2011年10月

アンセルメを聴く2011年10月30日

吹奏楽の世界では、何と言っても
マエストロ・フレデリック・フェネル指揮 東京佼成ウインドオーケストラが好きだが、
管弦楽の世界では、
マエストロ・エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団が僕にとっては一番だ。

はじめてアンセルメ&スイス・ロマンド管を聴いたのは
高校1年生の頃だったと思う。
高校時代はドビュッシー、ラヴェルといった作曲家の作品を演奏することが多く、
その原典となる管弦楽作品をレコードで沢山聴いた。
資力の乏しい高校時代は、友人との貸し借りでしのいだものだ。

シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団
アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団なども良かったのだけれど、
僕にとってピタッときたのは、なぜかアンセルメ&スイス・ロマンドの演奏だった。
最高に上手、という訳ではないのだけれど、
何を聴いても味わい深いのだ。
「いぶし銀」という言葉がピッタリかも知れない。

アンセルメ没後40年企画のCD集が数年前から発売されている。
別にドビュッシーやラヴェルだけを演奏しているのではない。
もちろんストラヴィンスキーもあるし、
ベートーヴェンの交響曲全集だってあるのだ。

先日、ふっと気になって、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』を引っ張り出してみた。
何なんだろう、このゆったり感は!
シカゴ交響楽団の超人技も悪くはないが、
僕はやっぱりアンセルメ&スイス・ロマンドが好きやな、と思った。

『プスタ』に思うこと2011年10月29日

「せせらぎ人語」がスタートしました!
せせらぎ人が語るという、ナイスなネーミング。
練習の模様を、プレイヤーの立場から伝えてくれるコーナーです。
皆様、「せせらぎ人語」をよろしくお願い申し上げます。

※※※

10/28(金)、新曲をスタートしました。
ヤン・ヴァンデルロースト作曲『プスタ~4つのジプシー舞曲』です。

約15年前、ラジオのディレクターをしていた頃、
よく中学生が演奏する『プスタ』を録音したものでした。
だからか、この曲はそんなに難しくないんだ、
と勝手に決めてかかっていたような気がします。

今回、初めてスコアを手にしてみて、
その考えは間違いだということに気が付きました。
特にテンポの変化に対応できないと、
えらいことになってしまいそうです。

と同時に、真摯に取り組んでいけば、
きっと楽しい演奏に仕上がっていく曲だとも思います。

フラッター・タンキング2011年10月25日

「ひとりごと」というタイトルに甘え、脱線してばっかり。
業を煮やした広報チームが、
もっと練習時のことを公開する別コーナーを立ち上げようとしておられます。
いや~、大変申し訳ない。

そんな訳で、たまには合奏直結ネタを書いてみましょう。

組曲「宇宙戦艦ヤマト」で、
金管楽器にフラッター・タンキングが求められています。
難しいとは思いますが、トライしてみましょう。
が、1年やってみてもどうしようもなかったら、
フラッターは諦めて構わないと思います。
やれる人だけでやり、無理な人は伸ばしにしましょう。

かくいう私、舌をまくことはできます。
が、どう頑張っても、
唇を震わせながら舌をまくことはできませんでした。

フラッター・タンキングに限らず、どんな曲でも、
「これは不可能やろ?」という楽譜に時々お目にかかります。
けれど、作曲家は、何らかの思いを込めてその楽譜を書いた筈です。
プレイヤーとして文句言いたくなる気持ちも分かりますが、
まずは同じ音楽家として作者の思いに鑑み、
トライしてみることが大切なのではないでしょうか?

それでも何ともならないようなら相談に乗りましょう。

何度目かの観劇2011年10月22日

4月と10月、半年に1回、観劇するのが恒例となっている。
職場の後輩が所属する劇団のお芝居を観に行くのだ。

10月22日(土)、時代祭も鞍馬の火祭りも関係なく、
向かうは阪神電車の石屋川駅。
灘の酒蔵での公演である。

今回で4回目か5回目だと思う。
行く度にお客さんが増えている。
我々せせらぎも見習わなければならない。

行く度に劇団員の方が増えている。
そして舞台を踏むごとに、
新人さんがレベル・アップしている。

通い始めた頃は後輩の演技だけを楽しみに観に行っていたのだが、
最近では、新人さんの成長度合いを観察するのが楽しみだ。
それくらい、後輩の演技は安心して観ていられる。

せせらぎも、安心して聴ける、と言ってもらえるようになったら
すごく幸せだと思う。

はやぶさ2011年10月18日

宇宙戦艦ヤマトは、14万8千光年彼方のイスカンダルに赴き、
放射能除去装置を獲得して生還するミッションに挑んだ。
しかし、そのような機械がある訳ではなく、
森雪が放射能を除去する「能力」を授かることとなった。

