2010年06月

本番1週間前2010年6月29日

昨年、第22回せせらぎコンサートを目指しての合奏練習は、
毎回毎回通すことをメインにやりました。
流れの中でのペース配分や、
失敗しても引きずらないで前に進んでいくことを、
奏者自身に考えてもらう、感じ取ってもらうことができるのではないか。
そんな思いで取り組みました。

サッカーに例えたら「流れの中からの得点を目指す」ということでしょうか。

この本番を想定した練習法、それなりに成果をあげたと思います。
その反面、細部を詰め切れずに終わったのも事実だったと思います。

今回、第23回せせらぎコンサートを目指すにあたって、
4月末まではやっぱり通すことに主眼を置きましたが、
それ以降は思いきって通し練習をやめ、
小返しばかりで進めました。

サッカーに例えると「セット・プレーでの得点を目指す」といったところでしょうか。

本当は、まず通したいのです。
その方がプレイヤーの皆さんが雰囲気を思い出せるし、
何より演奏に熱が入ります。
いきなり小返しすると、
暖まってきたかな、と思ったらすぐ止まってクール・ダウンしてしまうし、
フラストレーションもたまるでしょう。

しかし、今年はもっと丁寧にいきたいと思いました。
曲の雰囲気は4月までの通し練習で掴んでいる筈だから、
通しにかける時間を小返しに充てて精度を上げたい、と。

5~6月はほとんど通すことがないまま、
遂に本番1週間前の6/27(日)を迎えました。
午前中は小返しで稽古を積み、
本番通りに午後2時から全曲ぶっ通しに取り組みました。
果たして、全体として通るかどうかもさることながら、
そもそも一曲一曲が通るかどうかが未知数。
何せ、しばらくやってないんですから。

で、やってみての私の感想、
「なかなかええ感じやったやん」

毎週金曜日の合奏で、
プレイヤーひとりひとりにもう少し楽しんでもらえる要素も取り入れつつ、
やっぱり本番を目指して丁寧に作り込んでいくことは大切ですな。

さて、次の合奏は7/2(金)。
本番前ラストの合奏です。
本番当日の午前中は第2部中心のゲネプロとなり、
第1部は全く音出しできないまま本番を迎える可能性があります。
だから7/2は第1部を中心にした合奏です。

そして7/4(日)。
今年はどんな演奏をお届けすることができるでしょうか。
『孤高のメス』で堤真一さんが演じる外科医のように、
私は最後まで諦めない演奏をやり抜きたいと願っています。
(→そやから、そんなかっこええ男と比肩すんのはやめなさい!)

済みません、いつもいつも脱線ばっかりで。
とにかく精一杯取り組みます。
私たち吹奏楽団せせらぎを、どうぞよろしくお願いいたします。

(次回の「ひとりごと」は演奏会終了後とさせていただきます)

夏風邪2010年6月22日

大雨となった6/18(金)の練習。
久々に体がだるく、重かった。
2~3年ぶりに風邪をひいてしまったのだ。

いや、普段から風邪はひいていると思う。
きっと、冬場のインフルエンザ・ウイルスにも侵入を許していると思う。
「なんかちょいと、体調おかしいな」と思うことはよくある。
けれども、明らかに風邪、という症状にはならない。
毎日のアルコール消毒が効いているおかげだ(?)

まあ、それはさておき、子供の頃から普段の体温が低めで、冷え性だった。
冬なんか指先が冷たくて冷たくて仕方なかった。
風邪をひくこともしょっちゅうだった。

が、ここ数年で、平熱が上がってきたように思う。
たばこをやめて、血の巡りが良くなったのだろうか。
ウイルスが体内に入ってきても、すぐやっつけてくれている感じだ。

今回、久しぶりに発症したのだが、原因はハッキリしている。
体を冷やしてしまったからだ。

梅雨入り前のある日、夜勤前に昼寝しておこうと思った。
30度はないが、気温は高めで、吹き抜ける風が心地よい昼下がり。
窓を開けっぱなしにして横になった。
とても気持ち良かった。
が、だんだん寒くなってきた。
でも、眠気に勝てず、寒いな、冷えるな、と思いつつ2時間ほど寝てしまった。
そもそも、乾燥注意報が出ているくらいで、喉に違和感を覚えている時だった。
この昼寝が引き金で、発症してしまったようだ。

