※※※
終末戦争後の地球。
多くの人類は地球を脱出し、
使役アンドロイドとともに移民惑星で暮らしている。
が、自由を求めて主人を殺したアンドロイドが、
放射能まみれの地球に逃れてくる。
そんなアンドロイド狩りを生業とするリック・デッカードは、
彼ら(それら?)を殺す(処理する?)うちに、
人間とは何か?(アンドロイドとは何か?)に悩み始める。
※※※
SF映画の金字塔といわれる『ブレードランナー』。
以前、観たことがあります。
当時の私はただただ圧倒されるばかりでした。
リック・デッカードを演じるハリソン・フォードはやっぱり凄いな、
これは強烈な印象です。
今回、小説を読んでみて、
また『ヤマト2199』がこの物語の影響を受けつつ作品構成していたことが分かり、
私の胸に去来したことがあります。
それはやはり、
人間とは何か?ということです。
小説の中、
リック・デッカードは、
たった一日で6人(6体?6機?)ものアンドロイドを殺し(処理し?)ます。
その中で、
彼自身がアンドロイドではないか(感情を持たないのではないか)という疑いに捕らわれたりします。
皆さんは、仕事に追われる日常の中、
感情をシャットアウトすることはないでしょうか?
正直、私はあります。
そんな時、自分が嫌になったことはないでしょうか?
自分は感情を持たない存在だと思ったことは?
先程も書きましたが、
私がこの小説を読み終えたのは、
夜勤明けの電車の中。
あまりに激烈な夜勤を終えた私は、
たった一日で6人も殺人(処理?)したリックの心情にシンクロしてしまい、
どうしようもなく疲れがたまってしまったのです。
一体俺は何ものだろう?
毎年のことながら、
年内最終の金曜日のレギュラー練習に参加できたことがありません。
別に呑んでいるからではなく、
どうにもこうにも仕事が終わらないからです。
今年はどうだろうかと思いましたが、
やっぱり仕事は終わらず、
練習に参加できませんでした。
申し訳ありません。。。
寒空の下で2013年12月23日
私がまだタバコを吸っていた頃、
家での喫煙は玄関先などの戸外と決めていました。
真冬の風呂上りでもそうです。
(そういえばよく風邪をひいていたような…)
しゃがみながら紫煙をふうーっと吐き出すとき、なぜか、
「あっ、あの楽節はこんな風に演奏してみたらどうやろ?」
といったアイディアが思い浮かぶのです。
たばこの害ばかりが叫ばれる昨今ですが、
やはり一息ついて脳がリフレッシュされる効果もあるのではないでしょうか。
しかし、思いついたアイディアも、
家に入ると大概忘れてしまっているのです。
常に紙と鉛筆をポケットに入れておくという「アイディア」がなかった。。。
強奏の場面などで、首がガクンと動く指揮者を見たことはないでしょうか?
気持ちが入ると、どうしてもそういう動きになるらしいんです。
そんな訳で、首を痛めてしまっている指揮者さん、
世の中に結構多いようです。
私は首でテンポを感じることはあまりないので、
指揮者を30年弱やっていますが、
幸い首は無事です。
指揮者が体のどの部分でテンポを感じているか?
もちろん腕を振って表現しようとしている訳ですが、
「一番に」感じているのは腕や手とは限らないのです。
私はどうやら「舌」で「一番」感じているように思います。
金管楽器奏者だったことに由来しているのでしょう。
ホルンという楽器はマーチで「後打ち」をすることが多く、
タンキングは生命線だったのです。
「足を踏んでテンポをとるな!」
中学時代の先輩にそう教わりました。
なんだか下手くそっぽく見えるからというのが理由でした。
が、体のどこでテンポを感じやすいかは人それぞれなので、
足踏みしても構わないと思うのです。
問題は、足踏みの動作が大きすぎて、
靴がコツコツと床を鳴らしてしまうことではないでしょうか。
足先(指先)を動かす程度で、靴の中でテンポをとる程度なら、
何の問題もないと思います。
足でテンポをとるのではないというプレイヤーの皆さんは、
一体どこでテンポを感じとっておられるのでしょう。
せせらぎの皆さんを見ていると、
割と真面目にシュッと座って演奏しておられるような気がします。
体がもっと柔らかく動いてもいいように思ったりします。
中学校の吹奏楽部を舞台とした小説『楽隊のうさぎ』。
以前も書いたのですが、
小説の中に出てくる花の木公園で主人公が兎と出会うように、
私も中1の時に兎と出会っています。
また、花の木公園と、
私が毎日通学路として利用した京都御苑とは、
一周を歩くと約一時間かかるという共通点があるのです。
この不思議な符合はなんなのでしょう?
