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スナック玉江2010年8月6日

とは、色っぽい名前の呑み屋である。
場所は西木屋町の雑居ビルの7階。
経営者はH.U.さんという、はげ茶瓶のマスター。
どうも名前とそぐわない。

もともと、マスターのおばさんの玉江さんという方がスナックを始め、
『スナック玉江』という店名にしたそうだ。
そして今から25年前、H.U.さんがおばさんからこの店を引き継いだと聞いている。

私が初めてこの店を訪れたのは、ちょうどその頃である。
堀川吹奏楽団(せせらぎの旧名)の大先輩、
トロンボーンのT.I.さんに連れられてだった。

まだ二十歳そこそこだったので、先輩方と一緒か、
せせらぎコンサートの打上げ?次会という時にしか行ったことがなかった。
でも、私だけでなく、せせらぎのメンバーにとって、
玉江は安心して呑んで話せる溜り場となっていく。

35歳を過ぎた頃からだと思うが、
呑み歩くのは一人でフラッと行くのが気楽になりはじめた。
玉江でちょいと呑んで帰るというのが多くなった。
特に、勤務シフトが土曜日勤、(日)(月)休みとなってからは、
ほぼ毎週土曜日に玉江で呑むというのがお決まりのコースとなった。

最初はマスターが一人で切り盛りしていらしたが、
ある頃から、もともとお客さんだったM.I.さん(通称マリちゃん)がお手伝いするようになる。
このマスターとマリちゃんには、せせらぎコンサートでもお世話になった。
『美女と野獣』を演奏した際、マスターの渋い声でナレーションを入れてもらった。
マリちゃんには何度も演奏会の司会をしてもらった。

マスターとマリちゃんとは、よく麻雀もした。
パーカッションのK.T.さんと私の4人で、というのが多かったが、
サックスのY.T.さんも入って5人(1人は休憩)という場合もあった。
お店を朝までやって、一眠りされた後、昼過ぎからスタートするのだが、
5人打ちの場合、マスターは夜になっても残って、
マリちゃんが店を開けに行くこともあった。
「ええんかいな?」と思ったものだ。

印象に残っているのは、麻雀そのものよりも、麻雀をした「ある日」のことだ。
それはシドニー五輪の女子マラソンの日、そう、高橋尚子選手優勝の日だ。
レースが行われたのはちょうどマスターもマリちゃんも一眠りしている時間帯。
麻雀を始める前に私がこの話を振ったら、
お二人ともすごくビックリしておられた。
夜の仕事とは、かくも厳しいのだなと感じた。

※※※

勤務シフトが変更されて約2年、玉江に通うペースがぐんと落ちてしまっていた。
そんな中、マスターから手紙を頂いたのは、
今年の演奏会の2日前の7月2日だった。
遂にその日が来たか、という予感があった。
開封すると、7月31日をもって閉店するとあった…

演奏会の打上げの後、寄らしてもらおうかと思っていたが、やめた。
一人静かに訪ねたかったからだ。
山鉾巡行も終わった7月19日、海の日に伺った。
マスターとマリちゃんと私の3人で静かに呑ませていただいた。

そして閉店一日前の7月30日(金)、練習後にもう一度行った。
大混雑である。
常連さんの中に混じってチビチビ呑っていたら、
せせらぎOBとなられたパーカッションのK.T.さんとサックスのY.T.さんが来られた。
共に酌み交わすのは何年ぶりだろうか?
いずれにせよ、玉江が引き合わせてくれたことは確かだ。
長年、心の中にあったわだかまりが氷解していくように感じた。

玉江さん、ありがとう。
マスター、マリちゃん、また麻雀しましょう。

オーボエ奏者のひとりごと2010年7月29日

サックスの山下君とオーボエの濱下さんが結婚されたのが今年の4月。
5月には披露パーティーも開かれ、晴れて山下夫妻となられました。
本当はすぐにでも新婚旅行に出掛けたかったでしょうが、
せせらぎコンサートが終わるまで待ってくれたのです。
今回の「ひとりごと」は番外編です。
その新婚旅行の話が面白かったので、ご夫人に原稿を依頼しました。
「かもめ食堂」の話ではありませんが、興味が尽きません。
では、瞳ちゃん、よろしくお願いします。

