2014年06月

どうやって右京ふれあい文化会館へ向かうか?2014年6月28日

本番は京都こども文化会館ですが、
練習会場としてよく使わせていただいているのが右京ふれあい文化会館。

皆さん、どのようにして向かっておられるのでしょうか?

ご近所にお住まいならば徒歩や自転車で、かな?
JR花園駅から徒歩という方や、
市バスで最寄りの停留所まで来る方、
地下鉄の太秦天神川駅から徒歩という方もおられるでしょう。
マイカーで来る方もおられるでしょうし、
打楽器満載のトラック(レンタカー)で来る方も。

私はといいますと、
困ったことに(というのは私の個人的な事情なんですが)、
大阪の職場で夜勤して、
明けで右京ふれあいに向かうことが多いのです。
いかにしてすんなり会場入りするか?
とても重要なテーマです。

西京極駅からタクシーで向かうのが殆どですが、
もっと早い方法はないものかと思っていました。

というのも、
大阪・梅田から阪急の特急に飛び乗っても、
特急停車駅である桂で普通に乗り換えねばなりません。
ほんでもって、
たった一駅先の西京極に向かう電車は、
なかなか発車しないのです。

なので、
いつもイライラしていました。
そんなくらいやったら、
桂で下車して右京ふれあいへ向かう方法はないものかと思い、
桂駅からタクシーに乗るというのを事前に試してみることにしました。
6/29(日)に右京ふれあいで本番前最後の日曜練習があるので、
その前にテストしておいたほうがいいと思いまして。

う~ん、やっぱり時間がかかりました。
そもそも夜勤があるのが問題。
どげんかせんといけませんな。

吹きっぱなし2014年6月26日

吹奏楽において吹きっぱなしとは、
演奏してばかりで殆ど休みがないこと。
(打楽器だと「叩きっぱなし」や「こすりっぱなし」や…になるかな)

出番が沢山あるというのは、
本来は喜ぶべきことなんですが、
あんまりにも出ずっぱりだと、
やっぱりしんどいですわな。

それで、ふと、
高校時代のことを思い出しました。

私の出身高校の吹奏楽部では、
1st.や2nd.や3rd.といったことには関係なく、
学年順で座ることになっていました。
なので、
3年生が3rd.を演奏するとしても場所は1st.だし、
1年生が1st.を演奏するときも3rd.の位置ででした。

上記のケースは稀ですが、
1st.をプレイする3年生が、
練習番号の A ~ B の区間だけ後輩に3rd.と交代してもらう、
なんていう遣り繰りはよくやりました。
もちろん、座る場所は変わりません。

全体としていい演奏を生み出していくのに、
アマチュアとして当然の工夫だと思っていたのですが、
せせらぎに来た頃、
誰もそんなことはしないのに驚いたものです。

さすがに最近は皆さん遣り繰り上手になってきたな、
とは思うのですが、
それでもなお苦しいのが『オリンピック・マーチ』。
ホント、吹き詰めです。

指揮者としてはとても興味深い楽曲ですので、
スコアを愛読書のように読んでいました。

そのうえで、
こうしたほうが「せせらぎ向き」になるんじゃないかと思い、
何箇所か楽譜をいじらさせてもらいました。

でも、実はまだ変更したほうがいいんじゃないかと思える箇所があります。

お亡くなりになった岩井直溥先生が、
「それぞれのバンドに合うようにいろいろやったらいいんだよ」
と仰っていたのを思い出します。

そのお言葉に勇気をもらい、
あと数回しか合奏の機会はありませんが、
できるだけいい演奏となるよう努めていきたいと思います。

誰だ?誰だ?誰だ~?2014年6月22日

で始まるお馴染みのフレーズ、
ご存知ですよね?
えっ?知らない人もいる?

『科学忍者隊ガッチャマン』の主題歌でんがな。
もう、ビックリさせんといてください。。。

今年の演奏会で、
とあるメドレーの中の一曲として演奏するんですけど、
『ガッチャマン』というと、
いろいろ思うことがありますな。

今年やったか去年やったか、
実写映画化されましたな。
観てませんけど。

映画『かもめ食堂』で、
『ガッチャマンの歌』が肝でしたな。
あれは面白かったな。
「『ガッチャマンの歌』が歌える人に悪い人はいない!」
な~んて話題になってましたな。

「誰?」っていうところが引金になるんですけど、
呑んで帰っている途中、
全く見たこともない駅にいたりすると、
「私は誰?ここはどこ?」
っていう感覚が。。。

いやいや、
『ガッチャマンの歌』は身につまされます。

大遅刻2014年6月21日

6月20日(金)、
久々に大遅刻をやらかしてしまいました。
スタジオ入りが20時を過ぎるという、大失態!
申し訳ありません。。。

言い訳しても仕方ないのですが、
言い訳します。
朝からワールドカップを観ていて、
仕事の立ち上がりが遅かったからです。

というのは、
私の話ではなく、
私の周りにそんな人が多かったというのが本当のところかな、と。

私のところで最終のまとめをしなければならないのに、
なかなか届かないのです。
いつもならもっと早く来るのに、
なかなか来ないということは、
やはりその人たちがワールドカップを観ていてスタートが遅かったのでは?