体調管理の難しい梅雨だ。
蒸し暑いから、ついつい冷やしたくなる。
ところが、梅雨寒って言葉もあるくらいで、急にひんやりした日もあったりする。
プレイヤーの皆さん、本番近いですから、特に気をつけましょうね。
私も早く治します。

演奏会で、お昼寝2010年6月15日

歩くことの効用、実はいろいろあるんです。

まず、歩くこと、そのもの。
とにかく歩くことは気持ちいいです。

次に、無意識に何かを思いつくこと。
歩いていると、ふと、「あっ、次の合奏、こういうことに注意してみよう」
といったことを思いつくことがあります。
すぐに忘れるので、紙と鉛筆をポケットに入れておくことが重要。

逆に、意識的に鼻歌を歌いながら歩くこと。
人通りが多いなら、頭の中だけで歌えば恥ずかしくありません。
演奏のシミュレーションも大概歩きながらやってしまいます。

また、素敵なお店と出会うことがあります。
そのいくつかには飛び込みます。
そのうち、気に入ったお店には何度か足を運びます。
いつの間にやら常連さんの列に加えていただくことと相成ります。

ここ数年で開拓した店のほとんどが、自分の足で稼いだ結果です。
雑誌や本で紹介された店というのはわずかです。
(自ら開拓したんだけど、あとでLeafを読んだら載っていた、
というケースは多々ありますが…)

そんな素敵なお店たちの数軒には、
せせらぎコンサートのチラシを置いていただくことができました。
歩き=宣伝活動にまで繋がるとは、自分でもビックリです。

さて、そんなお店の中に、
たった一人で何から何まで切り盛りしてはる店があります。
なので、料理を出してもらうまで30分以上待つなんてこともあります。
あんまり忙しそうなので、空いたお皿をさげることやテーブル拭きなどは、
ついつい手伝ってしまいます。

日曜定休にしてはるので、
「日曜昼下がりに一週間の疲れを癒しましょう!
昼寝がてら聴きに来てくれませんか」
と、厚かましくお誘いしました。
快諾していただくと同時に、
店頭にもチラシをいくつか置いてくださいました。

いつも忙しくしてはるから、
つい「昼寝がてら」という誘い文句を発しましたが、
これ、結構、重要なことだと、あとで思い至りました。

というのは、「眠くなるほどいい演奏」ということも言われるからです。

私が勝手に私淑するマエストロ、
フレデリック・フェネルさんが指揮された東京佼成ウィンドオーケストラ。
出張に絡めて東京までしばしば聴きに行ったもんです。
そりゃもう、至福のひとときを味わう訳ですな。
さらに、ということで休憩時間にビールを頂戴する訳ですな。
あまりの気持ちよさに、ついウトウトしちゃう訳ですな。

何しとんねん!というところですが、
フェネルさんとT0KWOの生演奏があんまりにも素晴らしいから、
お昼寝へと至る訳です。
お昼寝したって、ちゃんと聴いているんですよ、全身全霊を傾けて。
(→ホンマかい!)

比肩するのはおこがましいのを重々承知で、
お昼寝できる演奏を目指したいものだと思いました。

しかし、いびきはいけませんぞ!演奏会場や劇場では。

歩こう、歩こう~その22010年6月10日

6/6(日)朝~夕方、右京ふれあい文化会館での練習でした。
打楽器の皆さん、早朝から沢山の楽器運搬&セッティング、お疲れ様です。
にもかかわらず、夜勤明けで朝イチに着くことができず、済みません。
仕事終わり速攻で阪急梅田から特急に飛び乗り、
桂で準急に乗り換え、
次の西京極で降り、
タクシーで会館に着いたのは11時前でした。
折り畳み式ではなく、スコアが載る大きさの譜面台を抱えているので、
きっといろんな人に怪しい奴と思われていることでしょう。
(重たいですが、楽器ケースのほうが一般の方から見れば自然な姿でしょうな)

