2012年09月

子供のころ嫌いだったもの2012年9月13日

散髪してもらいながら、ふっと思ったのです。
「そういや、俺、子供の頃、散髪してもらうの嫌いやったよなぁ。
それが今では大好きやな」と。

子供の頃はじっとしているのが堪らなく辛かったのです。
それが今では散髪してもらう約1時間、至福の時と感じます。

以前は美容室に行かせてもらったこともありましたが、
今は専ら理容室。
何せ、美容してもらうほどの髪がありませんから(涙涙涙…)

すっきりスポーツ刈りにしてもらうと、
とっても気持ちいいです。
たまの丸刈りもいいですな。

どうということもない世間話を交わすのも、またいい。

そして最高にいいのが、夜勤明けで散髪してもらうときです。
猛烈な睡魔に耐えながらじっと座っている、あの自虐的な感じ、堪らんです。
でも時々落っこちてしまい、首がガクッ!
「あっ、済みません…」

顔剃りで椅子を倒されると、
遂に耐え切れなくなって本格的に落っこちてしまいます。
顔剃りが終わって「椅子を起こしますよ」の声がかかり、
ふっと我に返ったときの、
あの清清しさといったら!

やめられまへんなァ~

なれる、ということ2012年9月8日

『真夏のSounds good!』も『風が吹いている』も、
初合奏のときはやたらと音が大きく、
バランスもへったくれもありませんでした。
きっとプレイヤーの皆さんにとって、
楽譜を読むのに必死で、
知らず知らずのうちに力みが加わり、
どんどんボリュームが大きくなってしまったのでしょう。

ところが昨日は随分落ち着いた合奏となりました。
かなり楽譜が読めてきて、
演奏に余裕が持てたのだと感じます。
やっぱり「慣れる」ということは大切ですな。

そして「熟れる」、つまり熟成していけばよいですな。

しかし、「狎れる」、これも「なれる」と読むのですが、
「慣れ」過ぎて「なめてしまう」とよくない。
(ちょっと字義から離ているかも知れません…)

常にフレッシュな気持ちで音楽に取り組みたいものです。

『オール・アバウト・ユー』をコンデンスする2012年9月5日

以前も書きましたが、
『オール・アバウト・ユー』は
せせらぎのユーフォニアム奏者・カヨちゃんの
吹奏楽初編曲作品です。
今ではコンピュータ浄書による楽譜作成が当たり前になっていますが、
20数年前の当時は手書きが当たり前でした。
カヨちゃんの書いた、この手書きのスコアを眺めながら思うのです。
「美しい!」と。

私自身、この曲を勉強し直さなくっちゃ、と思い、
移調楽器を全部ピアノの調に揃え、
3~4段くらいの五線紙にまとめる「コンデンス」を行っています。
それをしながら思ったのが「美しい!」なのです。

コンピュータで作ってあっても、
「これを作った人、何を考えてんのか全然分からへんなぁ」
という曲もあります。
が、たとえ手書きでも、
カヨちゃんの書いた『オール・アバウト・ユー』は、
編曲者の意図がスンナリ伝わってくるのです。
初編曲作品がこれですよ!
凄いことです!

例えば、ホルンとトロンボーンで和音を作るとき、
ホルンとトロンボーンの音域を完全に分離するのではなく、
音域を重ねるようにするといい響きが生まれやすくなります。
私は20年くらい指揮をやって、
つまり楽譜を読み続けてやっと気付いたのですが、
カヨちゃんは初作品でそれをちゃんと書いているのです。

そりゃ、カヨちゃんはエレクトーンの先生でもあるのだから、
当たり前かもしれません。
けれども、世の中には理論ばかり勉強して、
音にしてみたら「何じゃ、こりゃ?」という楽譜を作る人もいるのです。
やっぱり、凄い!

カウンター2012年9月2日

先日、珈琲・吉田屋のマスターがお亡くなりになりました。

※※※

吉田屋というのは、京都・先斗町(ぽんとちょう)の北のはずれにある喫茶店です。
今ではどこもかしこも「カフェ」がもてはやされていますが、
吉田屋はあくまでも「純喫茶」です。

大学1年生のとき、友人に連れられて始めてこのお店でコーヒーをいただきました。
吉田屋はエスプレッソ・コーヒーの専門店なのです。
また、カウンターしかない、まるでバーのような造りです。
私はその雰囲気がとても気に入り、数日後、アルバイト希望で再訪しました。
3人いらっしゃる大学4年生のアルバイトが卒業で抜ける半年前というバッチリな時機で、
即採用ということになりました。

大学の授業を午前中に固め、
大急ぎで昼食を済ませたら吉田屋へ向かいます。
午後2時から夜の10時まで、アルバイト一人に任されるのです。
コーヒーを淹れ、
洗物をし、
料金を頂戴し、
お客さんとしゃべる。
カウンターの中で一人で切り盛りするのです。
私は週に6回、アルバイトに入りました。
青年期の私を鍛えてくれたのは、
間違いなく吉田屋と、マスターでした。
そして、酒を呑むときもカウンターが好きな私の素地も、
この頃作られたのだと思います。

※※※

大学卒業後も、ちょくちょくコーヒーを飲みに通いました。
特に、夜勤明けで映画を観たあとなど、
吉田屋で一服してから帰る、という習慣でした。

が、昨年の暮れに行ったっきり、訪れていませんでした。
夜勤明けで映画を観たあと、
昼間からアルコールを飲める店にいくようになっていたのです。

まさかマスターのご病気がこんなに悪かったとは…
あまりの不義理に、申し訳なさでいっぱいです。