激動の一日2021年6月5日

楽団の活動を再開した6月4日。
1989年には天安門事件が起きた日でした。
個人的な話で恐縮ですが、
2012年の6月4日は母が亡くなった日です。

そして2021年の6月4日。
前述の通り、
楽団の活動を再開した日なのですが、
それに至る前、
またまた個人的に激動の一日だったのです。

※※※

書斎の南側の窓に面して、
クラヴィノーヴァを配しています。
ピアノの稽古をしていると、
何やらしょっちゅう鳥が飛ぶ様子を目にするようになっていました。
いつの間にか、
窓の外に植えてある椿の木に、
ヒヨドリが巣をかけていたのです。

ある時から親鳥が巣にじっと座るようになりました。
私と目が合うと飛び去ってしまうので、
出来るだけ目を合わせないように気を付けました。

親鳥が留守のときに巣を覗くと、
卵が3つ。
気付いた時には雛になっていました。

(あまりいい写真ではありませんが)

親鳥が運んできた餌をついばみながら、
日に日に育っていく様子を、
ピアノを稽古する合い間に楽しみに見守ってきました。
でもまた、
私の存在を見てしまった親鳥は、
餌やりもそこそこに飛び去ってしまうので、
気付かれないように気を付けました。

そして迎えた6月4日の朝。
降りしきる雨の中、
朝早くからヒヨドリの鳴き声がいつもより大きいなと思っていたら、
雛たちが巣から出始めたのでした。
巣立ちの日を迎えたようです。

私の勝手な想像で、
巣立ちといえば、
あっさり飛び立っていくのだと思っていたのです。

しかし、
現実は違っていました。

三羽とも、
巣のすぐそばの椿の枝に捕まったまま動きません。
ふと見ると一羽いなくなっており、
よく見ると地べたに落っこちているのです。

ただでさえ初飛行であるところ、
雨で羽が重くて飛びにくいと思われるのに、
天敵に狙われやすい地べたに落っこちるなんて。。。
私はちょうどオンライン会議が始まったところで、
助けに行くべきか、
仕事をすべきか、
自然の成り行きに介在すべきか否か、
いろんな思いに翻弄されました。
(オンライン会議用のカメラはオンのままだったため、
北面しているPCカメラは私の不穏な動きを映し続けました)

電柱にいるカラスと、
それに挑みかかるような親鳥の姿や鳴き声を聞くにつれ、
もはやジッとしていられなくなりました。

ドクダミの草むらの中から、
落っこちた雛の鳴き声が聞こえます。
でも、どこにいるのか全く分かりません。
が、鳴き声を頼りに追い回しているうちに、
草むらの外に飛び出してきました。
「今だ!」と思って掴まえようとすると、
親鳥がかばうように、威嚇するようにやってきます。
「俺がやっていることは、ホントはやってはいけないことなんじゃないだろうか?」
と逡巡しますが、
このまま地べたに放っておくのは危険だと決心し、
思い切って掴まえて、
椿の木に戻しました。

すると、
椿の木に捕まっていた残りの二羽が、
驚いて飛んでしまったのです。
まだ完全な飛び方は出来なくて、
一羽は門のところへ、
一羽はガレージへ行ってしまいました。

私は激しく後悔しました。
「俺は感情に流されて、落っこちた一羽を助けた。
しかし、安全なところにいた二羽を危険な目にさらした。
そんなつもりじゃなかったのに。。。」

しばらく体が動きませんでした。
が、意を決して、まずは門のところへ行ってしまった一羽を掴まえに行きました。
すると、その子はまたビックリして、
門の外に飛び出し、
お向かいの家の壁まで飛んでいってしまったのです。
またもや親鳥がかばいに飛んできましたが、
構わず手掴みして、
元の椿の木に戻しました。
車が通っていなくてホントに良かったと思います。

ガレージに行ってしまったもう一羽も掴まえて椿の木に戻しました。

書斎に戻って三羽とも椿の木にいるのを確認し、
ビショ濡れになった服を着替えた私はぶっ倒れてしまいました。
肉体的によりも、
精神的な打撃の方が圧倒的にデカかったです。

その日の夕方、
親鳥に率いられて、
三羽の雛は巣立っていきました。

(巣はもぬけの殻となりました)

私が手出ししてもしなくても、
結果は同じだったのかも知れないし、
違っていたのかも知れません。
ただ、これだけは言えるのは、
何もせずにはいられなかったということです。