2012年09月
藤沢周平原作、
山田洋次監督、
映画『たそがれ清兵衛』に打ちのめされて(感動して)以来、
藤沢周平作品が映画化されれば必ず観てきました。
が、文学作品そのものを全く読んでおらず、
これではいかんと一念発起して読み始めたのが3年位前だったでしょうか。
何も考えず、
とにかく新潮文庫に収められている作品を順番に読んできましたが、
読破まであと3~4冊というところまで来ました。
(ただし、新潮文庫に藤沢周平作品の全てが収められている訳ではないと思うので、
あくまでも新潮文庫所収の藤沢周平作品の読破に近づいているということですが)
今読んでいるのは『ふるさとへ廻る六部は』という本。
とにかく何も考えず順番に読んでいるので、
事前情報というのが全くありません。
藤沢周平=時代小説と思い込んでいたのですが、
この本はエッセイ集だったのです。
ちょっとした驚きがありました。
その中の『二月の声』というエッセイを読みました。
山形出身の藤沢周平さんにとり、
二月は「いったいいつまで寒さ、暗さが続くのだろうか」
と思わせる季節だそうです。
それが東京・上野に夜行列車で出てきたある二月、
もうそこには春の気配が感じられショックを受けたという件があります。
思えば、私の少年時代、
京都もしっかり寒かったと思います。
二月は特に盆地特有の底冷えに凍えたし、
よく雪も降り積もりました。
授業をやめて京都御苑で雪合戦させてくれた先生のことなど、
懐かしく思い出します。
しかし、最近の冬はそんなに寒く感じません。
二月なのにこんなに暖かくていいのか、
と思わせるような日もあります。
九月が終わろうとしていますが、
いったい、いつまで暑さが続くのでしょうか。
新曲を初見で合奏する、
しかもアップ・テンポな曲だったとしましょう。
大概、突っ走ってしまいます。
音量もどんどん上がります。
余裕がなくなるんですな。
高校時代の恩師の教えは、
とにかくゆっくり練習すること。
先生の指定は時に信じられないくらい遅かったりするんですが、
そのおかげでいろんなことに神経が回るようになるのです。
音程であったり、
音色であったり、
演奏姿勢であったり。
ピアノの先生の教えは、
何か一つをやめてみること。
例えば、短いフレーズだけでも楽譜を見るのをやめるのです。
(もちろんそのフレーズは覚えます)
そして指先をしっかり観察すると、
フィンガリングの欠点が見えてきたりするのです。
どちらの先生の教えも、
余裕なく、
そして工夫なく、
ただ必死にやるだけでは効果が上がらないよ、
と言ってくれているように思います。
すこーし力を抜いて自分自身を俯瞰するように観察すること、
大切だなぁと思います。
入社2年目だったか3年目だったか…
「金曜日の夜は楽団の練習があるから、
そこだけは夜勤をはずしてもらえませんか?
他の曜日ならいつでも泊りさせてもらいますので…」
と申し出ていたにもかかわらず、
金曜日の夜勤がシフトに組まれました。
勤務デスクの意地悪だったのか…
いやいや、入社したての新人は、
いろんな曜日を経験すべきだということだったのでしょう。
そう思うことにします。
臨時練習の日曜日にしか合奏に参加できない日々が約1年続きました。
練習に参加できなくて辛い、
というより、
合奏の進み具合がわからなくてイライラする、
そんな日々でした。
が、この夜勤をしたことで出会うことができたものがあるのです。
『小さな旅と美術館』という、
土曜日の朝7時30分~8時に放送していたテレビ番組がそれです。
普段はフランスに住んでいる日本人とフランス人のハーフの女の子が
父か母かの祖国・日本の美術館巡りをする。
ただそれだけの番組なんですが、
なんだかとってもホッとする名番組だったのです。
岩田英憲さんのパンの笛(パンフルート)とオーケストラを組み合わせた
丸山和範さんの音楽もとっても素敵。
今でもいろんな番組で使われています。
もともと『小さな旅と美術館』用の曲と知らずに聴いている方も多いと思います。
久しぶりにCDをひっぱり出してきて聴きました。
癒されました。
人知れず、
自分だけの宝物になっている何がしか、
あるもんですねぇ~
夜勤明けで映画観て、
晩飯食って酒呑んで、
もうトロットロに眠たいのを我慢して
『歌謡コンサート』と『ニュースウォッチ9』を観る。
これ、何とも言えない快楽です。
(眠いのを我慢するの、ホンマ好きやな。俺はMか?)
昨日(9/25)の『歌謡コンサート』は市川昭介さんの歌の特集。
『ハクション大魔王の歌』が市川昭介さんの作品だったとは!
