『浅田家!』は『おくりびと』以来だった2020年10月4日

予告篇と、実際の映画とで、印象が全く違う。
言葉は悪いけど「騙された」と思うこと、ちょくちょくあります。

『おくりびと』は、予告篇の期待を大きく上回る映画でした。
もう12年も前の映画ですな。

先週観た『浅田家!』。
予告篇で高まった期待を絶対に裏切らない映画に違いないと思っていたのですが、
正にその通りでした。
『おくりびと』と同じく、
期待を大きく上回る作品だったのです。

「浅田」という苗字。
浅からぬ縁があります。

A さんは、
通っていた中学校は別々なんですが、
中学時代に知り合いました。
合同バンドの練習だったと思います。

同じベクトルで高校に進学した俺たちは、
同じ高校の吹奏楽部の戦友となりました。

A さん、つまり、もうバレバレの浅田君は、
テューバからバスーンにコンバート。
当時はいろいろありましたが、
今や押しも押されもしないバスーン奏者。
早く京都に帰ってきてほしいと願っています。

映画の話に戻ります。

写真家・浅田政志さんの半生を描いています。
彼が撮るのは家族写真。
思わず「クスッ」と笑いたくなるような、
微笑ましい写真がいっぱいです。

僕は植田正治さんの「演出写真」を思い出しました。
独特な構図で家族の写真を撮った植田正治さんの写真美術館にも行ったことがあります。
何だかとても心温まる印象なんですな。

浅田政志さんが植田正治さんを意識していたのかどうかは分かりませんが、
私は、
二人の写真には相通ずるものがあると感じました。

主演のニノが素晴らしかったです。
その彼女、
ゆくゆくは結婚する役どころの黒木華さんも素晴らしかった。
思えばこのお二人、
『母と暮らせば』でも共演してましたね。

黒木華さんは、
先日観た『甘いお酒でうがい』の演技も素晴らしく、
何だかいっぱい賞をとっちゃいそうな勢いだと感じます。

パンフレットがちょいとお高めでしたが、
ほぼ写真集という態ですから、
仕方ありませんな。
こんなに楽しいパンフも珍しいと思います。

そして監督は、
『油を沸かすほどの熱い愛』の中野量太さんでした。
熱い映画でない訳がない!

京都こども文化会館ありがとうコンサート(7)2020年10月4日

5曲目『宇宙戦艦ヤマト』を演奏した後はトランペットの K さんのコメント。
団員数が少なかった頃は、
「もう今日は誰も来そうもないし、呑みにいこか」っていうの、よくあったね。

6曲目はそんな時代、
1988年の第3回せせらぎコンサートで演奏した『オーメンズ・オブ・ラブ』。
途中から涙腺が危なくなってきました。

第3回せせらぎコンサートの第1部は、
現在、名古屋フィルで首席フルート奏者を務めておられる、
中学の先輩 F さんの指揮。
私は第2部の指揮を務めさせていただき、
それが指揮者デビューでした。

大学の2年生だった私は、
人生で一番馬鹿で、苦しい毎日を送っていました。
他の誰のせいでもなく、
自分自身で招いた馬鹿さ加減のせいで、
自分で自分を苦しめていたのです。
そして周囲の皆さんにも多大なご迷惑をお掛けしていました。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

第3回せせらぎコンサートの取りだった『オーメンズ・オブ・ラブ』は、
今回、どうしても演奏したかった楽曲でした。

ユーフォニアム M さん、
トロンボーン T さんのコメント紹介の後、
ラスト・プログラム『ニュー・シネマ・パラダイス』演奏の前、
私の挨拶となりました。

何度も何度も推敲し、
何度も何度もしゃべる練習をしましたが、
泣かずに出来たことは一回もありませんでした。
ここに全文を掲載します。

※※※

いつもの「せせらぎ」ですと、『オーメンズ・オブ・ラブ』で賑やかに終わるところですが、今日は『ニュー・シネマ・パラダイス』で締めくくりたいと思います。

今年の7月に亡くなったエンニオ・モリコーネが音楽を担当した、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』。
シチリア島の、小さな町の、唯一の娯楽の場所と言ってもいい映画館、パラダイス劇場。
その映写技師・アルフレードと、少年トトの友情を描いています。
大人になって町を出たトトは、映画監督として成功します。
それから30年、アルフレードが亡くなったという知らせを受けて、トトは初めて故郷に帰ります。
彼がそこで出会ったのは、慣れ親しんだパラダイス劇場の、閉館後の姿でした。