もちろん、私だって日本代表、応援してますよ。
でも、せせらぎコンサートが迫ってますからねぇ~
とっとと仕事済ませて帰らせてくれよ、ホンマ。

しかし、これがサッカーでなく、野球の侍Japan の試合だったら?
きっと私の仕事が一番遅くなっていたのでは…

映画『太秦ライムライト』を観る2014年6月19日

京都ならではの映画です。

太秦(うずまさ)で、
「斬られ役」として生きてきた俳優さんにスポットを当てた物語。

ロードショーは7月らしいのですが、
京都では先行して6月14日(土)からかかっています。

Tジョイ京都、MOVIX京都、TOHOシネマズ二条で上映しているのですが、
さあ、どこで観るか?

どこで観たっていいじゃない?と思われるかも知れませんが、
これが意外とこだわりどころなんです。

そもそも「Tジョイ配給」の映画なので、
Tジョイ京都がよいのかも知れません。

太秦に一番近いのはTOHOシネマズ二条です。

が、
この手の映画はMOVIX京都で観るのがベストです。

なぜかと訊かれると、
これがまた答えようがないので困ってしまうのですが、
やっぱりMOVIX京都がベスト!
と私には思えます。

かつて「松竹座」のあったMOVIX京都には、
不思議と映画の DNA が感じられるのです。

ああ、いい映画やった。。。

悪いコンディションでの練習 その22014年6月18日

そんな訳で、
私は敢えてコンディションの悪い状況下での鼻歌練習に有難味を感じているのですが…

・自動車を運転しながら
・自転車を運転しながら

なんていうのは危険・大です。

私はどちらとも縁がありませんので、
人様に迷惑をかける、
というか、
もっとハッキリ言うと、
人を轢くことはありません。

「運転」をしている方は、
どうぞ「運転」に集中してください。

ほんじゃ、
「プロによるデモ演奏」を聴きながらという手もあるかも知れませんが、
できればそれもやめてほしいな、と。

その通りに演奏する訳がありません。
この段階に至れば、
もはや聴かないほうがいいと思います。

もしどうしても聴きたいならば、
一つの曲について何種類もの演奏を聴き、
イメージが固定化しないようにすべきかと。

とにかく、
交通事故のないように。。。

悪いコンディションでの練習2014年6月18日

誰もが、
グッド・コンディションでの練習を望んでいると思います。
そうですな、
できればそうありたいものですな。

しかし、
なかなかそうはいかないものです。

私もスコアを読むのに、
誰にも邪魔されない8時間があったらどれだけいいのに、
な~んて夢想したりします。

でも、
そんな時間はやって来ないのです。

それが現実。

なので、
騒音だらけの現実を受け入れることにしています。
その状況下で楽曲をイメージすることが出来れば、
本番でも大丈夫だと思えるのです。

実際、
奇声を発するお客さんがおられる状況下で、
本番を乗り切ったこともありました。
普段から騒音に惑わされないように練習してきたことが、
功を奏したのではないかと思います。

つい最近も、
歩きながら、
かなりの集中度で『ライオン・キング』の鼻歌トレーニングをしていました。
そしたら、
ふっと私の名前を呼び掛ける女性が!
なんと、
近所の酒房の女将でした。

あれっ?
惑わされないように練習してきた筈なのに、
酒房の女将の一声で
「アルコール」
が脳をかすめる俺って、
やっぱりヤバいのでしょうか?

『ライオン・キング』が途切れてしまいました…

映画『春を背負って』を観る2014年6月18日

木村大作監督の『春を背負って』。
『剱岳 点の記』の印象が鮮烈だっただけに、
正直言って『春を背負って』ではそこまでの「映像的」な衝撃は受けませんでした。
いや、もちろん、凄い映画なんですよ。
ただ、『剱岳 点の記』があまりにも凄過ぎたんで。

『春を背負って』で強烈な印象を残したのは、
池辺晋一郎さんの音楽でした。

アバン(タイトルが出るまでのところ)で、
山並みの映像をバックにしながら、
主だった出演者やスタッフの名前が「縦書き」で紹介されていきます。
古き良き昭和の日本映画を観ているようで、
私にとってはとてもワクワクするスタート。

そのバックで流れるメインテーマを聴いて、
「決まった、サントラ買って帰ろ」と思いました。
(実際、それを聴きながら「ひとりごと」書いてます)

映画音楽はシンプルでなければならないと言われます。
たった2時間の中にいくつもメロディが出てきては、
統一性がなくなり散漫な印象になるからだそうです。

『春を背負って』のメインテーマは、
その後も変奏を加えながら何度も繰り返されます。
アバンで強烈な印象を残した聴き取りやすいメロディが、
映画全体を引き締めているかのようです。

