小さな旅に出る2012年11月4日

大昔(平安時代くらい)、
ご先祖様は東北地方で暮らしていた、
というのが我が家の伝承なのですが、
はっきりしたことは分かりません。
ずっと時代が下がって、
江戸時代には能勢で暮らしていたのは確かなようです。
現在の大阪府豊能郡能勢町。
大きなお寺の裏山に、
江戸時代から続く我が家の墓所があるものですから。
(祖父か曽祖父の代、
時代は明治に京都に移り住んだようです)

めっきり冷え込むようになって、
晴れていたかと思うと急に雨が降ってくる、
典型的な時雨模様の11月2日(金)。
たとえ天気が悪くとも
この日をはずすといつ行くことができるかわからないお墓参り。
意を決して出掛けました。

能勢といいますと、
今はせせらぎを辞めておられるコッサンの故郷でもあります。
コッサンというのはニックネームで、
本当はコサカさんです。
(今はご結婚されて姓はかわっておられますが)
彼女の故郷と私の故郷は地図で見ると近いし、
実際、車で走れば十分かかるかどうかだと思います。
けれども、一山か二山越える筈です…

そういや、コッサンはティンパニが上手やったなぁ。
コッサンが叩くと美しい音が響くんやなぁ。
また聴きたいなぁ~

さてさて、能勢町に向けて出発です。

子供の頃、父と母に連れて行ってもらった能勢へのお墓参りは、
丸一日かかる、ちょっとした旅でした。
まず、国鉄・山陰本線の二条駅から亀岡へ向かいます。

二条駅は、
今の高架ではなく、地べたに建っていました。
古めかしくて重みのある駅舎(今は梅小路蒸気機関車館に移設されている)、
駅の西に広がる広大な操車場。
単線・非電化の路線。
何もかもが旅情をそそるものでした。

保津峡も、
今のようにトンネルだらけでストレートな路線ではありませんでした。
現在はトロッコ列車が走る、渓谷沿いのカーブだらけの路線でした。
鉄道にとっての難所と言ってよく、
京都市と亀岡以北を隔てる感が強かったのです。

気動車のキハ58系でゆっくり走る旅路は、
それはそれは長閑なものでした。
時に急行・丹後(当時、特急は走っていなかったと記憶する)に乗ったとしても、
二条⇔亀岡間は40~50分かかったのではないでしょうか。

今回は京都駅から乗りました。
ダイヤなど調べず、出たとこ勝負で行ったら、
ちょうど特急はしだて・まいづる(綾部まで連結)が出るところだったので、
自由席に飛び乗りました。

京都市内の山陰本線の殆んどが高架化されているので、
見晴らしもよく、快調に走ります。
複線化・電化がどこまで進んだのか知りませんが、
最低限、亀岡までは完成しています。
前述のように、保津峡もあっと言う間に抜けてしまいます。

京都⇔亀岡で20分乗ったかどうかという感じでした。
昔のことを懐かしむ時間もなく、
旅情を味わうこともなく亀岡に着いてしまいました。

亀岡駅も、かつての味わいある駅舎ではなく、
近代的なものに変わっていました。
地方都市でよく見る、ちょっと冷たい感じの駅舎。
トイレは綺麗で助かるんですけど。

便利になったのは有難いことですが、
日本人は大切な何かを置き忘れてしまったのでは…
そんな大袈裟なことを、ふと感じました。

ようやく亀岡まで着いたところでかなりの字数を使ってしまいましたので、
続きは稿を改めさせていただこうと思います。