音楽の病2012年5月14日
過去の「せせコン」について調べる過程で、
「音楽の病」のカセットテープが出てきました。
えっ、音楽の病って、何?
と思われる方ばかりでしょうね。
「団員の声」No.60にカサハラカツミ君が書いてくれていますが、
彼がステマネをしてくれた伝説の演奏会の名前です。
順を追ってお話ししてまいりますね。
※※※
1988年に第3回せせコンを開催した後、
堀川吹奏楽団(当時の吹奏楽団せせらぎの名称)は深刻な楽団員不足に陥りました。
それまでもエキストラの方々に沢山お出で願わないことには演奏会を開催できませんでしたが、
もはや楽団運営そのものができないんじゃないかというくらい、
人がいなくなってしまったのです。
にもかかわらず、1989年7月9日(日)の京都こども文化会館の予約だけはしてある。
どうしよう?ということで、
京都府職域一般吹奏楽連盟所属の仲良し4楽団に声をかけ、
合同で演奏会をやりませんか、会場だけは既に押さえてありますし、
ってことになったんです。
その演奏会の名前が「音楽の病」。
病膏肓(やまいこうこう)なんて申しますが、
音楽という名の病に憑りつかれた阿呆どもが、
どうにもこうにも出来ない音楽熱に浮かされてやる演奏会、
っていうような意味合い。
仲良しというかお隣さんというか、その4楽団というのは、
成安吹奏楽団、
京都コンサートファミリー、
アンサンブルフォルテ
そして名前が思い出せない(ごめんなさい)もう1団体。
単独での演奏活動が難しかったので、
よく一緒に円山音楽堂で開催された「土曜コンサート」等に出演したりしていました。
合同バンドの名前は「いつもの合同バンド」。
はははっ、安直でしょ!?
勝手知ったる面々なので運営も練習も楽しく、
(って言っても、各楽団が個々に練習できるように楽譜を用意するのは大変でした)、
さすがに5楽団も揃うと人手が多く、
企画もどんどん進んでいきます。
まずかったのは、こども文化会館になんの断りも入れてなかったことです。
主催者が「堀川吹奏楽団」から「いつもの合同バンド」に変更となったので、
ちゃんとその旨、届け出ないといけないんです。
そんな訳で会館からこっぴどく叱られました。
本当なら使用罷りならずという処置が取られてもおかしくないところなんですが、
「若さ」に免じて許してもらった次第。
もし、活動歴30年弱である現在のせせらぎがこんなことやらかしたら、
とても許してもらえないでしょうな。
ええ大人が何やっとんねん、と。
さて、演奏会は2部制を採用しました。
第1部は京都コンサートファミリー(通称ファミコン)のカワムラさんに指揮していただき、
クラシックを演奏しました。
グラズノフの『秋』とか、
ボロディンの『ダッタン人の踊り』とかでした。
ポップス・ステージの第2部は私が振らせていただきました。
5楽団の中にドラムセットを叩くことができる人が3人いるので、
そんなら3人同時に叩いてもらおうぜ、ってことでやったのが、
ジャズの名曲『チュニジアの夜』トリプル・ドラム・バージョン。
まず、ヒナ段の中央にいるドラマーがリードしながら曲が進行して行き、
舞台両サイドから台車に載ったドラムを叩きながら残りの2人が登場してくるという企画で、
凄く盛り上がりました。
第2部取りの曲はレスピーギの『ローマの松』から“アッピア街道の松”。
ポップスなのになんで『ローマの松』っていうクラシックの大作なの?ってことですが、
演奏会のラストは盛り上がる曲にしよう、
5楽団でトランペット、トロンボーンが20人以上もいるから、
バンダ(別働隊)が必要な曲にしよう、
それやったらやっぱり“アッピア街道の松”しかないな、
ってな具合で決まりました。
そして、ドラムスにも参加してもらいました。
この曲ではシングル・ドラムですが。
これがホントに凄い凄い盛り上がりでした。
緞帳を下ろしても、拍手が鳴り止みません。
とても余力がないということでアンコール曲を用意していませんでしたが、
急遽もう一回“アッピア街道の松”を途中からやることにして、
緞帳を上げてもらいました。
2~3分続いたカーテンコールで緞帳をもう一度上げるなんて経験、
この時しかありません。
万雷の拍手の拍手に迎えられアンコール演奏した“アッピア街道の松”、
プレイヤーの皆さんの演奏も熱く、
舞台・客席一体となって演奏会を締めくくったのでした。
※※※
我が家のカセットデッキは壊滅しており、
もはや「音楽の病」のカセットテープを聴くことができません。
が、フルートのマキちゃんに頼めばCD化が可能と聞きました。
よし、頼んでみよっと。
そういえば、マキちゃんの兄上、ジュンイチ君はトランペット奏者で、
“アッピア街道の松”の5連符、ギンギンに吹いてたなぁ~

