5年2016年3月12日
3月11日(金)は、
ピッコロ × 1
フルート × 3
B♭クラリネット × 6
ソプラノ・サックス × 1
アルト・サックス × 1
トランペット × 4
ホルン × 6(全員集合!)
トロンボーン × 3
ユーフォニアム × 1
パーカッション × 3
そして私の計30人で合奏を行いました。
また、B♭クラリネットの見学の方にも合奏に参加していただきました。
長大な『序曲1812年』。
9分割し、部分的に抜き出す練習を9回に渡って続けてきました。
昨日はその9回目。
これからも続けていこうと思っていますが、来週はどうしようかな …
というのは、『ミシェル・ルグランの世界』の練習が大変だから。
さて、東日本大震災の発生から5年が経ちました。
思えば5年前の3月11日も金曜日でした。
せせらぎは2011年3月12日(土)に JR 長岡京駅前バンビオでのミニ・コンサートを予定していました。
3月11日(金)は通常ならば仕事に行かなければなりません。
が、突発事態に巻き込まれて残業となると、大切な前日練習に参加できません。
この日は予め年休を取得していました。
「突発事態」は本当に起こってしまいました。
「まさか!」と思いました。
「まずは会社に駆けつけなければ」と思いました。
1995年1月17日を思い出しました。
早朝の地震発生時、私は京都の自宅にいました。
JR も阪急も動かない中、いち早く復旧した京阪で大阪に駆けつけました。
大阪より西の方に住んでいて出勤できない、という人が大勢いました。
出勤できた私たちは連日の泊まり込みで働き続けました。
「今、会社に駆けつければ、帰ることができなくなるのは目に見えている」
私の足は竦みました。
「明日のコンサートは、どうなる?」
燃える街や津波の映像に見入りながら、迷い続けました。
結局、私は夕方までテレビを見続けたあと、練習スタジオへと向かいました。
これほど身の入らない練習をしたのは初めてでした。
誤解のないように書きますが、身が入っていないのは私自身が、です。
もちろん、気もそぞろな楽員の方もいらっしゃったでしょう。
それは私には分かりませんでした。
あまりにも気持ちのこもっていない私に、人の様子までわかる余裕などありませんでした。
翌日のミニ・コンサートを開催すべきかどうか、大いに悩みました。
深夜、楽員同士のメールも飛び交いました。
3月12日(土)朝、ほぼ独断でバンビオに向かった私は、コンサートの中止を申し入れました。
楽員一人一人の気持ちに寄り添うことができたのか?
練習に参加すべきだったのか?
仕事に行かなくてよかったのか?
仕事に行ったからと言って、何ができたのか?
ちっぽけな自分にできることって、何なのか?
あくまでも自分の身の周りに起こったことを中心に、3月11日を振り返りました。
5年経っても、何も解決していません。