2019年09月
王道2019年9月11日
イギリス海峡にあるガーンジー島。
(ガンジーじゃなくて、ガーンジーでOK)
地図で見るとフランスの方が近い。
第二次大戦中、
ナチス・ドイツに占領されました。
映画『ガーンジー島の読書会の秘密』は、
戦中、そして戦後間もなくの頃のガーンジー島を舞台にした作品。
奇をてらうことなく、
映画の王道を真っ直ぐ行く作風だと思いました。
素晴らしい!
映画館を出るときに、
観に来てホント良かった、
そう思える作品です。
この映画を観て、
基本ってホント大切だと再認識しました。
それが跳ね返ってきたのが、
『コラール』の練習です。
全音符とか2分音符とかの、
いわゆるゆったりしたリズム。
最近、音価(音の長さ)がまちまちになってきているのを感じていました。
全音符なら8分音符が8つ、
2分音符なら8分音符が4つある筈なのに、
そういう音価に感じられないことが多い。
メトロノームをカチカチいわせて合奏してみました。
☆『天気の子』
東京・麹町での会議が15時から。
12時頃の新幹線に乗れば十分間に合うので、
朝一番の『天気の子』を観ました。
夏休みの明けた平日の朝イチをずっと狙っていました。
案の定、
MOVIX 京都で二番目に広いシアター10(332席)で、
5人での鑑賞でした。
『君の名は。』に続いて、
『天気の子』もめっちゃ面白い作品です。
RADWIMPS の音楽も素晴らしい。
リピートしちゃいそうです。
☆麻布十番
8月の最初。
いとこの奥さんが亡くなったと知らせを受けて、
葬儀の行われる東京の五反田に駆けつけました。
20年ぶりくらいに会う親戚ばかりだったのですが、
その中のいとこの次男・仁くんが、
麻布十番の和食の店「jin」のオーナー・シェフをやっていることが分かったのです。
麹町での会議後、
立ち寄らせていただきました。
若い頃に和食&イタリアンの修行を積んだと聞いていたのですが、
大変おいしく頂戴しました。
飲み物はいとこが支払ってくれる手筈となっていました。
遠慮なく、沢山頂戴しました。
近くからは六本木ヒルズが見えます。
と同時に、
一本裏の道に入ると閑静な場所もあります。
東京都立六本木高等学校もありました。
☆富士山
往路は曇っていて全く見えませんでした。
帰りは快晴。
東京からも見えていました。
新幹線の車窓から。
9月6日(金)は、
ピッコロ × 1
フルート × 1
E♭クラリネット × 1
B♭クラリネット × 9
アルト・クラリネット × 1
アルト・サックス × 1
トランペット × 3
ホルン × 5
トロンボーン × 3(見学1含む)
ユーフォニアム × 3
パーカッション × 4(見学1含む)
そして私の計33人で合奏しました。
9月22日の「朱三ふれあい祭り」が近づいてきました。
9月6日からは、本番の演奏曲目に絞っての合奏です。
本番直前の9月20日は、本番通りの曲順で稽古するとして、
9月6日と13日は順番を入れ替えています。
とにかく、全曲、やる。
さて、9月6日は久しぶりに30人を超えるメンバーが集まることができました。
私はと申しますと、
7~8月、仕事が大して忙しい訳でもないのに、
週末の金曜日だけはどうしても仕事が終わらず練習に間に合わないことが多々ありました。
この日はうまい具合に東京出張からの帰りの日。
一旦大阪には出なければならなかったのですが、
資料整理や出張精算が終われば特にすることもなく、
忙しい筈の週末金曜仕事にタッチすることもなく、
いつもよりは早めにスタジオ入りすることができました。
全曲を短い時間でやるのはなかなか大変ですが、
せせらぎコンサートで演奏した楽曲の再演もあり、
以前に演奏した楽曲の再演もありで、
予想していたよりはスムーズに練習できたかなと思います。
が、不足する楽器を補うため、
本来の楽譜に加え、
追加の譜面を演奏してくれるパートがあります。
屋外演奏のため自身の楽器の演奏を控え、
打楽器の助っ人に回ってくれる人もいます。
様々な苦労や工夫、遣り繰りで何とか凌いでいます。
乗りきりましょう。
8月30日(金)は、
ピッコロ × 1
フルート × 1
E♭クラリネット × 1
B♭クラリネット × 6
アルト・クラリネット × 1
バス・クラリネット × 1
トランペット × 4
ホルン × 4
ユーフォニアム × 1
テューバ × 1
パーカッション × 3(見学1含む)
そして私の計25人で合奏しました。
※※※
高校時代の2期下の後輩、N が亡くなりました。
高校卒業後、
N は私鉄の車掌になり、
そして運転士になりました。
彼の乗務する電車に乗ったことが何度かあります。
その後、N は広報のセクションに異動しました。
今から二十数年前、
私がラジオのディレクターをしていた頃には、
仕事での交流もありました。
お互いの務める会社がご近所であるにもかかわらず、
それ以来出会うことがなくなっていました。
梅田駅で久しぶりに N を見掛けたのは、
今から3~4年前の朝だったと思います。
出勤時でした。
奥さんに支えられながら、
杖をついて会社に向かう姿が痛々しく、
私は声を掛けることすら出来ませんでした。
が、ある日、遂に意を決して、「おはよう」の挨拶をしました。
「病気なのか?」と尋ねると、
「そうです」と返しました。
何の病気なのかまで問うことが怖くて出来ませんでした。
それからしょっちゅう朝の出勤時に会いました。
N と、必ず寄り添っておられる奥さんに「おはようございます」を言い、
お二人が「おはようございます」を返してくれる、
ただそれだけの営みを何度も繰り返しました。
N の姿を見続けて、
映画バカの私は、
『博士と彼女のセオリー』のホーキング博士の症状とよく似ていると感じていました。
会うたびに少しずつ歩き辛さが増しているのが分かりました。
それでもやはり「おはよう」しか声掛けしない日々が続きました。
ある日、
N を会社に送り届けて京都へ帰る奥さんの姿を見掛けました。
意を決して N の病名を尋ねようかどうしようか悩みました。
が、声を掛けることする出来ず見送りました。
奥さんが一人でおられるところと出くわしたのはこの一回きりです。
結局、N の病気が何なのか分からず仕舞いです。
が、それが分かったからといって、どうなるのでしょうか。
N や奥さんに面と向かって病名を聞いてどうなるのでしょうか。
※※※
高校の同期から N が亡くなったと知らされました。
遂にその日が来てしまったのかと思いました。
練習日ではありますが、
東向日で途中下車してお通夜に参列させていただきました。
お経を聴きながら、
車椅子を使わないと難しい状態だと思われるのに、
杖をつきながらあくまでも歩こうとした N は凄いな、
彼に寄り添い支え続けた奥さんは偉いな、
働き続けることが出来るようにサポートした電鉄会社は太っ腹やな。
いろんなことが思われました。
お通夜が終わって四条大宮のスタジオに駆けつけたとき、
合奏のための残り時間は約10分になっていました。
この日のラスト・メニューは『坂の上の雲』のテーマ音楽『 Stand Alone 』です。
いつもは合奏前半に組み込んでいたこの曲を合奏のラストにしたのはこの日だけ。
トランペットの Y さんの申し出によりそうしたのでした。
神の配材としか思えません。
『 Stand Alone 』が N に届くよう念じて、
この日の練習を終えました。
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