地球帰還目前のところでガミラスに行く手を阻まれたヤマトは、
森雪を無事地球に送り届けるためカーゴを発進させ、
古代進とともに最後の決戦に臨んだ。
(実写版より)

小惑星探査機「はやぶさ」は、当初予定で4年間、35億kmを旅し、
小惑星「イトカワ」から表面物質のサンプルを持ち帰ることをミッションとした。
様々な困難に見舞われながらも、7年後に地球に戻ってきた。
結局、60億kmの旅となった。

小惑星「イトカワ」のサンプルを入れたカプセルを地球に届け、
はやぶさ本体は大気圏突入とともに火に包まれ、その使命を終えた。

昨年、はやぶさ帰還のニュースを聞きながら、
ヤマトに通じるものがあると強く感じていた。
今、ヤマトを演奏するにあたり、
映画『はやぶさ』を観ない訳にはいかない。

しょっちゅう映画館に行くものだから、
最近、緊張感や高揚感がなくなりつつあった。
しかし、今回は上映前から何かが違った。
そう、初心に帰るような感じがあった。

そして上映開始数分で涙まみれになってしまった。
『博士の愛した数式』以来のことだ。

この映画、いろんな面で凄い!
きっと日本アカデミー賞の何らかの部門での受賞、あると思う。

ヤマト2011年10月15日

10/14(金)、組曲「宇宙戦艦ヤマト」初合奏。
が、2005年の「第18回せせらぎコンサート」で採り上げているし、
ヤマトのテーマ音楽である第2楽章だけを抜き出して
その後何回かの本番で演奏したと思う。

再演メンバー、他の楽団で演奏した経験のある人もいたが、
全く初めてという人も多かったと思う。
にもかかわらず、初回としてはなかなか良かった。
さあ、これからブラッシュアップだ!

※※※

思えば昨年の今頃、そわそわしっぱなしだった。
キムタク主演の実写版『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の公開間近だったからだ。
時に西暦2010年11月10日(水)、梅田芸術劇場で行われた試写会に行き、
「ああ、なるほど、そうまとめたか…」と、ストーリー展開を理解し、
ようやく落ち着いた。

12月1日(水)、ロードショー公開初日、
朝一でTOHOシネマズ二条へ行ってパンフレットを買い、
改めて諸設定等を確認して、フムフム。

12月2日(木)、またTOHOシネマズ二条に行き、
レイトショーでゆったりと2度目の鑑賞。
梅田芸術劇場は映画館ではないため、音響がもうひとつだった。
改めてサラウンドで楽しみたかったのだ。

重要な要素となるシーンをあと2つか3つ足して欲しい。
往年のファンはついそんな贅沢を思ったのだが、
今思えばやはりよくまとまった映画だったと思う。
日本映画の底力を見たような気がした。

浄瑠璃寺2011年10月11日

巨大なトランクを引きずっているあの4人組を追い越す。
お笑いもいいけど、このままではせっかくの参拝が台無しになりそうなのだ。

とても静かな山里である。
背の高い樹木に囲まれているため、
お寺以外の人工的建造物が全く目に入らない。
素晴らしい環境だ。

が、境内からなんとなく嬌声が響いてくる。
山門を潜ると、東京から修学旅行にやってきた女子高生たちであふれていた。

浄瑠璃寺は、浄土式庭園の典型例だそうだ。
中央に池を配し、
池の西側に阿弥陀如来を配置する本堂があり、
池の東側に薬師如来を祀る三重塔がある。

今、女子高生たちは本堂の前に集まっている。
逃げるにしかず、ということで先に三重塔を目指した。

ここへ来て初めて知ったのだが、
割と小ぶりなこの三重塔、国宝なのである。
女子高生から逃げて先に三重塔に来ただけだったのだが、
実はこれが正式な参拝方法だった。
というのは、まず東の薬師如来にお参りし、
その場で振り返って池越しに西方の阿弥陀如来にお参りするのが
本来の礼拝なのだそうだ。

いやはや、女子高生たちに感謝である。

彼女たち、今度は三重塔に向かってくる。
(つまり、参拝の順序が逆である)
私は入れ替わりに池向こうの本堂にまわった。

せっかくなので本堂の中に入って、ビックリ仰天した。
平等院鳳凰堂では見上げるような阿弥陀如来坐像に圧倒されたのだが、
浄瑠璃寺では九体もの阿弥陀如来像と対面させていただいたのだ!
やはり国宝である。

