2014年07月
フォーミュラ・ワン( F1 )。
大学生のときにその魅力に取り付かれて以来、二十数年。
深夜、テレビにかぶりついて観たし(たとえ、せせらぎコンサートの打上げの後でも)、
鈴鹿サーキットに何回も通ったりしたのに、
ここ数年観ていませんでした。
私自身が車の運転をやめてしまったのも大きいし、
日本人ドライバーがいなくなってしまったのも響いています。
(小林可夢偉選手が復帰したものの、下位チームなので入賞もままならず…)
去年まではベッテル選手が圧倒的に強かったようだし、
今年はメルセデス・チームの二人ばかりが勝っているみたいだし。
なんだか面白くない。
ところが、そのメルセデス・チームのドライバー二人が揉めているらしいとのニュースが!
なんだか、かつてのセナとプロストの確執が思い出されて、
久しぶりにレースを観てみようかと思いました。
それがハンガリー・グランプリだったのです。
ハンガロリング・サーキットというのは曲がりくねったコーナーだらけのコースで、
直線はちょっとしかありません。
こういうのをドライバーズ・サーキットって呼ぶんだったかな?
なんにしてもドライバーの腕前が物を言うサーキットなんです。
(マシンの性能が劣っても、ドライバーの技術で勝つ可能性が高いということ)
さらに、7月27日の決勝レース前に雨がかなり降ったらしく、路面が濡れています。
いよいよドライバーの腕にかかっていると言っていいでしょう。
レース終盤、トップを走るフェラーリ・チームのアロンソ選手(ベテラン)が、
ウィリアムズ・チームのリカルド選手(新鋭)に猛烈に追い上げられます。
アロンソはベテランらしい味のあるハンドリングでリカルドを抑えますが、
ニュー・タイヤを履いて元気のあるリカルドに遂に抜かれます。
さらに、今シーズン絶好調のメルセデスの2台にも追い上げられますが、
こちらはチェッカー・フラッグが振られるまでアロンソが抑え込みました。
優勝はリカルド選手、
2位がアロンソ選手、
3位はメルセデス・チームのハミルトン選手、
4位も同じくメルセデス・チームのロズベルグ選手、
というレース結果でした。
が、ここまでの年間ポイント・ランキングは、
1位 ロズベルグ
2位 ハミルトン
3位 リカルド
4位 アロンソ
となるのです。
F1 は年間の総合優勝(ワールド・チャンピオン)を目指して戦うもの。
一つ一つのレースで勝つことも大切ですが、
もっと大事なのは年間を通して如何にポイントを積み上げるかということ。
と書くと、なんかつまらんと思われる向きもあるかもしれませんが、
一つのレースでダメだったからといって自暴自棄になったりすると、
そのあと、ろくなことにはならない。
そんなレーサーを何人も見てきました。
F1 観戦は人生勉強だということを思い出しました。
約一ヶ月の夏休みに入るそうですが、
また観てみようっと。
酷暑の中、よく歩いていた私ですが…
遂にダウンしてしまいました。
京都市の最高気温が38.3℃まで上がった7月26日。
早朝から早くも30℃を超えていました。
自室で諸々仕事をしていた私は、
「もうダメ。なんもやる気出~へん」
と寝込むことに相成りました。
自室は平屋建ての1階、
しかも東向きの部屋。
恐ろしい暑さだったんだと思います。
夜までに体調を回復させ、
何とか夜勤を乗り切りました。
いつもの夜勤明けなら「映画1本観て帰るぞ」と思うのですが、
この日は全くダメでした。
7月27日は、朝からの雨のおかげか気温上昇がマシで、
夕方には随分涼しくなりました。
ぐっすり昼寝できたので大分体調が良くなりました。
仕事の事情等で真夏の炎天下で働かなければならない方もいらっしゃるかと思います。
風の通らない体育館でじっとしていなければならない方もいらっしゃることでしょう。
窯の前でパンが焼けるのを見守る仕事をしていらっしゃる方もおられるでしょう。
とにかく、体調を整えるよう気を付けないと大変なことになります。
自戒の念も込めて、ホントに注意いたしましょう。
7月22日。
梅雨明けした模様と発表された7月21日の翌日。