こども文化会館で演奏させていただくラストの楽曲は、『ニュー・シネマ・パラダイス』をおいて他にあり得ない。
その思いで選曲いたしました。

僕たちのパラダイス劇場、こども文化会館。
ありがとう、そして、さようなら。

※※※

『ニュー・シネマ・パラダイス』演奏後、
舞台の衣川さんから猛烈なカーテンコールをいただき、
K さん作曲の『コラール in B♭』でアンコールに応えました。

京都こども文化会館ありがとうコンサート(6)2020年10月4日

一人一人が思い思いの昼休みを過ごした後、午後2時、開演。
懐かしい響きのブザーを聴いたら、いざ、本番。
「京都こども文化会館ありがとうコンサート」は『威風堂々第1番』で幕を開けました。

司会はクラリネット奏者の A さん。
司会原稿はテューバ奏者 兼 副指揮者の K さんが、
ベテラン団員にインタビューして構成してくれました。

2曲目の『花は咲く』の後で、
コンサートマスター U さんのコメントが紹介されました。
こども文化会館は京都市電・北野線の車庫跡に建設されたものです。
ホール玄関の外には、市電の記念レリーフがあります。

また、名物のからくり時計も。

閉館となってもこれらは残してほしいとのコメントでした。

3曲目の『オリエント急行』を演奏した後、約10分の休憩。
客席には20~30人程度の関係者の方々がいらっしゃいました。
奏者が客席へ降りて談笑したり、
奏者のご家族が逆に舞台上に上がって来られたりと、
普段の本番では考えられないことが出来たのも、
「ありがとうコンサート」ならではでした。

ユーフォニアムの F さん、
サックスの S さんのコメントが紹介された後、
4曲目の『恋のカーニバル』を演奏しました。

次のコメントはパーカッション・リーダー K さん。
1989年の5楽団合同演奏会「音楽の病」でステージマネージャーをしてくれた時の思い出を語ってくれました。

そもそも、第4回せせらぎコンサートを開催するために、
当時まだ「堀川吹奏楽団」と称した「せせらぎ」がこども文化会館を借りたのでした。
にもかかわらず、
団員数不足で「せせコン」を開けそうもない。
そんなこんなで、当時、吹奏楽連盟の行事に合同出演することの多かった4つの楽団に声を掛け、
合同演奏会をすることにしたのです。
その演奏会の名前が「音楽の病」。
音楽という病に憑りつかれた者たちの「病膏肓に入る」音楽会、
そんな思いを込めました。

ただ、私たちは大きな間違いを犯していました。
こども文化会館に申し入れず、勝手にことを進めていたのです。
主催者が「堀川吹奏楽団」から「5楽団合同バンド」に変更となっている訳ですから、
きっとお堅いことを言えば「堀川吹奏楽団」としての予約を一旦返上し、
「5楽団合同バンド」で予約し直さないといけなかったのだと思います。
若い僕らはそんなことも分かっていませんでした。

会館からはこっぴどく叱られました。
が、予約取消となることもなく、
「音楽の病」を開催することが出来たのです。
きっと、
「こいつら若いし、しゃあないな、今回はまあ大目に見といたろか」
と思ってくださったのだと思います。

