2009年11月

芸事の神様2009年11月30日

11/27(金)、ホルンに新入団員を迎えました。
また、この日は仕事の都合がうまくついた人が多かったのでしょうか、
合奏参加人数が多く、賑やかに合奏できました。

『コーラル・ブルー』の初合奏、
『ぐるりよざ』は4回目で、再び第1楽章。
まだまだ道のりは遠い、そんな感じでした。
ある程度流して曲調をつかんでもらうようにすること、
ある程度こだわって音やリズムの間違いを修正していくこと、
ある程度こだわって音楽作りに入り込んでいくこと、
これらのバランスをとっていくのがホントに難しい。

そんな訳で今週は車折神社にお参りに行ってきました。
芸事の神様です。
噂には聞いていましたが、有名人の玉垣がいっぱいあるんですね。
祈りが通じるといいのですが。

おじさん、オバサンになっても2009年11月24日

11/20(金)、『ぐるりよざ』3回目の合奏です。
今回は第3楽章“祭り”。
とても面白い楽章です。
グレゴリオ聖歌と長崎ぶらぶら節が渾然一体となったような。
コーダはショスタコ5番のエンディングのように荘厳です。
稽古を積んで、音楽に深みを持たして行きたいものです。

『交響的序曲』を約1ヶ月続けてきたので、
この日をひとまずの最終回としました。
本来ハイ・テンポの箇所はまだまだゆっくりですが、
次にこの曲に取り組む際には少しずつ速めていこうかと思います。

とにかく次週は『コーラル・ブルー』に替えましょう。

さて、この日のアフターはアラフォー呑み会となりました。
(20代の方々もいらっしゃいましたが、
もうとにかく、オバサンが元気で元気で…)
長いこと音楽やってきたもんだとシミジミ思いました。

そういや、僕は来年アラフィフになっちゃうな。
数年したらオーバー・フィフティーだな。

そんな訳で翌日の土曜日には映画『僕らのワンダフルデイズ』を観に行きました。
いくつになっても音楽仲間がいてくれるというのは、
ホントにありがたいとつくづく思う週末でした。

リベンジ2009年11月9日

11/13(金)、『吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」』2回目の合奏。
前回、とりあえず第1楽章を経験したので、
今回は第2楽章“唄”。

龍笛のソロでスタートしますが、
多くの楽団がそうするように、
せせらぎでもピッコロで演奏してもらいます。
ソリストはせせらぎでの活動20周年を迎えるマキちゃん。

Lento 4分音符=約30 というテンポ設定。
2秒で1拍。3拍子なので1小節6秒というすごい遅さ。
曲頭15小節間は、完全にピッコロだけの演奏なので、
私はタクトを振らないでおこうと思います。
打楽器が入ってくる16小節目から振り始めます。
少しテンポ・アップしますが、
それでも4分音符=約48。
音楽に少し勢いが出る35小節目でも、
4分音符=52ー56。

思えば、指揮者としての苦闘が始まったのは、
この遅い楽章を振った約10年前に遡ります。
吹奏楽連盟主催の「指揮者クリニック」が開かれたのでした。
その際の課題曲が『ぐるりよざ』だったのです。

応募した指揮者たちは、3つの楽章のうちの一つを選んで振ります。
一人当たり20分の持ち時間。
ほとんどの人は第1楽章か第3楽章を選びます。
が、緩い楽想を振るのが苦手な私が選んだのは第2楽章でした。

苦闘はいきなり始まりました。
私が振り始めるのは16小節目からだと宣言したにもかかわらず、
モデル・バンドは全く音を出してくれませんでした。
指揮者にとっても奏者にとっても厄介な超スロー・テンポ。
そして指揮者にとって辛い完全アウェーでの棒振り。
さらに私が左利きであることも悪影響だったかも知れません。
持ち時間20分のうち、10分はとにかくバンドを指揮し、
残り10分で講習を受けるというクリニックでしたが、
私に関しては指揮ゼロ、ほとんどが講習となる異例のクリニックとなりました。
悔しかった。