突然の大雨の心配もなさそうなので、
なかなか干すことのできなかった
ティンパニ・シロフォン・ヴィブラフォンのカバーを一気に干しました。
演奏会後の運搬が雨天でした。
それから乾かすには乾かしてあったので特に心配はないのですが、
できればスカッと晴れた日に天日干ししたかったのです。
洗濯物ではないので、午前中で充分。
片付け終わった午後、
何か映画を観に行こうかと各映画館のホームページを覗いてみます。
すると、観たい映画がないのです。
というか、あまりにもハイ・スピードで映画を観てしまっているので、
もう残っていないのです。
(実はヴァイオリニストのパガニーニを描いた映画を観たいのですが、
上映時間が私の都合と合いません)
それならば、ということで、歩くことにしました。
演奏会後2回目の歩き倒しです。
今回は、目標を北に据えました。
岩倉です。
長らく京都に住んでいますが、
叡山電鉄の岩倉駅より北に行ったことがありません。
そこで、岩倉駅よりも北側の地域をとことん歩いてみようと思ったのです。
まず、出町商店街で用事を済ませ、
下鴨から高野川の右岸を北上していきます。
松ヶ崎浄水場を横手に見つつ、
「妙法」の「法」の横をくぐり抜ければ、
「子供の楽園」に到着。
もうちょっと行けば京都国際会館です。
と、ここまではよく歩くルート。
約1時間が経過しています。
岩倉川に沿ってさらに北上。
コンサートマスター・U野氏の息子さんが卒業した洛北中学校の横を抜けると、
叡電の岩倉駅です。
さあ、ここから北は未踏の地です(←大袈裟な…)
まずは岩倉実相院を目指します。
標識に沿って歩けば簡単に行き着けそうですが、
ふと面白そうな小径があったので、ちょこっと曲がります。
すると、黒板塀の立派なお屋敷が何軒もありました。
畦道を歩くと岩倉川と再会。
小橋を渡って、再び北上。
しばらくすると、岩倉具視幽棲旧宅がありました。

残念ながら休館日。
岩倉実相院は、そのすぐ近くでした。

さらに北上(←何やなんや、入らへんのかい?)
私、岩倉を侮っておりました。
きっと、誰にも出会わないような散策になるだろうと思っていたのです。
ところがどっこい、
車はたくさん走っているし、
自転車は多いし、
もちろん歩いている人も大勢おられます。
岩倉は、れっきとした大きな町なのです。
失礼いたしました。
さらにビックリしたのは、かなり北上しているのに、
まだバスが走っていることです(←おいおい、そろそろ怒られるぞ)
バスは、岩倉実相院までだと思い込んでいたのです。
行先表示板を見ると、「岩倉村松」。
そういえば、「岩倉実相院」行きと「岩倉村松」行き、
両方の京都バスが走っているのを見たことがあります。
自分の足で歩いてみて、ここが村松なんだと実感できました。
村松保育所を横に見つつ、まだまだ北上。
そして行き着いたのは、
岩倉地区で人家のある北限と思われる場所でした。
凄く立派なコンクリートで固められた足場の上には何も建っていない、
廃墟と呼ぶにも建物のない敷地でした。
何か映るとイヤなので、写真を撮るのはやめておきました。。。
桂駅でへばった前回と違い、
今回は終点まで辿り着いたぞという達成感がありました。
ここからはズンズン南下していきます。
地下鉄の国際会館駅に着いた時には、
出発から3時間15分が経過していました。
歩数は21,402でした。
いや~、岩倉は奥が深いですな。
それでも、3年前に盛岡を歩き倒した24,196歩には及ばないですし、
せせらぎトレッキング・チームはもっともっと歩いているんでしょうな。
1日3万歩達成はいつになることやら…
さて、心配していた熱中症にはやられずに済んだようです。
この日の午後はほぼ曇り空で、
直射日光に殆どさらされなかったのが大きかったのでしょう。
さらに、ちょびっとずつちょびっとずつ水分補給したのも良かったのでしょう。
本当はガブガブ飲みたいのですが、
胃がタポタポになってもしんどいですから。
しかし、この季節は「喉が渇く」というより、
「口が渇く」という感じが強いです。