普段呑んでばかりで煩悩の塊である私だが、
この日ばかりは心洗われる一日となった。

静かな気持ちで本堂の出入口に戻ってくると、
そこには、かのトランクが鎮座ましましている。
思わずクスッとした。

さて、浄瑠璃寺の池の形状は、
平泉の観自在王院の池の形状とそっくりだと物の本に書いてあったのが、
浄瑠璃寺を訪ねてみたかった理由である。
観自在王院は今では遺跡となってしまっている。
同様の浄土式庭園が現存している浄瑠璃寺をこの目に焼き付け、
予習しておきたかったのだ。

もう一箇所2011年10月6日

平等院の参道で、抹茶を練りこんだそばを食べる。
JR宇治駅に戻っても、まだ11時30分である。
このまま真っ直ぐ帰るのはもったいない。
もう一箇所、かねてから尋ねてみたいと思っていた、
浄瑠璃寺に向かうことにした。
場所は木津川市、もうほとんど奈良県との境である。

奈良行きの快速車中でうとうと。
程なく、木津駅に到着。
大阪発加茂行きの大和路快速に乗り換え、加茂駅へ。
そこからは木津川市コミュニティ・バスで浄瑠璃寺へ向かう。

ここで面白い女の子と出会った。
女の子、と言っても、おそらく大学生である。
他の男子3人と一緒で、合わせて4人で京都に旅行に来たという風情。

まず、荷物が凄い。
まるで海外旅行に行くかのような、巨大なトランクを引きづっている。
男子との会話を聞いていると、
「何かと必要かと思って…」
おい、もっと旅がしやすいように考えろよ、
と思わず突っ込みたくなる。

そしてバスに乗車するとき。
男子3人の制止を振り切り、
何としても降車口から乗車しようとする。
「あっ!」とか何とか言って、
ようやく気づいて乗車口にまわる。

発車前、500円玉を両替しようとして、
運賃箱に入れてしまう。
運転手さんがしようがなく自分の財布から100円玉5枚を渡す。
おまえはサザエさんか!

挙句の果てには、カーブでトランクを倒してしまい、
ぶち当たった乗客のおばちゃんに平謝り。
こんだけネタ提供してくれたら、お寺のこと、書けへんやないかい!

そんなこんなで、この4人組と一緒に浄瑠璃寺に着いたのであるが、
さらに驚いたことに、
東京からやってきた女子高生集団と鉢合わせ、
静かな筈の浄瑠璃寺が、
まさかの女の園と化していたのである。

あまりのショックに、続きはまた…

平等院2011年10月5日

夜勤前に早出し、夜勤明けで居残りすると、さすがに堪える。
阪急で四条烏丸まで帰ってきたとき、
「今日は歩くのやめて、タクシーに乗ろうかな」
と思ったほどだ。
が、風邪で高熱が出ている訳じゃない。
やはり、意を決して歩くことにした。

丸太町を越えて京都御苑にさしかかった時、
急に甘い香りが鼻孔いっぱいに広がった。
キンモクセイの香りだ。
脳髄をくすぐる心地よさだ。
やはり、歩いてよかった。

すっかり元気を取り戻した夜勤明けの翌日、秋晴れ。
しかし、まだ少し眠い。
今週いっぱいで終わる映画も気になるところだが、
このままでは途中で寝てしまいそうだ。

こんな日は体を動かすに限る!
そして時々居眠りするに限る!
という訳で、唐突だが、
宇治の平等院に行くことを思い立った。

JR宇治駅からでも、京阪宇治駅からでも徒歩10分。
そんな予備知識だけは昔からある。
「いつでも簡単に行けるや」という油断が常にあって、
行くきっかけが全く掴めなかった。
しかし、今日は意を決した。
大きな旅の前の、予習も兼ねている。

JR奈良線を選択。
平日のゆったりした車内で、
案の定、うとうとする。
宇治駅からは徒歩。
迷うことなく到着した。

左右の翼廊を従えた優美な鳳凰堂の姿、
まさか知らない人はおりますまい。
どうしても分からないという方は、
どうぞ10円玉をご覧ください。

鳳凰堂を外から眺めるだけで充分だったのだが、
なんと、鳳凰堂の内陣を拝観できるというのである。
別料金が必要だが、せっかく、である。
人数制限があるが、平日の午前中である。
すぐに入ることができた。

黄金に輝く阿弥陀如来坐像に、
すっかり圧倒されてしまった。
信徒でもなんでもないのに、
自然と頭を垂れ、手を合わせていた。
なんだか泣けてきてしまった。
来てよかった、と思った。

平等院を模して建てられたという、平泉の無量光院。
いまでは遺跡となってしまっているが、
その規模は平等院を上回るものであったらしい。
果たして、どんな姿だったのだろうか。