* * *

こんにちは、オーボエの山下です。

せせらぎコンサートが終わった次の週から、サックスの山下氏と、新婚旅行に行ってきました。
シベリウスとムーミンの故郷・フィンランドから、船や列車を乗り継いで北欧の国々をまわり、
ドイツ・ベルリンへと至る10日間の旅。
レンタカーを借りて運転すれば、左車線へ突っ込んで行きそうになり
(穏やかなフィンランド人も、さすがのクラクションの嵐)
記録的猛暑が続くベルリンでは、2人して熱中症にやられてホテルから動けなくなったりと
まさに珍道中の連続でしたが、
その中でも、スウェーデンの街で出会ったある楽隊の人々の話をしたところ
木村さんから「指揮者のひとりごとでぜひ!」とのご指名をいただきましたので、
少し長くなりますが、どうぞお付き合いください。

* * *

今回の旅は、よくばりな日程のために本当に移動が多くて、
スウェーデンの首都・ストックホルム市内を散策できる時間は、わずか4時間でした。
限られた4時間の中で、絶対に見たいね!と2人の意見が一致したのは
スウェーデン王宮の前の広場で毎日12時15分から行われる、衛兵交代式です。

実はつい先日、スウェーデンの王太子であるヴィクトリア王女が
専属ジムトレーナーである男性と長年の愛を実らせて結婚式をしたばかりということもあり
王宮は2人への祝福ムードでいっぱいでした。
(同じ年に結婚したということで、私たち夫婦もぜひ幸せにあやかりたいものです。)

さてこの衛兵交代式、間近で勇壮な兵隊さんのパレードが見られるということで
観光客に大人気のイベントです。
開始直前ともなれば、人・人・人で大混雑(み、みえない~~)。
そんな中、遠くからマーチングバンドの軽やかな音が近づいてきます。

北欧の夏の日差しは暴力的なほどにまっすぐで強く、
吹きわたる風は軽くさわやかなのに、肌はやけるように熱いのです。
そんな王宮広場の中で、
兵隊さんたちの毎日の儀式が、一糸乱れぬ整然をもって繰り広げられます。
(前に陣取る日本人のおばちゃんのカメラが大きくて、あまりみえませんが。)
スウェーデンの衛兵たちはこうやって、毎日12時間ごとに王宮の警備を交代するのです。
その気の遠くなるような繰り返しの毎日に、思いを馳せてみます。
伝統というのはこうやって紡がれていくんだ、と(あまりみえませんが)思います。

衛兵交代式

厳粛な儀式が終わったと思ったら、広場の真ん中の方から軽快なマーチが聞こえてきます。
どうやら、楽隊が観光客向けにコンサートをやっているようです。
思いもよらぬ、楽隊からのプレゼント。
「やった!」私たちは顔を見合わせて、楽隊のまん前の、ベストポジションへと走ります。

コンサートはマーチだけでなく、ポップスやサルサなど
世界中誰でも知っているような楽しい曲が何曲も続き、
サックスやトランペットのソロまで登場します。
そして、よくよく見てみると、なんとオーボエ奏者も1人いるではありませんか。
この高い太陽と乾燥の中でよくもまあ、と、同業の身としてはこの青年兵士に同情を禁じ得ません。
楽器は割れないのだろうか、リードは大丈夫かと、そんなことばかりが気になりますが、
しかしそんなコンディションは感じさせない、本当に軽やかで素敵な演奏です。

束の間のコンサートも終わり、タクトを振った指揮者はドラムメジャーと交代し、
楽隊は再び隊列を組んで、広場を去っていきます。
にぎやかなマーチの音は、王宮の石壁に跳ね返りながら次第に小さくなっていきます。
広場の凛とした空気がふっと和らぎ、次の瞬間には、そこはもう普段着の広場です。

* * *

初めて見る外国の兵隊達と、楽隊の演奏の素晴らしさに私たちはすっかり感動してしまい
「すごかったねー」「すごかったねー」を連発しながら広場の裏へと歩いていきます。

すると、なんとそこにはMarineと書かれた海軍の大きなバスがあり、
さっきの楽隊のメンバーが帰る準備をしているではありませんか。
観光客が次々に近づいて、一緒に写真を撮ってもらっています。
気がつけば私もぱっと走り出して、ピッコロを持った女の隊員さんのところへ駆け寄ります。

