スキー・ジャンプ~その2~2012年2月24日

私がスキー・ジャンプにはまったのは、
1994年のリレハンメル冬季オリンピックの原田雅彦選手がきっかけです。

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ジャンプ団体が金メダル目前に迫っていた。
4人のジャンパーが2回ずつの計8回飛び、
合計点数で勝負を争う。
のべ7回を終えた時点で日本はトップ。
最終ジャンパーの原田雅彦選手が普通に飛べば金メダル、だった。
が、その原田選手の最終ジャンプが見事というほかはない失敗ジャンプ。
日本は銀メダルに終わった。

1998年の長野オリンピックに向け、
日本ジャンプ陣の巻き返しが始まる。
NHKのBSでもワールドカップ・ジャンプの中継が数多く放送されていた。
時には1位~5位を日本選手が独占するなんてこともあったし、
原田選手がゴールドゼッケン(ワールドカップ・ランキング1位の選手がつけるゼッケン)
をつけていることもあった。
(日本選手が最終的なワールドカップ・チャンピオンになったことは未だない)

1997年、ノルウェーのトロンハイムで開かれたノルディックスキー世界選手権。
そのラージヒル個人戦。
原田選手が優勝した!

そしてもはや伝説である長野オリンピック。
『WAになっておどろう』が公式テーマソングだった大会である。
ジャンプ団体のリベンジが期されていたが、
原田選手の1回目だけ猛吹雪となる。大失敗ジャンプ。
全選手1回目を終えて日本4位。
しかし2回目、日本選手は大ジャンプを見せつける。
原田選手も最長不倒クラスの大ジャンプ!
最後の船木選手が無難にまとめ、
遂に念願の金メダルを獲得した。

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あの頃、私の心情は完全に原田選手とシンクロしていました。
ともにリベンジを果たしたような気がしたのでした。
私が涙もろいのは、原田選手の影響だと、勝手に思っています。

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それからもワールドカップ・ジャンプを見続けました。
ルール変更への対応が遅れるなどして日本ジャンプ陣の低迷が続きましたが、
それでもテレビで観る機会があれば、
世界のトップ・ジャンパーに魅了され続けました。
もちろん日本選手が勝ってくれれば嬉しいですが、
そうでなくても、
世界のジャンプそのものに魅せられていったのです。

もう引退してしまいましたが、私の尊敬するジャンパーに、
ポーランドのアダム・マリシュ選手がいます。
背の高い選手ほど長いスキー板を使うことができ(それだけ多く浮力を得ることができ)、
背の低い選手は短いスキー板で不利となるルールの中、
小柄なアダム・マリシュは大柄なジャンパーを凌駕するジャンプで、
何度も世界チャンピオンに輝いたのです。
いつも穏やかな笑みを絶やさないアダム・マリシュ、
私の憧れでした。

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音楽しかできない、
いや、音楽もできているかどうか覚束ない私にとり、
空飛ぶ人たちは物凄い憧れです。