ビックリしましたな。
取りは都はるみさんの『好きになった人』。
熱唱、凄かった!
先日、ボウリングの調子が良かった話を書きました。
あの会社のボウリング大会に参加した20人のうち、
左手で投げるのは4人。
一人は、言うまでもなく私。
もう一人は私を強引にボウリングに誘ったM部長。
そして女性スタッフのKさん。
さらに技術職のK君。
このK君、社の野球部のエースでもあります。
ヤクルトからメジャー・リーグに行き、
現在は埼玉西武で活躍している
石井一久投手と顔も投げ方もよく似ているサウスポーです。
私はこのK君に、
左腕のトレーニング方法を時々習います。
ピッチャーとしてではなく、
左利きの指揮者としてですが。
実はこのボウリング大会に参加した人の中に、
面白い左利きがいたのです。
隣の部署で働く女性スタッフのHさんで、
お箸は左手で扱うのに、
その他はすべて右手なんですって。
だからボウリングも右投げでした。
このHさんも含めると、
20人中5人が左利きということで、
「世の中の2割が左利き」
を上回る左利き率の高さです。
だけど、
せせらぎの左利きは、
楽団員の1割以下ではないかと思われます。
ざっと見渡しても、
休団中のKさん以外の左利きの人、
いたかなぁ?
※※※
さてさて、
私がなぜこんなに「右利き?左利き?」にこだわるのか?
それは、自分が一体どちらの手が使いやすいのか、
時々分からなくなることがあるからです。
左利きの人というと、
今ではそれ程でもないかもしれませんが、
子供の頃に右手を使うように
親に矯正されたという人が少なくありません。
私もその一人で、
お箸は右手です。
その気になれば左手も使えますが、
やっぱり右手ですかな。
また、
親戚のおばちゃんが右利き用の子供用グローブをプレゼントしてくれたので、
子供の頃「は」右手で野球のボールを投げていました。
が、
今「は」やっぱり左手で野球のボールを投げます。
左利き用のグローブだけでなく、
ファースト・ミットまで持っていますし。
鉛筆は右でも左でもOK。
気が向いたほうを使います。
絵を描くのは必ず左手。
音符を書くのは右手。
このように自分のことが不思議でならないのです。
じゃあ、他の人はどんな手の使い方をするんだろう?
これが「右利き?左利き?」を観察する動機となっています。
※※※
さて、皆さん、
ビール瓶の栓抜きをするとき(別にビールでなくていいんですが)、
どちらの手を使ってますかな?
おそらく、
右利きの人は右手で、
左利きの人は左手だと思うのです。
では、
ペットボトルの蓋を開けるのは、
右手ですか?
それとも左手ですか?
右利きのあなた、
左手で捻っていませんか?
「あっ、そういえば…」
という方、多いのではないでしょうか。
長年観察してきて、
右利きなのに左手でキャップを開ける人、
かなり多いです。
今まで意識しなかったこと、
ちょっと意識してみると…
なんだか不思議じゃありませんか?
9/22(土)夜、
呑みに行った帰り道、
パラパラと降ってきました。
「あれ?そんな天気予報やったっけ?」
と思いましたが、
帰り着いてからは本降り。
「明日のブラスジャンボリー、どうなるんやろ?」
9/23(日)、
JEUGIA主催のブラスジャンボリーが、
円山音楽堂(野外)で行われる日です。
200人くらいの人が各々楽器を持って集まり、
大合奏を行うイベントです。
昼過ぎまで雨が降り続いたので心配しましたが、
なんとか開催されそうです。
せせらぎからも8人のプレイヤーが参加するので、
聴きに出掛けました。
まずは四条烏丸で、
10月から練習が始まる、
来年の定期演奏会の演目の楽譜の準備作業をして、
阪急電車を1駅間(烏丸⇒河原町)だけ乗って、
四条河原町から祇園の円山音楽堂まで歩きます。
私にとっては大した距離ではありませんが、
あまりの人の多さに思うように歩くことができず、
クタクタ。
途中、南座の前を通りました。
そうそう、山田洋次監督の映画を
フィルムで上映するイベントが行われているのです。
『男はつらいよ』も全作品上映中。
確か、9/23で一旦区切られ、
10月の何日かから再開される筈。
1回くらい足を運ばんといかんわな。
汗だくになりながら円山音楽堂到着。
嬉しいことに、
生ビールを売っていました。
早速1杯買って客席へ。
にしても、JEUGIAで働く人も、
いろいろしはるねんなぁ~
既にホルスト作曲『第一組曲』の大合奏が始まっていました。
『エルクンバンチェロ』『宝島』といった
吹奏楽でよくやるポップスの定番も大合奏されました。
200人がどう揃ってたかって?