「あの、ピッコロ吹きの方ですよね!あなたのピッコロすごく良かったです!」
「あらありがとう、あなたもピッコロ吹きなの?」
「いえ、私はオーボエ吹きなんです、ブラスバンドで吹いてます」

私が満面の笑みでこう答えたところ、彼女はものすごくびっくりします。
(ここから、私のつたない英語が原因で、会話のすれ違いが始まります。)

「えええっ!!??ブラスバンドでオーボエ!? あなたどこから来たの?」
「日本から来ました」
「日本から! 日本ではブラスバンドにオーボエがいるの?」

あれ、スウェーデンではブラスバンドにオーボエはいないのかな。
でも、さっきあなたの楽隊にオーボエの人いましたよね。あれ?
…何はともあれ、日本人オーボエ吹きが通りすがるのはきっと珍しいんだろうなあ。

「はい、日本ではブラスバンドにオーボエがいますよ、たいてい1~2本(自信満々)」
「へえ!! ブラスバンドにオーボエがいてちゃんと聞こえるの?」
「いやまあ、ソロもありますし」
「まあ確かにソロがあればねぇ…」

そこへ、件のオーボエ吹きの青年が通りかかります。

「ちょっとちょっと!(呼び止める)
彼女は日本のブラスバンドでオーボエ吹いてるんだって」
「ええっ!? ブラスバンドで吹いてるの? 本当に!? すごいね!!」
「え、あ、はい(??あなたも吹いてますよね??)」
「ね?すごいわよね~。きっと日本ではオーボエがすっごく人気があるんだわ~~」
「えっと、そうですね、まあそれなりには…(??)」

…ここを読んでおられる皆様なら、このすれ違いの原因はもうお分かりですよね。

ここまでのやり取りを聞いていた夫が、急に口を開いて説明を始めました。

「あの、日本ではwind orchestraのことをbrass bandと呼ぶ習慣があるんです。
彼女がさっきからブラスバンドと言っているのは、ウィンドオーケストラのことです」

そうでした。
日本では、木管楽器も金管楽器も一緒に演奏する、いわゆる「吹奏楽」のことを
「ブラスバンド」と呼びますが、
英語でブラスバンドと言えば、それは金管バンドのことを指すのです。
さっきから私は、金管バンドの中で(木管楽器である)オーボエを吹いてます!
ニホンじゃアタリマエ!と自信満々に言っていたわけです。
そりゃあ話も噛み合わないわけです。恥ずかしい。。

あちらもすぐに事情を理解してくれて
「あー、ウィンドオーケストラでオーボエを吹いているのね、それなら分かったわ」
と一件落着です。ほっ。

ここまでの会話がきっかけになって、オーボエ青年ともどんどん話がはずみます。

「すごく暑いですけど、楽器は木製なんですか?」
「そうだよ、一応木製なんだけど、このコンディションだから、あっちもこっちも、
いろいろガタが来ていて大変なんだよね…(ぶつぶつ)」
「リードはどうしてるんですか?」
「自分で作っているよ、すごく大変だけど…ほらグロタンのチューブ」
「ほんとだー!」
「日本ではどんな曲を演奏するの?」
「うーん、アルフレッド・リードとか」
「あーーいいねえーー!じゃあ、日本人の作ったマーチで好きな曲は?」

……
………

彼はスウェーデン人、私は日本人、お互いに母語ではない英語でのつたない会話ですが
同じ趣味を持っていると、本当に、話は尽きないものです。
後ろで待っている海軍バスが、もう待ちきれないといったふうでクラクションを鳴らしたので、
最後に一緒に写真を撮ってもらって、私たちは別れました。

スウェーデンで過ごした時間はたったの4時間でしたが、
こんな素敵な出会いもあって、本当にいい思い出です。
またいつか、このオーボエ青年に会いにスウェーデンに行きたいなあと、次の夢もできました。
というわけで、長文にお付き合いいただきありがとうございました。
皆様も、「ブラスバンド」にはご用心を…

ゲリラ豪雨2010年7月21日

7/16(金)、祇園祭の宵山。
…とは関係なく、仕事が立て込んで練習に遅れてしまった。

演奏会直前の金曜日はこうなることを恐れて予め年休を取得しておいた。
が、演奏会後はそうもいかない。
結局、多くの人がこういう状況に追い込まれて参加率が下がってしまうのだろう。
みんな、どこかで無理をしている。
でも、音楽の魔力に引き寄せられて、また何とかして戻ってくるのだろう。

