2014年03月
昨日(3月28日)は、練習に参加できませんでした。
申し訳ありません。
副指揮者を兼任してくれている団長のK藤さんが欠席せざるを得ないと事前に聞いていたので、
「何とか早く仕事を終わらせて京都に戻らなければ」と焦りましたが、
どうにもこうにも仕事が終わらず、
結局22時過ぎに京都に帰り着くという有様でした。
合奏のほうはコンサートマスターのU野さんが取り仕切ってくれたとのこと。
ありがとうございました。
年度末を何とか乗り切りましたので、
来週はこんなことにはならない筈です。
えっ?職場の上司に「花見酒しよう!」と誘われたらどうするかって?
そんなもん、断ります!
古関裕而(こせき・ゆうじ)さん作曲の『東京オリンピック・マーチ』。
1964年の東京オリンピックの開会式や閉会式で演奏された行進曲で、
世界的なマーチの名曲です。
この度、せせらぎで演奏することになったのですが、
済みません、私の記憶の中には全く残っていませんでした。
自宅の CD を調べたら、この曲が収録されているのが何枚かありましたが…
しかし、実際に合奏してみて、
そんでもって CD を聴いてみて、
「なんていい曲なんやろ!」と思いました。
(プレイヤーの皆さんにとっては「しんどいな、この曲…」という印象のほうが強いかな?)
気がつけば鼻歌で歌うくらい気に入りました。
「にもかかわらず、俺は無知過ぎるのではないか?」
ということで、古関裕而さんについてちょっと調べてみました。
すると、意外なことが分かりました。
※※※
・1936(昭和11)年 27歳
『大阪タイガースの歌(阪神タイガースの歌)』
(通称:六甲おろし)作曲
意外なことというか、「あっ、そう言えば!」って感じ。
テレビでプロ野球中継を観ていて、阪神が勝って『六甲おろし』が流れるとき、
古関裕而作曲というクレジットを見たことがあるような。。。
※※※
・1948(昭和23)年 39歳
全国高等学校野球大会の歌
『栄冠は君に輝く』作曲
いわゆる夏の甲子園の大会歌ですな。
この曲にしたって、絶対クレジットを見たこと、あるよな。。。
※※※
・1952(昭和27)年 43歳
4月にNHK連続ラジオドラマ『君の名は』放送開始
(昭和29年4月まで放送)その主題歌を作曲
この曲の印象は全くありませんが、
超有名なドラマですわな。。。
※※※
・1964(昭和39)年 55歳
『オリンピック・マーチ』作曲
頭に “ 東京 ” と付くようになったのは、
東京オリンピックの後かも知れませんな。
私個人としましては、
『東京オリンピック・マーチ』と呼ぶよりも、
『オリンピック・マーチ』と呼ぶほうが好きですな。
ちなみに、スコアの表紙
『 Yuji Koseki OLYMPIC MARCH 』。
なんか、いいでしょ?
※※※
夥しい数の校歌を作曲されたそうです。
特に出身地である福島県が多いようですが、
・京都市立加茂川中学校校歌
というのもありました。
おいおい、コンサートマスターU野氏の出身校やないかいな!
(今回の稿を書くにあたり、
「福島市古関裕而記念館」のホームページで勉強させていただきました。
ありがとうございました)
『シンフォニア・ノビリッシマ』の楽譜点検作業、
何とか終了しました。
各パート譜に朱を入れたものPDF化し、
楽団ホームページの「団員専用ページ」にアップしました。
楽員の皆さんはそちらをご覧いただき、
各自の楽譜を修正していただければと思います。
修正点はそんなに多くありませんので。
『シンフォニア・ノビリッシマ』の出版は1960~70年代。
その頃の楽譜作成にコンピュータが使われていたとは思えませんし、
結構間違いが多いのです。
(コンピュータを使ったからといって間違いがなくなる訳でもありませんが…)
しかし、『シンフォニア・ノビリッシマ』は優秀な楽譜でした。
特に、アメリカの出版社から版権を買った、
音楽之友社の校訂作業がほぼ完璧だったといってよいでしょう。
私が直した音程の間違いはほんのちょっとでした。
アーティキュレーションの微妙な間違いを直すのがほとんどでした。
時間はかかりましたが、
楽譜の修正作業がこんなにストレスなく行えたのは初めてでした。
しかし、やっぱり老眼はより一層進んでしまったようです…
花粉症の最盛期(?)を迎えております。
話題のPM2.5や黄砂も相まって、より酷いことになるのでしょうな。
ところで、くしゃみの暴発はなぜ起きるのでしょうか?
そりゃ、花粉症なんだから、花粉のせいだと思いますが、
本当にそれだけ?
もしかして、体温調節の失敗が花粉症を酷くしているのでは?
屋外から屋内に入った途端にくしゃみが出る、
という経験をしたことはないでしょうか?