このクリニックを受けるまで、
指揮の基本練習は、4分音符=60で、
打点をはっきりさせる「叩き」といわれる技法だけ練習していました。
が、これ以降、
4分音符=48に落とし、
「叩き」だけでなく、
「しゃくい」や「平均法」といわれる技法も練習してきました。

まさか、『ぐるりよざ』を振る機会み恵まれるとは。
私にとってはリベンジのチャンスです。
これからどうなっていくか分かりませんが、
とにかく約10年間の研鑽の結果を試してみたいと思っています。

腹を決めて演奏する2009年11月8日

11/6(金)、『吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」』の合奏を始めました。
まずは第1楽章“祈り”。
この日強く感じたのは、腹が決まらないことです。

不協和音も、敢えてずらしたリズムも頻発するのですが、
初合奏ということもあって各プレイヤーが迷いつつ演奏するので、
いよいよ音もリズムもはまらない状態でした。
このレベルの曲になると、仕方ないでしょうか。

とはいえ、次回の合奏では、
私からも噛み合わせ具合がどうなっているか説明しつつ、
もう少し「はまった」合奏となるよう努めたいものです。

各奏者も、勉強しておくことが大事です。
そして、腹を決めて、といいましょうか、
腹をくくって演奏してほしいな、と。

この日はもう一曲、『交響的序曲』も合わせましたが、
後半部の途中で時間切れ終了。
合奏の時間配分、とても難しいです。

再会2009年11月4日

私は長くつきあえる友達に恵まれました。
中学以来32年の友人、高校以来29年の友人も
せせらぎで音楽活動を続けています。
そんな中、せせらぎで知り合って25年の友人T君とは、
年賀状のやりとりをするくらいで、
ここ10年くらい会っていませんでした。
5年くらい前に、地下鉄の駅で偶然すれ違ったことがありましたが。

小学1年以来38年の友人でテューバ奏者だったM君(現在は退団)の紹介で、
バリトン・サックス奏者のT君がせせらぎにやってきました。
彼等は職場の同僚でした。
実家が綾部のため、T君は京都で一人暮らし。
よく、私の家に清酒「上善如水」を持って遊びにきました。
私はポテトチップスで歓待。二人でどんどん肥えていきました。

今でこそ楽器のソフトケースが発達していますが、
当時ハードケースしかなかったバリサクの運搬は大変で、
よく私のシルヴィアで運びました。
これがまたトランクにピタッとはまるのです。
なんだか専用車みたいな感じ。

よく徹マンもしました。
忘れられないのが、6巡目に私が3ピンを捨てた時のことです。
T君に「ロン!」を食らいました。
なんと四暗刻の単騎待ちでダブル役満。
あれは凄くショックでした。

そんなT君も仕事が忙しくなり、また結婚して家族もでき、
なかなか楽団の活動が続けられなくなり、遂には退団しました。
その際、バリサクを楽団に置いていってくれました。
以来、何人かのサックス奏者が交代でバリサクを使わせてもらってきました。

しかし、痛みが激しく、遂にオーバーホールの必要に迫られるようになりました。
今までT君の厚意で借りっ放しだったバリサクを、
この際、私のものとして買い取らせてもらうことはできないだろうか。
そのお願いをしに、11/1(日)、ホント久しぶりにT君と会いました。

髭を生やしたこととタバコをやめたこと以外、
何にも変わっていない昔のままのT君。
バリサクを買い取らせて欲しい旨申し出ると、
快く応じてくれました。
ただ、彼の中にも、いつかはプレーヤーとして復帰したいという思いがあったそうです。
現に中学1年の娘さんが吹奏楽部でトランペットを吹きはじめ、
自分もいつかはという気持ちがふつふつと沸き起こってきた、と。

でも、私が所有するということで、納得してくれました。
ちゃんと修理して、これかも大事に使わせてもらおうと思います。
ありがとう、竹やん!