どんどん水分が失われているのですな。
まるで冬場にホルンを吹いていて、
唇が渇いて仕方ないのでしょっちゅう唇を舐めている、
あの感じに似ていました。
職場では伝達事項の殆どがメールを介してです。
会議には各自に貸与されている PC を持ち込まないといけません。
私にとって最も苦手な仕事の進め方だった筈なんですが、
いつの間にか慣れてしまったようです。
楽譜の変更をメールで伝えてそれっきり。
そんなやり方で伝わるものと勘違いしていました。
メールした通りに変更して演奏してくれると思い込んで練習していたら、
これまでと全く変わっていないことがあって。
メールでの事前連絡が悪いとは思いませんが、
それで終わりではなく、
合奏しながらもっと丁寧に説明しないと。
今年の3月に買い換えた PC は windows 8 。
最新の windows 8.1 よりお安く、かつ、
いつでも無料で windows 8.1 にアップデートできるとのこと。
windows xp のサポート終了と、消費増税前の駆け込み需要とで、
家電量販店の PC はどれも品薄状態。
何日も何週間も待たないと入手できない機種が多い中、
上記の PC はすぐに買って帰ることができるということもあり、
パッと買ったのでした。
それまで使っていた windows xp の PC は、
数年前、電話回線を光に変更した際、
仲介業者が無料でくれたもの。
凄く動きの遅い中古の代物で、えらく苦労しました。
おかげでいろいろと勉強になりましたが。
windows 8 の新しい PC 。
初期設定さえクリアすれば、なんと快適な動きなのでしょう!
大変気持ちよく使わせていただいてきました。
いつでも無料で windows 8.1 にアップデートできるということですが、
演奏会前はやめておきました。
不測の事態で、楽譜のやりとり等ができなくなっても困るので。
が、演奏会も終わったので、遂にアップデートすることにしました。
最新のバージョンに無料でアップできるんだというスケベ心から。
もう、ホントに簡単にできるんですね。
具合ええわ、と思いながら眺めていたら、どうやら終了した様子。
自動的な再起動を何度かしながらのアップデートでしたが、
最後のダメ押しと思い、手動で再起動かけてみようとしたら、
なんと、画面にカーソルしか映らなくなってしまいました(冷や汗タラタラ…)
大慌てでメーカーに電話してみたら、
「アップデートってそんな安直なもんじゃないとホームページ上でお知らせしているんですけど…」
おいおい!そうなのか?
聞くと、いろいろできなくなってしまう機能もあるそうで…
調子良かったんやから、windows 8 のまま使っておけばよかったのでは?
最初から windows 8.1 の PC を買っておくべきだったのでは?
アナログでアナクロな私なんだから、もっと慎重であるべきだったのでは?
やっぱりタダほど高いものはないですな。
xp と同様、8.1 も苦労しそうです。。。
今回のせせらぎコンサート、
アンコールで演奏させていただきましたのは、
NHK 東日本大震災復興支援ソングの『花は咲く』と、
ヘンリー・フィルモア作曲のサーカス・マーチ『ヒズ・オナー』でした。
アンコール2曲目の『ヒズ・オナー』では「お遊び」させていただきました。
役員さんと演奏会実行委員長には予めお知らせしておりましたが、
知らない人が多いほうが面白かろうと思いまして、
殆どの楽員の皆さんにも内緒にしておりました。
済みません。
その「お遊び」とは、
WBC の侍 Japan のイチロー選手のユニフォームを着て、
WBC の侍 Japan のキャップをかぶって、
おもちゃのバットを持って指揮すること。
『ヒズ・オナー』には、バスドラム(大太鼓)とシンバルの「決め」が何箇所かあります。
そのタイミングでバットを振る指揮を「ホームラン指揮法」といいます。
この「ホームラン指揮法」を編み出したのは、
マエストロ・フレデリック・フェネルです。
マエストロ・フェネル&東京佼成ウインドオーケストラの演奏会のアンコール定番は、
