みちのく一人旅~その3~2011年11月24日

11月10日(木) 天気:晴れ 歩数:17097

前夜の宿泊は、奥州平泉温泉・そば庵しづか亭。

平泉駅から車で10分ほど西に行ったところ、
山里の中にポツンとある一軒宿です。
「そば庵」と謳っているだけあり、打ちたての新そばをいただきましたが、
これがすこぶる美味でありました。
1日3食、1週間続けてそばでも構わないとくらいそば好きの私ですが、
「わんこそば」が有名な岩手で食べた、これが唯一のそばでした。
なぜでしょう?

さて、朝の9時、この日の行動開始です。
宿のワゴンで平泉駅まで送ってくれます。
運転手のおばちゃんに、
「今日はどこに行く予定ですか?」
と尋ねられました。
「中尊寺に登って、それからウォーキングトレイルで山から下りて、
ちょうど下りたところに毛越寺(もうつうじ)があって、
その隣に旧観自在王院庭園(きゅうかんじざいおういんていえん)があるので、
それだけまわったら平泉駅からJRに乗ります。
今日は水沢に泊まります。」

と応えました。
すると、
「えっ、ウォーキングトレイルを歩くんですか!?
あそこは熊が出るかもしれませんよ。
まっ、熊のほうも怖がって出てこないでしょうけど。
はっはっはっ!」
おいおい、おどかすなよ…

 

前方に、平泉の町並みが見えてきます。
北上川には川霧がかかっています。
その向こうにそびえる青空をバックにした束稲山(たばしねやま)が聳える、
何とも気持ちのいい朝。
それでは登山開始です。

中尊寺の表参道を、月見坂といいます。
いきなり急な上り坂ですが、しばらくするとなだらかな坂に変わります。
杉並木の気持ちいい参道にあるお堂を、一つ一つ丹念に参っていきます。

中尊寺参拝ももちろん重要なのですが、
私にはもう一つ重要な目的がありました。
それは、中尊寺の北を流れる衣川(ころもがわ)を観ることです。

中尊寺は、関山(かんざん)という山にあります。
現地に来て実感したことですが、
関山と束稲山に囲まれた狭い

平野部の真ん中に北上川が流れる。
平泉はそんな地勢です。

京都と大阪の境を成す大山崎も、
二日前に訪れた阿津賀志山(あつかしやま)も、
ここ平泉も、
要害の地であることがよく分かります。

関山の北を流れる衣川は

前九年合戦の舞台となったところであり、
衣川の北側は、奥州藤原氏の前身である安倍氏の本拠地なのです。
衣川の北側まで歩き回るのは時間的にも難しかったので、
せめて中尊寺から観させてもらうことにしたのでした。

いよいよ金色堂に到着です。
一体どこからこれだけの人が湧いてきたのかと思うほど、観光客でいっぱいです。
世界遺産、恐るべし!
なんか久しぶりに、大阪の梅田に来たのかと思うほどでした。
団体の隙間をついて、金色堂にお参りしました。

中尊寺金色堂

それはそれは、金色です(当たり前か!)
いや、その、歴史書や旅行ガイドにいろいろな表現で書いてありましたが、
私としては、正直、言葉を失う美しさに圧倒されました。
藤原清衡(きよひら)の恒久平和への祈りが込められているのですね、きっと。

 

金色堂の隣に、讃衡蔵(さんこうぞう)という宝物館があります。
殆んどが国宝クラスという、物凄いところです。

その中に、「中尊寺建立供養願文(がんもん)」というのがあります。
原本は失われ、南北朝時代に写されたものが展示されています。
だからでしょうか、これは国宝ではなく、重要文化財です。

1126年、中尊寺の落慶法要の際に藤原清衡が読み上げたもので、
人間だけでなく戦で死んだあらゆる生き物の霊を弔い、
奥州の平和を祈ったこの願文には、
藤原清衡の悲願が込められています。
歴史書の中で何度も何度も読み返してきました。
そんなことを思っていると、不意に体中が熱くなり、
思わず知らず、ポロポロと涙を零してしまいました。

※※※

さて、心を鎮めてウォーキングトレイルで毛越寺に向かいましょう。
それにしても、私しかいません。
観光客の皆さん、やっぱり表参道の月見坂を下りるのでしょうか?

で、入り口に立つと、「熊出没注意」と書いてあるではありませんか!
いや、大丈夫、とにかく歩くぞ、
と自分に言い聞かせて2~3分歩いてみたのですが、
だんだん怖くなってきました。
人のいないところばっかり巡っている旅ですが、
ここで誰もいないのは、本当にやめてって。

…スゴスゴともと来た道を引き返し、関山を下りるのでありました…