私はよくあります。
特に花粉症の時期と重なる春先に多いです。
春といっても朝晩は冷えるし、
つい冬場と同じ服装で出掛けてしまいます。
歩いていると暑くなってきます。
そして電車に乗ります。
何と暖房が効いています。
体に熱がこもります。
くしゃみが暴発します。
こんなことが多いのです。
それなら、薄着にしておけばくしゃみ暴発には至らないのでは?
上着は着ておかなきゃ仕方ないとして、
その下にセーターを着るのはやめ、
シャツも薄手のものに変えてみました。
できるだけ放熱しやすくしてみたのです。
その結果、
暖かい屋内に入ってもくしゃみ暴発が起きない日もあります。
でも、ダメな日はやっぱりダメです。
今のところまだ何とも言えませんが、
くしゃみ暴発の頻度は下がったかな、
くらいの印象です。
私としては薄着作戦を続けてみようと思いますが、
誰にでも当てはまるかは分かりません。
風邪をひいては元も子もありません。
(まだまだインフルエンザに罹ったという話も聞きます)
花粉症に苦しむ皆さん、
それぞれに合った対処法を見つけて、
何とかこの季節を乗り切りましょう。
1987年のアメリカ映画(日本公開は1988年)『ロボコップ』。
最初に観たのは確かテレビ朝日の『日曜洋画劇場』でだったと記憶しています。
アメリカでは「R指定」だったそうですが、
確かに激しいバイオレンスでした。
が、この映画の本質は、
人間と機械を合体させて作り上げたサイボーグは「人間」なのか「機械」なのか、
そして「人間性」とは何なのかを問う、
実に深~い作品だったと思うのです。
このオリジナルの『ロボコップ』では、最初、
アレックス・マーフィー(殉職後、ロボコップとして蘇らされた警察官)には人間としての記憶がありません。
が、自らが殺された事件を捜査していく中で、
少しずつ人間であったときの記憶を取り戻していきます。
それでも彼はサイボーグなのです。
『ロボコップ2』では妻子の周りをストーカーの如くつけ回して恐れられ、
犯罪組織にはバラバラにされて、
本当に人間なのか機械なのかを考えさせられました。
(『ロボコップ3』では遂に空を飛び、「こりゃやり過ぎだな」とさすがに幻滅したものです…)
今回リブートされた『ロボコップ』では、
瀕死の重症を負ったアレックス・マーフィーを救うため、
奥さんが「サイボーグ化手術」に同意するのです。
なので、奥さんもお子さんもロボコップとなったアレックスを割りとあっさり受け入れるし、
アレックス自身も最初から人間としての記憶を保持しています。
監督自身が狙ってこういう風にしたらしいのですが、
私にはどうもしっくり来ませんでしたな。
アレックス自身は、この後、逆に人としての感情を奪われたり、
それを自らの力で取り戻したりと、
やはり人間性とはなんぞやと考えさせるつくりにはなっていたので、
『ロボコップ』の底力恐るべしと思いました。
オリジナルの『ロボコップ』は比較的低予算で作られたからか、
あるいはその時代の技術の限界か、
どうしてもチープな映像に見えてしまうところが多々ありました。
(それが「味」でもありましたが…)
リブート版『ロボコップ』は、
そういう点から見るとすごく贅沢な映像だなと感じました。
※※※
さて、前回のひとりごとの訂正をひとつ。
せせらぎの混声五重奏チームを「じゅうちん」と紹介しましたが、
正しくは
「じゅうちん
⇔ 」
と申します。
(2行に及ぶのが正しい表記だそうです)
⇔があるかないかで大違い。
「じゅうちん」を引っくり返して「ちんじゅう」と読まなければなりません。
大変失礼いたしました。
追伸:さらに私の感想
「じゅうちん」のままでええんとちゃいます?
3月21日。
金曜日であり、春分の日。
夜はレギュラーの合奏ですが、その前、昼下がりのひと時、
亀岡市にある「 cafe galle (カフェガレ)」でコンサートを開きました。
といっても、楽員全員による大規模なコンサートではなく、
アンサンブル・チーム2組によるミニ・コンサートです。
そんな訳で私はタクトを振る必要がないので、
一聴衆として cafe galle に赴きました。
※※※
その前に…
もうすぐ windows XP のサポートが終了するそうですが、
My PC = windows XP なのです。
この原稿を書いているのも、まさに windows XP 。
パソコンを買い換えたほうがいいのかな?
