2020年06月

またもやデスプラが突き刺さる2020年6月15日

映画を観て、いい音楽だったなと思いながらエンド・クレジットを眺めていると、
アレクサンドル・デスプラだったということがしばしば。

『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』もそうでした。

久しぶりに音楽が鳴りまくる映画やなと思ったのですが、
全然うるさくない。
というより、映画に寄り添っている。

グレタ・ガーウィグのメガホンということで公開が待ち遠しかったこの映画。
ホントに素晴らしかった。

オンライン会議2020年6月13日

楽団の役員会を、
オンラインで2回こなしました。

職場では会議室の利用が禁止されたままなので、
直接顔を合わせる会議が出来ず、
自席や自宅からのリモート参加。
たまたま隣席の人も出席していると、
お互いヘッドセットをかけて、
パソコン越しの会話になったりして妙な感じ。

東阪の出席者が半々くらいで、
必ず東京で開催される会議があります。
毎月の東京出張は負担が多いという大阪からの出席者の声が強く、
コロナ禍以前から何回かに一回はテレビ会議になっていたのが、
今ではすべてウェブ会議。

他の東阪会議も、
こちらは出張費削減のためにリモート会議が推奨されていました。
ただし、あくまでも推奨でしたので、
出張しても経費が落ちないというところまでの強制力はありませんでした。
が、コロナ禍により、
強制されるまでもなくテレビ会議に移行しました。

経費の面からは東京以外の出張は規制されていません。
全国を4つのブロックに分けて行われる系列会社の会議は、
今年は岩手、長野、大阪、宮崎で開催される予定でした。
残念ながら、すべてウェブ会議になってしまいました。
感染者ゼロの岩手に乗り込むなんて、
今は避けなければならないのでしょうが、
ホントに残念。

このうち大阪の会議は、
先週、無事終了したのですが、
私の勤務先が幹事社で、
私が座長でした。
会議の司会なんてそもそもしんどいのですが、
そこに加えて慣れないテレビ会議の進行役。
たまったもんじゃありません。

が、ホントに大変なのは、
会議の後の懇親会。
ちょっとだけ本音を漏らすと、
リモート会議、イコール、懇親会なし、に救われました。

それでもちょっとだけ困ったのが、
会議終了を宣言しているのに、
なかなか退出しようとしない方が多いのです。
これは噂に聞くオンライン呑み会をしたがっているのだな、と思いましたが、
思い切ってバッサリとオフラインにしました。

『火の鳥』1945年版を聴く2020年6月10日

非常事態宣言が終わって早速、
JEUGIA とタワレコに飛び込みました。
朝ドラ『エール』のサントラや、
ストラヴィンスキーの CD を買い漁りました。

最も聴きたかったのは『春の祭典』ですが、
もちろん『ペトルーシュカ』も『火の鳥』も楽しみでした。

私がこれらの楽曲を初めて聴いたのは中学生のとき。
特に『火の鳥』(1919年版)には思い入れがありました。
自分自身の中学生活とリンクするように受け止めたからです。
演奏時間も20数分と聴きやすい長さであるのも良かったです。

『火の鳥』(1910年版)を聴いたのはずっと後になってから。
約1時間かかるのと、
(ストラヴィンスキー先生には大変失礼ながら)音が野暮ったい感じがします。
1919年版が2管編成なので軽やかでスタイリッシュなのに比べ、
4管編成の1910年版は重々しく、古臭く感じます。
(あくまでも私の印象です)

と言いながら、実は、
1910年版ばかり聴いていました。
1919年版の CD を持っていなかったから。

この度、久しぶりに1919年版を聴きました。
レナード・バーンスタイン指揮、
ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏です。
おそらく、私が初めて聴いた『火の鳥』がこれだったのです。

今回買った CD の中には、
大変珍しい『火の鳥』(1945年版)があります。
30分強くらいの演奏時間だと思いますが、
私はこの版をかつて聴いたことがあったかどうか、
記憶があやふやです。
もしかすると初めてかも知れません。

ただし、楽譜は見たことがありました。
高校時代に、『火の鳥』の「序奏」を編曲する際、
恩師に渡されたスコアが1945年版だったのです。
1945年版の存在を知ったのもこのときでした。

M 先生は1910年版でも1919年版でもなく、
なぜ1945年版のスコアを選んだのでしょうか?
おそらく1919年版が一番入手しやすいと思うのですが。
もしかして、あまり深く考えず、
手にとったら1945年版だったとか …

今となっては確かめようもありません。
私がそちらへ行ったら、
まず一番に尋ねてみたいと思います。

マリス・ヤンソンス指揮、
バイエルン放送交響楽団の演奏する『火の鳥』(1945年版)は、
とても素晴らしい出来でした。
「終曲」が終わるとすぐに拍手が!
なんとライブ盤だったのです。
ライブでこの仕上がり!
さらに驚きました。