ただ、惜しむらくは音楽が勝ちすぎていることでしょうか。

以前、『おくりびと』でも久石譲さんの音楽が勝ちすぎている、
という評価をよく耳にしました。
確かに、久石譲さんの音楽の印象は強烈でした。
が、主演のモックンがそもそもチェロ奏者という設定だし、
彼の弾く旋律が生き別れとなった父親との繋がりとなっていたし、
私にとっては音楽が勝ちすぎているという感じはありませんでした。

『春を背負って』では、
映像に寄り添うような音楽でも良かったのではないか、と。
いやいや、私が言いたいのは、
曲の良しあしではなく、
音楽を使いすぎていたんじゃないかということ。
もっと、要所要所に絞り込んだ使い方でも良かったのでは…

あっ、済みません。
勝手なことを申しました。
「ひとりごと」です、聞き流してください。。。

『ふるさと』『このみち』2014年6月17日

音楽を聴くときは、
シャンとしていないといけない。
なんだか、そんな気負いがあったものです。
特に中学生の頃なんかは。

そんな姿勢が徐々に緩んでいって、
高校時代には寝転んで聴くのが当たり前になっていきます。
時にはヘッドフォンで『春の祭典』のレコードを聴きながら、
いつの間にか眠りこけていたなんてこともあります。

大人になると、
今度は全く聴かなくなっていきます。
CDをセットするだけのことが面倒臭くて。

そして、週に一回の練習でだけ音楽を耳にするという具合に。

これじゃあかんと思いまして、
3~4年前に卓上CDデッキを購入。
もっと気楽に音楽に接しようと思ったのです。

それ以来、近所迷惑にならないことだけ配慮して、
とにかくいつでも聴くように心掛けてきました。
ちょいと呑みながら。
本を読みながら。
体操をしながら。
昼寝をしながら。

吹奏楽やクラシックのCDがメインではありますが、
死んだ親父から引き継いだのも併せて、
我が家には種々雑多なCDがあります。
それらを並んでいる順番に、選り好みすることなく、
とにかくひとつ残らず聴いてみよう、と。

で、現在は2周目に突入しています。

先ほど、東京佼成ウインドオーケストラの日本の歌シリーズの2枚を聴き終えたところ。
CDタイトルは『ふるさと』と『このみち』。
どこか懐かしい感じのする曲が、
吹奏楽用にアレンジされています。

ビックリしたのは、合計30曲あるうち、
せせらぎで演奏したことのある曲が、
『朧月夜』をはじめとして10曲くらいあることです。

体操しながら聴いていて、
「あれ、この曲、というか、この編曲、聴いたことあるな」
しばし体操をストップして、
「あれ?聴いたことある、と違うて、やったことあるやんか!」
となるのです。

なぜか、せせらぎはこのシリーズが好きなようです。
私も、実は気に入っています。

ただし、凄く繊細な表現が求められるので、
とても難しいレパートリーでもあります。

音楽は生き物2014年6月16日

6月13日の合奏で、ふと口をついて出た言葉。
前回の合奏と印象が違ったので。
「あっ、今、俺、ええこと言うた!」
と咄嗟に思いました。

そうなんですよね。
全く同じ演奏ってのはないんですね。
やるたびに違うんですね。

場所によっても変わるし、
温度や湿度、気圧なんかの影響も受けるし、
お客さんがいるかいないかでも違うし、
また聴衆の入り具合や客層によっても変化します。

と同時に、
何度やっても同じことができるようにするのも重要ではないかと。
もちろん、
先述の通り全く同じ演奏の再現は不可能だと思いますので、
ここでいう「同じこと」とは「クオリティの維持」の意味。

例えば、ゲネプロ(本番前の通し稽古)と本番。
ゲネプロで気張り過ぎたら本番で持たないのですが、
本来のゲネプロとは本番と全く同じことをすべきもの。
いやはや、難しいですな。

せせらぎの本番は1回きりだから、実はまだマシ。
午後と夜の2回公演ならば、
午前中のゲネプロと合わせて3回同じことができなくちゃならんのです。
これは厳しい!

演奏旅行。
これはもっと大変だと思います。
全く同じプログラムを繰り返す場合もあれば、
数曲のレパートリーを用意しておき、
会場ごとに組み合わせを変える(Aプロ・Bプロ)ケースもあるでしょう。

何日にも亘っての体力の維持もさることながら、
気持ちが切れないようにするのはホントに大変。

演奏旅行ということは、
それぞれ会場が違う訳だから、
会場ごとにゲネプロやって本番の繰り返し。
もはや、想像を絶しますな。

それでも、演奏のクオリティを落とす訳にはいかんのです。

そしてまた、演奏ごとに違う気持ちを抱くのもまた事実です。
そうして感じたことを封印してしまうのもまた変なのです。
やはり、演奏は変化するのです。

そしてやはり、クオリティは維持していないと…

ああ、ホント大変。

でも、面白い。