よく分からないけれど、まずは今どきの機種をいろいろ見てみようと思い、
京都駅前のヨドバシカメラに立ち寄りました。
パソコンもパソコンですが、
私のカメラは今でもフィルム・カメラなのです。
好きだからそれはそれでいいようなものの、
「指揮者のひとりごと」にアップするにはデジカメのほうが便利ですわな。
今のところスマホでの不便を感じることはありませんが、
やっぱりデジカメのほうがいいかもな。
…ってな訳でパソコン売り場に行く前にデジカメ売り場に寄ったら、
説明しまくる店員さんに囲まれて身動きが取れなくなってしまいました。
「3/23までに買っていただければ、
この機種なら5000円のキャッシュ・バックがあります!
あの機種なら7000円です!!」
いやはや、凄い!
消費税アップ前の駆け込み需要を狙って買わせようと頑張ってはるんですな。
「ええなぁ~」と思えるものもありましたが、
ここは冷静に、冷静に…
それにしても、パソコン売り場に行く時間がなくなってしまいました…
※※※
京都駅から亀岡行きの普通に乗車。
約25分で馬堀に到着です。
そこからは予め地図で調べておいた途を cafe galle に向かいます。
ビックリする寒さです!
いや~っ、革ジャン着て、真冬のトレッキング仕様のインナーを着込んでおいて、
ホントに良かった。
何せ、みぞれ混じりの強風なのですから。
傘が役に立たない!
国道9号線に出て、
大型ショッピング・センターのアルプラザを越えて、
京都縦貫道の篠インターに向かって歩いていたら、
唐突に cafe galle と巡り会いました。

まさか、こんなところにこんな素敵なお店が(失礼!)

店内に入ると既にほぼ満席で、
アルト・サックスのS野さんのご主人に導いていただき、
特等席に座らせていただきました。
すると、コンサート前のリラックス状態でしょうか、
楽器たちも本番前のひと休みをしていました。

まず、クラリネット四重奏のチームが、
ディズニーの名曲を奏でていきます。
このチームには新人2人が入っていますが、
なかなか堂々とした演奏です。
聞けば、二人でカラオケボックスで練習したこともあったとか…
テンポの「芯」が見えなくなることがしばしばありましたので、
何を基準として演奏しているかの意識を持てば、
さらにいい演奏ができそうですな。
2チーム目は混成五重奏。
フルート
オーボエ
アルト・サックス(曲によってはソプラノ・サックス持ち替え)
テナー・サックス
ホルン
の5人で、
この演奏会では発表されなかったけれども、
コードネーム「じゅうちん」。
もちろん、「重鎮」な訳です。
(よくそんな名前、自分たちに付けたな…)
えっ、演奏の感想ですか?
そんな、重鎮の方々に感想なんておこがましい…
っていうか、よう言いませんがな…
まっ、どんな形にせよ、
本番を踏ましていただくというのはありがたいことです。
現に、夜の合奏で、
クラリネットのまとまりがとても良かった。
音色、アーティキュレーションどれを取ってみても、
かつてない良さだったと思います(この時期として)。
こうして精進し続けましょうな。
3月16日(日)は楽団内のアンサンブル発表会。
クローズド・イベントではありますが、本番は本番。
何より、仲間に聴いてもらうのは凄い緊張感。
聴くほうもなんだか緊張してしまいます。
夜勤明けで駆けつけるので、
全部は無理でも何団体かは聴くことができるかも、と思っていましたが、
諸般の事情により出演団体が減ってしまったので間に合いませんでした。
発表会終了1時間後からは合奏の予定なので、早めに昼食を摂りました。
そしてJEUGIAに立ち寄り、タクトを買いました。
グラス・ファイバー製で、34cmのタイプ。
グリップのところは丸いコルク。
いろいろ試した結果、私の手に一番馴染むのがこれです。
今回買ったのも同じもの。
1575円でした。
前に買った時も、こんなに安かったかな?
4000~5000円くらいしたような気がするんやけど…
タクトを指先で掴む辺りに、
私は独自にフェルトを巻きつけます。
滑り止めのためです。
長年そうやって使ってきましたが、
もしかするとタクトの性能を損なっているかも知れないと思いはじめました。
というのは、最もバランスがよくなるように設計されているものを、
フェルトを巻くことで、
微妙ではありますが重心をずらしてしまっているのではないか?
そこで、同じものをもう一本買い、
それには何の細工もしないで使ってみよう、
そしてフェルトを巻いたものと比べてみようと思ったのです。
この日の合奏では、
フェルトを巻いたものは使わず、
新調したものだけを使ってみました。
はてさて、新しい指揮棒だと気付いた方はおられましたかな?