いやいや、この合奏はそんな観点(聴点?)で聴くと楽しくない。
飛び出すし、
テンポは速くなる(転がる)し、
違う音は聴こえるし。
でも、そんなことは置いておきましょう。
プレイヤーズの心のパワーを感じとれば、
それでいいのだと思います。
事実、
ホルンを吹かなく(吹けなく)なって久しい私ですが、
なんだかムズムズしてきましたヨ。
どうしようかなァ…
ちょっと前に、
子供の頃は散髪してもらうのが嫌いやったのに、
今では至福のひと時と感じる、
という話を書きました。
散髪してもらいながら、
他にも大人になってから好きになったものがあるなぁ~と、
ぼんやり思っていたのです。
今回は食べ物の話。
☆トマト☆
駄目でしたネ、子供の頃は。
それが今では大好物。
特に夏場など、
トマトをスライスし、
みじん切りしたタマネギと
コールスローまたは白のフレンチドレッシングをぶっかけた奴があれば、
夏バテせずに過ごせます。
トマトジュース、
子供の頃は全く受け付けませんでしたが、
もちろん今ではゴクゴク飲みます。
☆鯖(さば)☆
なぜこんな旨い魚を、
子供の頃は全く食べられなかったのか不思議だと思うくらい、
今では私の定番。
行きつけの呑み屋では、私の顔を見ると、
「今日はいい鯖のきずしがありますよ」
と勧めてくれます。
そして、締めは鯖寿司。
しめ鯖って言うくらいやし(←おやじギャグ)
☆カニ☆
エビはバクバク食べることができるのに、
カニには全く手をつけることができなかった子供時代。
いやはや、不思議でなりません。
そんな私を変えてくれたのは、
職場の後輩、タナカ・ヒデノリ君でした。
釣りをしたりダイビングをしたり、
海で遊ぶのが大好きだったヒデ。
釣った魚をその場で捌いてしまうような奴なんです(←かなり尊敬します)
そんな彼の企画で兵庫県の香住にカニを食べにいくことになりました。
カニが苦手で尻込みしている私を、
「ふーさん(←社での私のあだ名)、思い切って行きましょうや!」
豪快で強引なヒデの誘いに引っ張られ、
兎にも角にも香住に連れて行かれたのでした。
じっちゃんばっちゃん二人でやってる民宿に泊まったんですが、
そこでいただいたカニの、
旨いのなんのって!
聞けば、
じっちゃんが採れたてのカニを漁港に買出しに行ってるそうなんです。
その土地で、
採れたての新鮮な食材をいただく。
とても大切なことなんだなぁと実感しました。
(マレーシアの屋台で食べた「ドリアン」、
滋賀県五個荘町(現・東近江市)で食べた「ふな寿司」、
どっちも新鮮で旨かったナァ)
こうして私にカニの本当の美味しさを教えてくれたヒデは、
その後、営業に異動。
私もラジオのディレクターになって、
しばらく会いませんでした。
そしたら、
「ヒデの体調が悪いらしいで」
という噂が聞こえてきて、
数日後、
ガンで他界したという知らせが…
30歳になるかならないかという、
あまりに早すぎる突然の死でした。
今から15年くらい前のことです…
8月にテスト合奏して、
まずは感触を掴ませていただきました。
プレイヤーの皆さんにとって、
というより、
私自身が感触を掴ませていただくための合奏でした。
※※※
22年前に採り上げた際の印象は、
「とってもいい編曲だ!」
でした。
今でもその印象は変わりません。
それ以来、一体どれだけの楽曲と向き合ってきたことでしょうか。
私自身、いろんな音楽経験を積ませていただきました。
その上で『オール・アバウト・ユー』のスコアをめくってみたのです。
すると、
「これはいろいろと問題があるかも知れへんぞ。
とにかく一回、音にしてみるのが大切やな」
そんな訳で8月に一回さらっと通させてもらったのでした。
※※※
スコアとパート譜の不一致であったり、
強弱記号の不整合であったり、
アーティキュレーションの不揃いであったり…
いろんな問題点が見つかりました。
約一ヶ月かけて、
楽譜の再編集を行ってきました。
それはとっても細かい作業なのですが、
私はとても楽しかったのです!