この日はプレイヤーの皆さん41人に集合いただきました。
エキストラでお願いしている方を合わせると42人。
私を含めると43人。
せせらぎキッズを含めると…
ありゃ、以外とキッズが少ないな、こりゃまた珍しい。
指揮者見習いの小林和真くんもお休みか、ちと寂しいな…

私の到着までに、実行委員長・近藤君自ら指揮してくれた2曲を含め、
全曲を合奏することができました。
ただし、この日は、数曲を除いて通していません。
細部を詰めておかないと勢いだけの演奏になる恐れを感じていたので、
小返しばっかりで進めさせていただきました。
(通してペース配分を掴みたい方には申し訳ござらぬ)

今年も打楽器パートへの負担が大きく、
曲の途中でかなり走り回ってもらわないとやり繰りつかない曲もあります。
例年だと、ヒナ段の最上段にティンパニ等の太鼓類を載せ、
下手側平地に鍵盤を配置するのですが、
とても無理なので今年は全打楽器を下手側平地に集め、
移動を容易にしてもらうことになりました。

今回の打楽器パートは5人出演してもらうのですが、
この日は仕事で来れない勝己君を除く4人の参加です。
勝己君は普段の金曜日には大概来れています。
逆に他の4人は平日の参加がなかなか厳しい状況が続いていました。

つい先日、夥しい打楽器群を5人でどうやり繰りするかの相談ができたばっかり。
この日はそれを試す機会と相成りました。
私はいつにも増してスコアを睨みっぱなしでした。
(cueが欲しいと思っておられた管楽器の方々にはごめんなさいね)
(でも考えてみたら、自分の出番は自分で責任持つの、当たり前ですわな)
(まあまあ、本番はちゃんと振りますさかい、ご心配なく)

それにしてもWood BlockとGuiroを同時演奏する野村さんやら、
Sus.Cym.のロールとMarimbaのグリッサンドを同時にこなす富永さんやら、
ChimesをレットリングさせてすぐにTam-tamをグワーンとやる朋ちゃんやら、
あんたら超人やな!
でもこれでは朋ちゃんがあまりに忙し過ぎるので、
助けに入ってくれることになった一幸さん、おおきに!

こんだけ頑張ってもらっても、なお人手が足りないので、
フルート・パートから安部さんに助っ人に来てもらって、
『龍馬伝』のChimesを演奏してもらうことになりました。
ホント急な話で、ごめんなさいね、そしてアリガトね。

こんだけ頑張ってもらっても、なお人手が足りないパート、
遂に諦めざるを得ないと判断しました。
もう、これ以上は無理しないで、今の動きを成熟させましょうな。

この日の合奏で嬉しかったのは、
『はぐれ刑事』の旋律をオーボエでプレイする中西さんから、
「どういう気持ちを入れて演奏したらいいの?」
と質問されたことです。
そやねんな、ホンマはそういう内面をどうしようかいな、
と相談しながら音造りしていきたいねんな。
所作を整えることに気がいきがちやけど、
やっぱり中身やねんな。
あぁ、ええ質問やった。

珍しく合奏の感想に力を入れて書きました。
自分でも意外!
『歩こう、歩こう~その2』は…
はい、ここからですねん。
(→えらい長いなぁ。もっと短くならへんのかい!)