1曲目『イエバンクスとボニードゥーン川のほとり』(パーシー・グレインジャー作曲)。
泣かせてくれます。
そして2曲目『ヒズ・オナー』。
雰囲気は一転、大盛り上がりで演奏会が締めくくられます。
弟子(?)である私は、
やっぱりフェネル師匠(?)のマネがしたかったのです、正直言って。
マエストロ・フェネルは、指揮棒を持ち、燕尾服を着たまま。
が、ここで野球の格好したらもっと面白いんちゃうかと思い、
上記のスタイルにしました。
実はおもちゃではなく、本物の金属バットを振ることも考えたんですが、
バットが手からすり抜けてふっ飛んでいくという事故、
の可能性が十分考えられますのでヤメました…
実は、アンコールで『ヒズ・オナー』を演奏させていただいたのは、
今回が初めてではありません。
10数年前だと思いますが、複数回採り上げています。
そのうちの1回は、やはりイチロー選手のユニフォームを着て指揮しました。
ただし、シアトル・マリナーズのユニフォームでした。
また、WBC の侍 Japan のキャップとユニフォームを着たのも2回目。
ただし、1回目は本番ではなく、合奏練習ででした。
2006年3月、第1回 WBC 決勝戦、日本 vs キューバ。
この試合と練習が重なってしまい、
侍 Japan に念を送るべく、
ユニフォームを着用して練習に臨んだのでした。
全くの余談ですが、2009年の WBC の決勝戦は、
テレビにかじりついての完璧な観戦でした。
もちろん、イチロー選手のユニフォームを着ながら。
心臓が止まるかと思うほどの念を送り続けたことは、
後にも先にもこの時しかありません。
『第5組曲』第3楽章 “ 山伏神楽 ” でも、
こんなには念がこめられませんでした。
済みません。。。
歩き倒す2014年7月16日
演奏会が終わったら是非やってみたいと楽しみに思っていたこと。
それが「歩き倒す」です。
「普段から結構歩いてるんとちゃうん?」と思われるかもしれません。
確かに、雨さえ降らない限り、
片道40分の道のりを1日に2往復するのが日課です。
それは演奏会の前も後も変わらないのですが、
歩きの「質」が違うのです。
毎年5月くらいからは、歩きながらプログラムを小声で歌っています。
よく「ひとりごと」に書いている「鼻歌トレーニング」という奴です。
歩くスピードは曲調に合わせて速くなったり遅くなったりします。
どうしても意識は音楽のほうに向いていて、
歩くことに対する意識が弱くなっているのです。
音楽の練習が嫌な訳じゃありません。
けれども、精神的に詰め詰めな日々を送っていると、
音楽のことを忘れてただひたすら「歩く」時間を作ってみたくなるのです。
演奏会終了後、仕事が休みの日はどうも天気がぐずつきがちで、
なかなかその日が作れないでいました。
7月14日(月)、京都シネマで『ジゴロ・イン・ニューヨーク』を観て、
なんだか切ない気分のまま祇園祭を振り向きもせず歩き出したのですが、
5分も経たないうちにどんよりした雲から大きな雨粒が…
あえなく断念。
翌7月15日(火)、MOVIX京都で『渇き。』を観て、
外に出てみると「ピーカン」ではない、程よい晴れ。
『渇き。』の重苦しさを振り払うためにも、歩き倒すのは今日しかない!
と思い立った私は、昼食を済ませ、
ただひたすらに南西へと向かって歩き始めました。
なぜ南西なのかというと、その方向には阪急電車と JR があるからです。
とことん歩き、疲れ切ったところで電車に乗って戻って来ようとの目論見です。
「時間にして5~6時間くらい歩けるかな?
どこまで行けるかな?
長岡京かな?
山崎かな?
ひょっとして、高槻まで行っちゃえるかな?」
なんて夢想してましたが、甘い甘い。
スタートして約2時間、阪急の桂駅でへばってしまいました。
暑さはもちろんのこと、西日をまともに喰らったのが痛かったようです。
南西に向かって歩くってことは、こういう辛さがあったのですな。
いやはや、想像してませんでした。
体中に熱が籠ってしまったようで、だるいです。
これも熱中症の一症状なのでしょうか?
