過去のせせコン2012年5月12日
「せせコン」って何?と思われた方、ごめんなさい。
毎年7月に開催する「せせらぎコンサート」のことなんです。
私はあんまり「せせコン」という縮め方はしなくて、
「定期」とか「定演」のほうがしっくりくるんですが、
殆んどの楽団員が使っている「せせコン」という言い方、
今回は乗っかってみました。
クラリネットのアオキ君が「団員の声」を広報担当に投稿する際、
「第9回せせらぎコンサートで
– Music for a festival (P. Sparke)
– 交響曲第3番(オルガンつき)第4楽章 (C. Saint-Saens)
なんかをやった気がします。」
という情報を寄せてくれたそうです。
これは、ホームページの「これまでの活動」で、
1996年の第9回せせコン以前の情報がないのを気遣って、
アオキ君自身の記憶をたどって寄せてくれた情報でした。
そもそも、せせらぎのホームページを立ち上げてくれたのがアオキ君。
過去の情報が欠落しているのに責任を感じたんでしょうな。
できるだけのことをしよう、と思ってくれたのでしょう。
で、私も過去の記録をひっくり返してみましたら、
第9回せせコンのプログラムが出てきました。
もっと古いプログラムも発掘(?)されましたし、
その他にもカセットテープが出てきたりしました。
いずれ広報担当が「これまでの活動」に反映してくれると思いますが、
私事で大変恐縮ながら(←いつものことやろ!)、
せせらぎ発足当初のことを書いてみたいと思います。
※※※
1984年、京都市立堀川高校の吹奏楽部OB・OGが「堀川吹奏楽団」を結成。
第1回のせせコンが開かれたのが1984年なのか1985年なのか、判然としません。
この時、まだ私は入団していませんでした。
1986年3月21日(金・春分の日)、第2回せせコン開催。
私はホルンのエキストラとして出演。
プログラムには、トランペットのカメボシ君の書いたメンバーの似顔絵イラストが載っています。
これがそっくり!
今見ても笑えます。
『ボイジャー』という曲で、
フェルマータの間に何らかの企画ものがあるんですが、
ステージ・マネージャーがキューを出すのをすっかり忘れ、
指揮者が下手袖に向かって小声で「おいっ、オイッ!」と気付かせようとするのですが、
フェルマータ中で聞こえる訳もなく、
ステマネはずっとあちらを向いたまま知らん顔で、
結局1分以上音を伸ばし続け、
何の企画ものも挟まらないまま曲が進行したという、
いわくつき(?)の本番でした。
当時、「世界一長いフェルマータ」として、
飲み会の格好のネタとなったのでありました。
1988年3月12日(土)、第3回せせコン開催。
第2回せせコン後に入団していた私は、
第3回せせコンの第1部ではホルンを吹きましたが、
第2部で指揮をしました。
指揮者デビューの演奏会でした。22歳。若い!
第2部1曲目の『トゥルース(フジTV F-1テーマ曲)』に、
張りぼてのF-1マシン、中嶋悟さんの乗るロータス・ホンダで登場。
約2ヶ月かけて、
三輪車やら金属製のデスクの脚やらをシャーシ(骨組み)にして、
ボール紙を貼り付け、
その上に模造紙を貼り付けて、
さらに黄色い絵の具を塗って仲間と作り上げたのでした。
いやー、懐かしい(←済みません。ひとりごとということで許してやってくださいな)
指揮者プロフィールには、
「宇宙戦艦ヤマトとロータス・ホンダをこよなく愛するセンチな青年である」
と書いてあります。
ははっ、笑けるなぁ~、
誰や、こんなコピー考えたんは?