帰路、天神川通りを歩いていると、
「乗って行きますぅ~」と、サヤちゃんとアサちゃんに声を掛けられました。
(→なかなか素敵な車やんかいな)
「アリガトな。でも地下鉄の太秦天神川駅、すぐそこやさかい」
言うて、ご辞退させていただきました。

つい、そんな風に口走ってしまいましたが、実は、
御池通が三条通に合流する嵐電天神川から、蚕ノ社、太秦広隆寺と歩き、
太秦広隆寺~帷子ノ辻の「大映通り商店街」を歩きに行ったのでした。

松竹と立命館大学が協力して作り上げた映画『京都太秦物語』の舞台が「大映通り商店街」。
他にも出町柳とか高島屋とか車折神社とかも舞台となるんですが、
全く行ったことのないこの商店街を、ぶらっとしてみたかったのです。
ちょうど右京ふれあい文化会館から近いし。

しかし、歩いてみて気付きました。
中学時代に来たことがあります。
いや、しょっちゅう来ていました。
太秦中学校や蜂ヶ岡中学校は、吹奏楽の合同練習の会場としてよく使われたからです。

それにしても太秦中学校は大映撮影所の跡地に建っていたとは…
これは初めて知りました。
いやはや、感慨深いものがあります。
ちなみに、松竹の京都撮影所は帷子ノ辻のすぐ近くにあるんですね、
現役スタジオとして。
これも初めて知りました。
三条通をちょこっと入っただけの所なのに、全く分からないもんですな。

帷子ノ辻から北野白梅町まで嵐電に乗り、
衣笠~西陣~出町とまた歩いて帰りました。
17141歩でした。
いや~、歩いた歩いた。

歩こう、歩こう2010年6月7日

仕事帰り、いつものように酔い覚ましも兼ねて夜道を歩いていました。
6月です。ボチボチ蛍の季節。
その夜は2匹と出会い、ハンチングを網代わりにして捕まえました。
なんとも言えない優しい光ですね。

歩き回って、蛍と出会って、夜道を振り返るとオバケがついてくるような錯覚があって…
そんなこんながきっかけとなったのでしょうか。
帰宅したあと、無性に『となりのトトロ』を観たくなりました。

一体これまで何度観たか分かりません。
(おそらく30回は下らないと思う)
ただし、前回観てから5年以上は経っていると思います。
それでも完璧に覚えていました。
ここで説明するのは難しいですが、
観ながらだと「次はこうなる」というのが無意識に分かります。
ここでレーザーディスクがA面からB面に切り替わるというのまで覚えています。
(なんと、DVDじゃあ~ないんです)

しかし、音楽と映像とのリンクが私の中で完璧ではありませんでした。
「ああ、このメロディはこの場面でも使われていたのか」
という新たな発見がありました。
トトロは演奏会でプログラミングしてあるもので、
すごくいい刺激になりました。

いやぁ~、『となりのトトロ』、ホントいいですねぇ~。
僕は宮崎駿監督の映画、大好きD♭ね。
特に「飛ぶ」シーンを描かせると右に出るものがいないですね。
トトロにつかまってサツキちゃんとメイちゃんが夢の夜空を飛ぶシーン、
たまりませんね。
ナウシカが飛ぶだけで何回泣いたか分かりません。
カリオストロでルパンがクラリスの幽閉されている塔へジャンプするシーン、
いや、もうどう書けばいいのか分かりませんな。
そんでもってルパンとクラリスの別れのシーン、、、
もはや涙腺破壊状態なので、ここらで筆を置かせていただきます。

一人旅2010年6月1日

思えば、4~5年前まで、私はヘビースモーカーだった。
セブンスターを毎日1~2箱吸っていた。

が、「タバコやめたら何ぼでも温泉一人旅していいよ」という女房の一言。
鼻面にニンジンがぶら下がった。
タバコと温泉一人旅、
そりゃもう温泉一人旅のほうがええに決まってますがな、
という訳で一念発起!
何度も挫折しながらも遂にタバコをやめた。
タバコという抑制剤がなくなったことで、
酒量が驚くほど増えることになるのだが。

こうして温泉一人旅の権利を得た私だが、
かと言ってしょっちゅう旅に出られるもんでもない。
大体、許可したくせに「旅に出るぞ」と言ったときの、
女房のあのイヤそうな顔ときたら…