まだ一回しか使っていないのであまり感想はありません。
ただ、フェルトを巻いていると指先の使い方が限定されてしまうのに対し、
何もしていないタクトは持つところが細いからか、
いろんな握り方、というより摘み方ができるなと感じました。
いろいろ試してみたいと思います。
岩井俊二さん作詞、菅野よう子さん作曲、
NHK東日本大震災復興支援ソング『花は咲く』。
“ 歌 ” のCDは以前から持っておりましたが、
先日、JEUGIAで “ 器楽 ” 版を見つけ、購入しました。
『花は咲く』はとてもいい曲。
菅野よう子さんの作曲が素晴らしいのはもちろんですが、
岩井俊二さんの詩を “ 読む ” だけでも心が震えるし、
プロジェクトに参加した方々の様々な “ 声 ” そのものが魅力的。
これを、詩も歌声もない「楽器」だけで表現するのはとても難しいと思います。
が、1月に任天堂の吹奏楽団の定期演奏会を聴きに行った際、
フルート四重奏の素敵な『花は咲く』を聴いたのです。
このとき、楽器だけによる『花は咲く』の演奏の可能性に気付きました。
器楽版のCDには、
管弦楽、吹奏楽、フルート・ソロ、アルト・サックス・ソロ、ギター・ソロ
の5つのバージョンが入っています。
いずれも素晴らしい演奏、素晴らしい編曲でした。
中でも、吉松隆さん編曲の管弦楽版が一番心に残りました。
なぜこんなにいいのだろう?
割とスッキリした、
言葉は悪いが普通に編曲しただけのような感じなのに。
吉松隆さんの人柄が滲み出ているのでしょうか。
花粉の飛散(悲惨?)がいよいよ本格化してきたようです。
黄砂や、
最近はPMなんとかも混じり、
どんどん酷いことになってきているように感じます。
管楽器奏者にとって、本当に辛いですね。
私は管楽器演奏からは身を引きましたので演奏上の辛さはありませんが、
普段の暮らしの上で目が痒くて仕方ありません。
(今のところ、なぜか鼻はマシです)
もうどうしようもないということならば、
どうぞ遠慮なく休んでください。
休養もひとつの練習と考えましょう。
しかし、いざ練習に参加したならば、
共に苦しみながらではありますが必死で練習しましょう。
この季節は仕方ないのだと諦めて、
いや、覚悟を決めて。
朝から普段と変わらない半日を過ごしつつも、
なんとか14時46分までには帰宅し、
追悼式を観るべくテレビをつけ、
ガイドに従って1分間の黙祷。
ここ数日、
3年目の3月11日を迎えるにあたり、
何を書こうかと思案していましたが、
やはり、
自分の身の回りのことを書くのが正直だと思いました。
あの日は、まだ存命していた母がテレビを観ていて、
「東北地方で大きな地震が起きたらしい」
と教えてくれたのが私にとっての第一報でした。
それから夕方まで、私はテレビにかじりつきました。
津波の恐ろしさに心が飲み込まれました。
金曜日なので、
練習場のニューセンチュリースタジオに向かわねばなりませんが、
スタジオ借用開始時刻の18時ちょっと前まで見続けました。
翌日の3月12日(土)にコンサートを催す予定にしていた私たちは、
戸惑いながらも練習を続けました。
練習後、
帰宅した私は再びテレビにかじりつきました。
刻々と入ってくる悲惨な情報に心が痛み、
果たしてコンサートすべきなのかどうか、
迷い続けました。
すると、
トランペットのN川さんから、
楽団の一斉連絡用メーリングリストを使って以下のようなメールが流れてきました。
まず「深夜に申し訳ありません」と前置きしつつ、
「炎に包まれる気仙沼(と書いておられたと記憶する)の様子を見ながら、
果たして演奏会をやっている場合でしょうか?
やるにしても喪章を付けるなどすべきでは?」
これで私の腹は決まりました。
楽員の皆さんに相談しなかったのは大変申し訳なかったと今も思っていますが、
ほぼ私の独断で演奏会場に赴き、
演奏会をキャンセルしました。
あの日は、音楽している場合ではなかった。
いや、音楽を演奏しようにもできなかったに違いないと思います。
それから、
無力感にさいなまれる日々が続きました。
一体自分に何が出来るのか?
全く何も出来ないではないか。
情けなくてどうしようまありませんでした。
7月には定期演奏会(せせらぎコンサート)が控えていました。
そのプログラムに書く「指揮者のひとりごと」、
一体何を書けばいいのか悩みましたが、
ちっぽけな自分だけど、
自分に出来ることをやっていくしかない、
ということを書きました。
間違ってはいないと思いますが、
では、
自分に出来る「具体的な」ことは?
もちろん、
音楽活動を続けていくしかないのですが、
それが被災地の方々にどう繋がるのか?
全く関係ないじゃないか?
いやいや、
たとえ草の根の活動であっても、
まわりまわっていつかは繋がるのだ。
そう信じるしかないじゃないか。
でも、
本当にそうなのか?
繋がるのか?
いや、
きっと繋がる!
自問自答の日々を続けているのが正直な自分です。
それと、もう一つ。
遺族を利用し、騙し、
その心をさらに傷つけるようなニセ音楽家には、
決してなりたくありません。
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