新型コロナウイルス感染拡大のせいで、
マスクがなかなか入手出来ません。
花粉症持ちにとっては頭の痛い問題です。
出来るだけ花粉を吸い込みたくないのはもちろんのことですが、
くしゃみを人に吹きかけたくないのです。
これ、今や大問題になりかねませんから。
使い捨ての白いマスクが手に入らないので、
色はグレーで、
ポリウレタン素材のマスクを買いました。
それならば売っていたので。
「マスクは白」という固定概念を持っていたせいか、
最初はこのマスクを付けるのが嫌だったのですが、
使ってみると意外と快適でした。
通気性がよいのか、顔が暑くなりません。
密閉性が高いのか、眼鏡をかけてもあまり曇りません(完全にという訳ではない)
くしゃみ暴発の頻度が下がりました。
洗って繰り返し使うことが出来ます(何回くらいかは分からないが、使い捨てということはない)
そして、どことなくいい匂い。
最初、何の匂いなのか分かりませんでした。
が、ある時ひらめいたのです。
新車の匂いに似ているのです。
なんとか花粉症の季節を凌ぐことが出来そうです。
今週の火曜日に、
病気療養中の会社の後輩 T.K. が他界しました。
突然の訃報でした。
私が入社4年目の1994年に入社してきた T.K. は、
私の所属する部署に配属されました。
当時はいろいろなことがアナログでした。
手書きで作る書類の書き方をとことん指導したのを覚えています。
年が明けて1995年。
阪神淡路大震災の特番を、
共に必死で乗りきったことも思い出されます。
ここ最近、
音楽関係であれ仕事であれ、
後輩の訃報に接することが多く、
少し参っています。
3月6日(金)は、
フルート × 1
E♭クラリネット × 1
B♭クラリネット × 4
バス・クラリネット × 1
アルト・サックス × 1
コルネット × 1
ホルン × 3
トロンボーン × 1
ユーフォニアム × 1
パーカッション × 1
そして私の計16人で合奏しました。
新型コロナウイルス感染拡大のためだと思いますが、
最近は合奏参加人数がめっきり減っています。
先週金曜日の私がまさにその一人。
勤務先の対策に追われ、
スタジオに来ることが出来ませんでした。
今週も危ないと思っていたのですが、
対策本部の会議開催が午前中だったので助かりました。
私のように職場の対策に携わらなければならない方、
看護師として仕事そのものに追われている方、
自分自身の参加、あるいはお子さんを連れての参加に不安を感じている方、
いろいろおられるでしょうから、
合奏が成立するかどうか分かりませんでした。
が、有難いことに15人の楽員さんが集まってくれました。
それも、うまい具合に楽器がばらけましたので、
開始時間を少し遅らせたものの合奏することが出来ました。
『トリトン・デュアリティ』を、
曲頭から終止線まで2回さらいました。
楽曲前半は4分音符=60。
後半は4分音符=92。
テンポ変化を加えず、
とにかく音程とリズムに注意して、
長い小節数を合わす練習です。
悔しい思いをした楽員さんもいらっしゃると思いますが、
私としては想像以上の出来だったと思います。
所期の目的は達成しました。
次の合奏では、
もう一度同じスタイル、
つまりテンポ変化しないで通す練習をしたあと、
テンポを変化させたり、
テンポアップしたいと思います。
が、残念なことに、
次の合奏は4月10日(金)です。
役員会で話し合って決めました。
※※※
2011年3月11日(金)。
翌日に控えたコンサートのため、
せせらぎは通常の合奏を行いました。
合奏後、
不安を抱えながらも、
翌日のコンサートをどうするか議論を尽くすことはありませんでした。
深夜、
テレビのニュースを見ながら悩んでいる時、
今は亡きトランぺッター N さんから楽団内一斉配信メールが流されました。
「燃える気仙沼の映像を見ながら思った。コンサートを開催すべきなのか」と。
これで私は中止を決断しました。
独断です。
役員会に諮る時間がありませんでした。
後で非難されるのは構わないと思いました。
※※※
新型コロナウイルス感染拡大防止のためのせせらぎの取り組みとして、
合奏休止を私の独断で決めるほど、
事態は切迫していないと思いました。
ですので3月6日(金)の合奏を急きょ取りやめるようなことはせず、
合奏後の役員会での話し合いにより、
今後約一か月間、
合奏練習は日曜日も含めて行わないことになりました。
会議の場で一番最初に休みを言い出したのは私に違いありませんが、
議論のステップはちゃんと踏んでおります。
ご理解いただければと思います。
※※※
合奏は休止しますが、
各個人が練習していけない訳ではありません。
楽員の皆さんは、
この一か月をむしろチャンスと捉えてくれたら嬉しく思います。
合奏は本来、
合奏だけではどうにもならないものです。
各個人がやってきたことを持ち寄り、
「合わす」場だと考えます。
そして、
合奏出来なくてうずうずしていた気持ちを、
次回の集合日にぶつけてもらえたらいいなと思います。