それは、
『オール・アバウト・ユー』の編曲に対する
カヨちゃんのスピリットを感じとる仕事だったからです。
偉大な作家の偉大な作品と出会った編集者の気持ちって、
きっとこんな感じなんだろうなと思います。
※※※
9/21(金)、
手直し後、初となる『オール・アバウト・ユー』の合奏を行いました。
カヨちゃんの編曲は、
本当によくできていると思います。
各楽器がよく鳴ります。
でも、他の曲に比べて、
まだまだプレイヤーの皆さんが
楽譜の表面をたどっているような感じがしました。
もう少し慣れれば、
楽しくて勢いのある演奏が産み出せると感じました。
友達が4人集まれば
「麻雀やろか」
でも3人とか5人とかだと
「ボウリング行こか」
これが若い頃の遊びの定番でした。
高校の同期は特にボウリング好き。
部活が休みの日は自転車でボウリング場へ繰り出すのです。
高校卒業の「追い出しボウリング大会」では、
上位を狙って毎日ボウリング場に通いました。
(大学浪人が決まっていて、とにかく暇な春休みだったのです)
とことん練習しましたが、50人中の6位になるのがやっとでした。
本当に上手な奴が多かったですね。
せせらぎメンバーに、あの頃ボウリングしまくったうちの二人がいます。
コンマス・ウノ君はスコア・メイクの上手なコントロール・ボウリング。
パーカッション・カツミ君は典型的なパワー・ボウラー。
ピンが可哀相なぐらいのスピードで投げます。
一緒にボウリングをしたラストは、いつやったかなぁ~
二人とも上手やったなぁ~
※※※
先日、勤務先の局内3部合同ボウリング大会が開かれました。
なぜかボウリングがお盛んな部署で、
今回が30回目だそうです。
(歴代29人の優勝者が書かれた「チャンピオン・ベルト」なるものまであります)
若い頃、さんざんボウリングで遊んだせいか、
社会人になってからは殆んどやっていませんでした。
大体、勤務を終えてからボウリングやなんて、めんどうくさい。
俺は早く呑みに行きたいんや!
今回も不参加を表明していました。
ちょうど居残り勤務がついている日で、
断る理由も真っ当でした。
そしたら、映画好きで鉄道好きで、
おまけに左利きまで一緒のM部長がすり寄ってきて、
「一緒にレフティー・ボウリング、やろうや」
部長自ら勤務調整までしてくれて、
これでは参加しないわけにはいきません。
居残り勤務を終えたらさっと天六(天神橋筋六丁目)方面へ行って、
さっと呑めば終電には間に合うぞ、駅チカやしな、
と思っていた計画は台無しです。。。
※※※
私がボウリングをしなくなった理由には、
実は左利きであることも含まれるのです。
若い頃、ボウリング場には左利き用ボウルがありませんでした。
ですので、右利き用のボウルを無理やり投げていたのです。
長年やるうち、それを手が覚えて、慣れてしまいました。
しかし近年、数は少ないけれども、
ちゃんと左利き用ボウルが置いてあるようになりました。
それを使ってみると、
思いもしないカーブするはシュートするはでガターの嵐!
これはアカンということで右利き用ボウルに戻すのですが、
やっぱり球がコントロールできません。
手が訳の分からないことになってしまったのです。
スコアは60とか70にまで落ち込みました。
せめて100は出さんと…
すっかり面白くなくなってしまったのでした。
※※※
全くテンションのあがらない状態で迎えたボウリング大会。
練習投球してもやっぱり球の向きが読めず、
やる気のないまま左利き用の軽めのボウルを転がしてみたら、
「むむっ!」
初めて味わう感覚でした。
肩、肘、手首、指先、ボウルが一体となって、
狙ったところに転がる感じなのです。
いざ本番。
その感触は持続しました。
私はパワー・ボウリングなんてとてもできないので、
コントロール重視でじっくり転がすのですが、
ほとんど思ったところに行ってくれました。
ストライクはあまり取れませんが、
スペアは沢山取れました。
1ゲーム目186、2ゲーム目168、アベレージ170台でした。
20人中2位の成績でした。
「チャンピオン・ベルト着けんで済んで良かった~」
これ、負け惜しみじゃなく、本心です。
大会が終わったらすっと抜け出し、
やっぱり天六方面へと向かったのでした。
清々しい酒が呑めました。
でも、かつての仲間とやるとすると、
アベレージ170ではまだダメやな。
190必要やなぁ~
楽譜っていう奴には、
「スピリット」がこもっていると思うんですねぇ~
カヨちゃんが編曲してくれた『オール・アバウト・ユー』、
やっぱり「スピリット」がこもっていると思うのです。
コンピュータ浄書全盛の現代からすると、
手書きの楽譜は読みにくいかも知れません。
が、僕から言わせれば、
工芸作品にも似た、
手造り感があるのです。
楽譜を書いた人の霊感を感じとりながら演奏する。
とっても幸せなことだと思います。
手書きでは避けられない記入ミスもあります。
それを手直ししています。
それが幸せです。
楽しくて仕方ありません。
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