しかし、今年のゴールデンウィーク。
旗日に関係なく働いた。
その代休をもらえることになった。
私と似た境遇のPerc.勝己君は、5/21(金)から4日間の代休だそうだが、
私は5/24(月)からの3日間。
意を決して温泉一人旅に出ることにした。

5/24(月)?
そう、あの大雨の日である。

私の決意はグラグラしていた。
この大雨の中、本当に鳥取まで出かけるのか?
この雨は出かけるなという天の声ではないのか?
朝イチからレーダーアメダスの画像と、JRの運行状況を睨みつつ、
ウンウン唸っていた。すると…

姫路付近で川の水位が規制値を超えたため、
運転取り止めの情報が飛び込んできた。
京都を発し、山陽本線を走り、智頭急行線を北上、鳥取を通り倉吉へ行く
特急「スーパーはくと」は運休になるに違いない。
これが逆に私の腹を決めるきっかけとなった。

家にいても埒があかない。
時刻表持って、とにかく京都駅に行こう。
みどりの窓口で最新情報を得ながら、
何とかして鳥取まで辿り着く方法を考えるのだ。

案の定、山陽本線はストップしており、
京都10:51発の「スーパーはくと5号」は運休となっていた。
幸い、山陰本線は止まっていないので、
京都11:25発の「きのさき1号」で城崎温泉まで行き(13:51着)、
そこで1時間待ちで普通(14:57発)に乗り継ぎ、
また浜坂で乗り換えて鳥取を目指すことにした。

が、折り返し「きのさき1号」となる「はしだて4号」が入線して来ない。
やはり大雨の影響で遅れているのだ。
入線は結局11:40過ぎで、
車内整理を終えたのち「きのさき1号」としての出発は11:50となった。

それから何度も何度も対向待ちのための一時停止が続き、
結局、城崎温泉到着は14:40。約50分の遅れだ。
乗り換え待ち1時間以上の筈が、
14:57発までちょうどよい具合の待ち合わせとなってしまった。
(ここからはダイヤ通り動くこととなる)

一人旅は、一人なるが故によい。

昔、スキットルに入れたウィスキーをチビチビ飲りながら旅する男を描いた
サントリーのCMがあった。
憧れだった。

もちろん、初めての一人旅って訳じゃない。
どちらかというと旅慣れしているほうだと思う。
が、今回は異常に寂寞感を覚えた。

城崎温泉発、浜坂行きの普通列車。
2両編成のワンマンカーである。
その2両目に乗っていたのは、私を含めたった3人だった。
鎧(よろい)付近では、リアス式海岸の崖の頂が見えぬ程低く雲がたれこめていた。
余部(あまるべ)鉄橋を通ったのは約3年ぶり。
おそらくこれが最後だろう。
横には新しい鉄橋が、もうほとんど完成しかかっている。
トレッスル式の美しい鉄橋は、取り壊される運命なのだろうか?

浜坂で鳥取行きの普通に乗り継ぐ。
雲が低い。
やはり2両編成のワンマンカーの2両目。
最初は中学生か高校生らしい地元の少年少女5~6人と一緒だったが、
次の諸寄(もろよせ)で降りてしまい、
私一人きりとなった。
その次の居組(いぐみ)は、なぜこんな山の中に駅があるのか分からない、秘境駅である。
驚くことに、前の車両から女の子が一人降りた。
この駅で乗降客を見たのは初めてである。
駅前に迎えに来ていた車に乗り込むのが見えた。
あの車、どうやってここまで来たのだろう?

それからズーッと一人だった。
一人は気楽でいい、と思っていたが、
そういえばこれまで、何やかやと周りには人の話し声がしていた。
たわいもない世間話、その土地土地の言葉に耳を傾けるのは楽しいものだった。
が、誰の話し声もしない。
外は山陰の篠つく雨。寂しい。

宿に着いた。
スーパーはくとに乗れなかったので2~3時間遅れたが、
何とか無事辿り着くことができた。
ようやく晴れ間が見えてきた。
宿の人と話す何気ない会話が、
とても楽しかった。