部活のこととか、クラスでのこととか、
似たような経験があると思われるところがあり、
妙な既視感に囚われる小説でした。
しかし、小説の舞台となる花の木中学校吹奏楽部は全国大会の常連であり、
これは私の中学時代とは全く違いました。
音楽のことでは、顧問の先生の
「高揚することと、走る(テンポが速くなってしまう、転がる)こととは同じではない」
という言葉が印象的でした。
ピタッときました。
舞台用語では、
客席の方から見て右側が上手(かみて)、左側が下手(しもて)。
小説の中で、これを取り違えてしまった箇所があったような気がするのですが…
私の気のせいかな…
もの創り2013年12月16日
12月15日(日)。
夜勤明けで『武士の献立』を観た帰り道、
寺町丸太町から大文字山の方を望むと、
きれいな虹がかかっていました。
時雨れていましたからね。

さて、帰宅してかばんを置くとすぐ、
近所の酒房「たなかや」に出掛けました。
「楽しもう会」に参加するためです。
たなかやでは、半年に一回くらいの割合で、
どなたかの講演を聴き、
そのあとでざっくばらんな呑み会となる「楽しもう会」を開いておられます。
たなかやに入り浸りの私ですが、
「楽しもう会」のときはなぜかスケジュールが合わず、
今回が初めてでした。
この日の講演者は女将さんの旦那さん。
漆芸をしておられます。
一番印象に残ったのは、
「ものづくり」の「つくる」にどういう字を当てるかということ。
「作る」でも「造る」でもなく、
「創る」の字を自分は当てはめたいと。
そう念じながら仕事をすると、
「創作」の意欲が衰えないんだそうです。
勉強になりました。
漆を塗る前の木の椀に触らせてもらいましたが、
ふにゃふにゃでやわらかいものでした。
これに何度も何度も漆を塗っては整える、
というより漆を沁み込ませていくらしいのです。
すると、あのガチッと堅いお椀になるのです。
もうホントに、何度も何度も。
気の遠くなるような時間をかけて。
「もの創り」には途切れることのない情熱が必要なんだなと痛感しました。
先日の団内発表会で、
久しぶりにアルト・クラリネットのナマ音を聴きました。
現在、育児休団中のK藤さんが一時的に復団、
クラリネット八重奏に参加されたのでした。
アルト・クラリネットというと、
音が鳴らないとか、
なんで編成されているのか分からないとか、
とかく手厳しく評価されがち。
しかし、K藤さんがプレイするアルト・クラリネットは、
そんな巷の声を黙らせてしまいます(ちとオーバーか…)
アルト・クラのイメージを覆すしっかりと太い音を出されるのです。
しかも音色があま~い。
そういえば、アルト・サックスのイメージ、
やっぱり甘い音色だよな。
稀にアルト・オーボエという呼び方をするイングリッシュホルン(コール・アングレ(コーラングレ))も
憂愁の色を帯びた甘い響きが印象的。
中学時代になぜか一台だけ吹奏楽部の部室に置いてあったアルト・ホルン。
私が吹いてもからっきし駄目でしたが、
2期上のK島先輩が吹くと、
とても甘い音がしました。
アルトっていうのは、甘い音色の代名詞なんでしょうか?
アルフレッド・リード作曲『第5組曲』。
第3楽章は6/8拍子です。
これはかなり難しい。
どんな楽曲に取り組むときもそうですが、
今回は特に音楽の土台作りが大切だと痛感します。
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