原点2010年9月7日
中学2年生のときの吹奏楽コンクール京都大会。
宮本輝紀先生が指揮された洛南高校吹奏楽部の演奏を初めて聴いた。
ストラヴィンスキーの『春の祭典・第2部』である。
衝撃だった。
あまりにも凄い演奏だった。
即座に、洛南高校への進学を決意した。
先生には、3年間、よく怒られた。
今でも何が怖いって、宮本先生に怒られたことが筆頭である。
そして、宮本先生に怒られたことが、何よりの財産である。
いつも真正面から想いをぶつけてくださったからだ。
数年前、『威風堂々第1番』を採り上げたせせらぎコンサートを、
宮本先生が訪ねてくださった。
私が指揮する姿を観ていただいたのは初めてのことだった。
頭をものすごく短く刈って本番に臨んだ。
そのくらい緊張した。
その後、先生とOB数人でお会いすることがあり、昔話に花が咲いた。
そのうちに指揮する曲の勉強法に話が及んだ。
移調楽器だらけのフル・スコアをピアノ譜にコンデンスすること、
そしてスコアを覚えて鼻歌が歌えるようにすること、
この2つが柱だと語られた。
奇しくも、
取り組み方法を長年、暗中模索してきた私が行き着いた方法と同じだった。
指揮者として、すごく自信になる話だった。
いつかまた先生の教えを請いたいと思っていたのだが、
2010年9月1日、先生はお亡くなりになられた。
あまりに突然の知らせだった。
この世で直接の教えを受けることはなくなってしまった。
しかし、「しっかりせい!」と尻を叩かれているような気がする。
いずれは私もあの世にお伺いする日がやって来る。
その時まで、自分にできることをやっていきたいと思う。