鈴鹿、そして、セナ ~その4~2012年10月8日

2012年のF1GPが、日本にやってきた。
10月7日(日)の決勝を目指し、
鈴鹿サーキットはグランプリ・ウィークを迎えた。

10月6日(土)、
小林可夢偉選手は予選4番手につけた。
予選3番手のジェンソン・バトン選手が5グリッド降格のペナルティを受けたため、
決勝では3番グリッドからのスタートである。

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思えば、なぜ私はF1にはまったのだろうか?
それは、大袈裟に言えばF1に人生を見たからである。

1987年、ホンダがエンジン・サプライヤーとして初めて世界一となった年。
ウィリアムズ・ホンダを駆るブラジル人ドライバー、ネルソン・ピケは、
怪我の影響もあり、なかなか優勝できなかった。
確か、年間3勝でワールド・チャンピオンになったと思う。

でも、負けなかった。
崩れなかった。
決して下位に沈むようなことはなく、
こつこつとポイントを重ねていった。
そんな印象が強い。

ネルソン・ピケのそんな生き様は、
私に多大なる影響を与えた。

当時、毎週のようにせせらぎで麻雀をしていた。
F1じゃないんだけれど、
毎週の成績を記録し、
誰が年間チャンピオンを獲得するか争っていた。

F1と麻雀はとても似ていた。
刹那的に勝つだけでは駄目なのである。
調子が悪いときでも、
こつこつと負けない試合を積み上げないと、
年間を通じでの勝利を掴み取ることはできない。

私が年間チャンピオンになることはなかったが…

1988年、マクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナが、
鈴鹿でワールド・チャンピオンになった。
私の目の前で、である。

車の運転をやめてしまった私ではあるが、
今でもF1は私の近くにあると思っている。
ピケやセナの思い出とともに…

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10月7日(日)、決勝。
今年の中継番組は午後9時からの放送だ。
『平清盛』を見たあと、
F1中継に見入る。

小林可夢偉選手は、
ジェンソン・バトン選手の追い上げをかわし、
3位でフィニッシュ!
遂に初めての表彰台に立った!

可夢偉選手と同じザウバー・チームのペレス選手は、
今年既に3度も表彰台に上がっているから、
やっと初表彰台の可夢偉選手は水をあけられている感がある。
しかもペレス選手は、来年、
名門マクラーレン・チームへの移籍が決まっている。

でも、それはそれだ。
とにかく母国グランプリでの表彰台は格別である。
感動した!
久しぶりに泣いた。