「音楽の病」は2部構成。
第1部はクラッシク、第2部はポップスというお馴染みの形。
第2部の指揮を私が務めました。

小なりとは言え、何せ5つも楽団が集まっています。
人数もさることながら、タレントが豊富。
急・緩・急で構成した6曲を、
司会なしの音楽のみで押しまくるというプログラムを組んだのでした。

その取りが『ローマの松』から ” アッピア街道の松 “。
金管楽器奏者が沢山いてるんやから、
バンダ(別働隊)を客席の後ろに配置。
ドラムを叩くことが出来る人が3人もいるんやから、
舞台の下手、上手、そして雛壇の上に配置。
バンダとトリプル・ドラムで圧倒的な音響空間を作ろうとしたのでした。
(ポップスでもなく、ドラムの入る楽曲でもないのに!)

演奏後、割れんばかりの拍手が鳴り響き、
緞帳を降ろしてもカーテンコールが鳴りやまないという、
凄いことになったのでした。

予定していなかったアンコールを急きょやることになり、
” アッピア街道 ” の途中からもう一度やることにしました。
そんな大わらわの舞台裏を取り仕切ってくれたのが K さん。
あの時はホントに苦労をお掛けしました。
会館の皆さんも、
急なお願いを聞いてくださって、
本当にありがとうございました。

一度降ろした緞帳を再び上げてもらう経験、
後にも先にもこの一度だけです。

京都こども文化会館ありがとうコンサート(5)2020年10月4日

舞台セッティングがシンプルなら、
色付き照明もなし、
マイクを通して音の増強を図る演出もなし。
実にシンプルで、広々とした舞台。

その気になれば9時30分や10時からでもリハーサルを始めることが出来たかも知れません。
が、プレイヤーの皆さんの練習量が絶対的に不足しています。
朝の自由時間をたっぷりめにし、
じっくりウォーミングアップしてもらうことにしました。

リハーサル開始は「せせコン」と同じ10時30分。
ただし中身はいつもの「せせコン」とは違います。
【ゲネプロ】ではなく【リハーサル】なのです。

いつもの「せせコン」だと、
午前中のこの時間は会館の音響さん・照明さん等と合わせることがメインで、
私たちの練習ではないというスタンス。
それまでの練習を踏まえて、
あくまでも本番と同じことをする。
イコール、ゲネプロなのです。

でも今回は、
会館側と合わせなければならないことが殆どありません。
この日が初めての参加という方もいらっしゃいます。
長年、京都こども文化会館をお借りしてきましたが、
舞台を借りての純然たる練習はこれが初めてでした。

まずは呼吸合わせ。
テューバ奏者 兼 副指揮者 K さん作曲の『コラール in B♭ 』。

12ある長調。
楽団の成長のためには、
それぞれの調に即したコラールが必要だと考えました。
世の中を探せば見つかるのかもしれませんが、
せせらぎオリジナルの方が面白いそうだなと考えて、
K さんに作曲をお願いしたのでした。
『コラール in B♭ 』はその第一作。

調を変えて、既に8曲も作ってもらっています。
が、ここのところはリハビリ期間でもあったので、
基本中の基本である『コラール in B♭ 』ばかり練習していました。

ここからは演目7曲の練習。

いつもなら一曲通して、
会館側との申し合わせ事項に問題なければ次の曲へ。
もしもズレが生じたらその箇所だけを抜きだして音を出す。
そんな流れですが、
前述の通り、この日は私たちの練習です。

もちろん、本番当日の練習のし過ぎは良くないので、
さっと通して終わることが出来る曲は通しました。

が、やっぱり練習をちゃんとしとかんたマズいな、という曲は、
しっかり小返し。
このような曲は逆に通し稽古を回避し、
体力の温存を図りました。

『威風堂々第1番』
『オリエント急行』
『ニュー・シネマ・パラダイス』
この3曲にはたっぷり時間を使いました。

リハーサルは2時間の予定。
特に綿密な時間割を作った訳ではありませんが、
やってみたら1時間50分。
限られた時間内での練習を何年も積み重ねると、
不思議とこんなことが出来るようになっていました。