でも、気分は爽快になりました。
毎年毎年、雛壇に載る金管楽器の皆さんには、
狭苦しい思いをさせてきました。
今年はゆったり座ってもらえただろうと思います。
もしかしたら、
これだけの人数がいて、
これだけ余裕を持って配置してもらえたのは、
初めてだったかも知れません。
最上段には、下手から順番に、
ティンパニ ⇒ トロンボーン ⇒ テューバ
と配置してもらいました。
音域からすると、
トロンボーン ⇒ テューバ ⇒ ティンパニ
のほうがいいのかも知れません。
あるいは、ど真ん中にティンパニを置いて、
それをトロンボーンとテューバとで挟み込む配置も考えられます。
が、下手側平地にドーンと配置された打楽器群とティンパニの距離の近さを優先しました。
また、普段練習させてもらっているスタジオでは、
その広さ・形状の都合上、
ティンパニ(打楽器) ⇒ (トランペット) ⇒ トロンボーン ⇒ テューバ
と配置してもらっているので、
本番もできるだけ練習時に近い形のほうがやりやすいのではないか、と。
(指揮者の位置で聴く)サウンドの面からも、
特に違和感なく、普段通りだなという印象でした。
そして何より、見た目にカッコよかったです。
引き締まった感がヨイですな。
どのように座ってもらえば最適なサウンドが得られるか?
どうすれば狭苦しくなく座ってもらえるか?
打楽器の移動がスムーズにいく配置はどんな形か?
おそらく、第27回せせらぎコンサートの配置は、
近年例を観ないくらいの見た目に美しく、
いい音のする配置であっただろうと思うのです。
打楽器の配置もベストに近いかな、と思いつつ、
やっぱりセンターに寄ってもらう方が良いのか…
そんな中、ホルンとアルト・サックスがお隣同士という配置は、
かなり「いい線行った!」と思います。
特に、奏者の方々が演奏しやすそうだったのが一番良かったかな、と。
きっとこれからも、いろいろ悩むでしょうが、
今回の配置の印象を大切にしたいなと思いました。
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ作曲『トッカータ・マルツィアーレ』は、
我が師匠(勝手に私淑)マエストロ・フレデリック・フェネルが、
「これぞ吹奏楽の基本となるレパートリーだ」と選定された
“ ベーシック・バンド・レパートリー ” の一つ。
当然、弟子(?)である私は勉強せなあかん訳です。
せせらぎには、何と、この楽譜があります。
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズの原典にほぼ近い楽譜だと思われます。
ただ「勉強」するだけなら、これで充分。
しかし、一年後の「練習曲」としても構想しているので、
できれば現代の吹奏楽編成に合わせた校訂版を軸に据えて勉強したい。
(せせらぎ所有の『トッカータ・マルツィアーレ』には、
バス・クラリネットが編成されないなど、
現代の吹奏楽とは少し合わない点が)
そこで、JEUGIAに頼んで、
現代の吹奏楽編成に合わせて校訂された楽譜が存在しないものか、
探してもらっていたら…
ありました!
Frank L. Battisti という人が校訂した楽譜が、
ブージー&ホークスから出版されているのです。
バス・クラリネットもソプラノ・サックスもバリトン・サックスも、
ちゃ~んと書かれています。
そして、演奏会2日前の7月4日(金)。
頼んでおいた『トッカータ・マルツィアーレ』のこの楽譜が届いたと連絡を受けたので、
JEUGIA三条本店を訪ねました。
ついでなので CD 売り場も覗いてみたら、何と!
「フェネル & TKWO レジェンダリー・ライヴ VOL.5 & 6」が発売されているではないか!
もちろん購入するのですが、発売日を調べると2日前の「2014年7月2日」
「何!2014年の7月2日!しまった、やってしまった…」
マエストロ・フェネルがお生まれになったのが、1914年7月2日。
私は、師匠の生誕100年の記念日を、何も気づかずスルーしていたのでした。
※※※
7月2日にお祈りしなかった私には、
もはや本番の舞台で師匠への祈りの気持ちを表現するしか術がない!
そう思って、例年以上の念を込めて7月6日の舞台を務めさせていただきました。
« 古い記事