7/16(金)、祇園祭の宵山。
…というと、恒例の夕立。
今年も降ったらしい。

7/17(土)、近畿では梅雨が明けたらしいとの発表があったが、
今週のゲリラ豪雨は酷かった。
各地で多くの死者や行方不明者が出ている。
心が痛む。

ある夜、音だけで恐くなる程の大雨で目が覚めた。
あとで調べたところ、1時間に9ミリだった。
「あれで9ミリ?じゃあ、大雨と言われる30ミリって、その3倍なの!
時々1時間に100ミリを超えたって報道があるけど、どんなんや!」
本当に恐ろしい。

7/14(水)の朝、出勤しようとしたら大雨が降ってきた。
収まりそうもないので、完全防水のスノー・シューズ(もちろん冬用)を履いて出掛けた。
上からの水圧で、傘がすぼんでしまうんじゃないかと思われる程の大雨だった。
地下鉄の駅に着くまでの10分間でビショ濡れになってしまった。
かばんの中の文庫本もやられてしまった。
スコアを持ち歩いていなかったで助かった。

この日の夜は京都在住の会社の先輩と、大阪から京都に帰ってきて呑む約束になっていた。
鴨川のすぐ近くに住んでおられ、決壊するんじゃないかと気が気じゃなかったと話しておられた。

先輩と別れたあと、歩いて家に向かっていた。
さすがにもう降らないだろうと思っていたら、ポツポツポツ…
アッという間にまたも豪雨!
またもや傘が壊れてしまいそうになった。
結局、濡れなかったのは靴の中だけという有様だった。

マエストロの想い出2010年7月13日

高校1年生の時、大将軍の府立体育館に吹奏楽のリレー・コンサートを聴きに行った。
もう30年以上も前のことである。
いろんな中学や高校の吹奏楽部が入れ替わり立ち替わり演奏を繰り広げていく。
取りは自衛隊の音楽隊。
陸上か海上か航空かも、どこの駐屯地かも覚えていない。

その演目のひとつが『クラウン・インペリアル』だったのは鮮明に記憶している。
一緒に聴きに行っていた1期上のY谷先輩は、
「こんなもっさい曲、演奏しやがって…」と、
最初から最後までぶつくさ言っていた。
Y谷先輩にとって、一体何が気に入らないのか全く分からないが、
私は初めて聴く曲で、とても魅力的だと思って聴き入っていた。

後で調べたところによると、
1937年にウェストミンスター寺院で行われたジョージ6世の戴冠式のために作曲されたもの。
なるほど、よく響く教会と体育館。
共通点があった訳ですな。
楽曲の魅力、よく響く環境…どうりで印象に深く残った訳です。

“マエストロ”フレデリック・フェネル指揮の
イースマン・ウインド・アンサンブルと東京佼成ウインドオーケストラのCDも聴きまくりました。
今回、練習曲として選曲したのはイーストマンの方をたまたま聴いたのがきっかけですが、
TKWOの演奏の方が円熟味があって私にはより魅力的です。

マエストロ&TKWOの日本での最後の演奏は、
2001年10月19日、
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホールで、でした。
私はここで生の『クラウン・インペリアル』を聴いたと思い込んでいましたが、
プログラムに載っていません。
実際には、そのひとつ前、2000年4月20日、
東京文化会館大ホールで聴いたのでした。
プログラムにちゃんと載っているだけでなく、
この演奏会はDVDで販売されているのです。
(何と、客席にいる私が映っています)

クリフトン・ウィリアムズの『交響的組曲』や
ストラヴィンスキーの『バレエ組曲「火の鳥」』もプログラムされており、
天下の名演奏と語り継がれている凄いコンサートです。
『火の鳥』をやったあと、演奏会の取りが『クラウン・インペリアル』。
マエストロがしれっと振ったらメゾフォルテで、
ちょこっと高いところで振ったらすんごいフォルテシモで応えるTKWO。
がしっと堅く座っているのではなく、音楽を感じて「踊る大TKWO」。
もう、楽しくて楽しくて仕方なかったのをよく覚えています。

マエストロが他界して、早6年。
私は決してあなたのことを忘れません。

タタッタター2010年7月8日

演奏会前最後の日曜練習を終えた翌6/28(月)。
さてさて、演奏会明けの練習曲をどうしようかと思いながら昼寝していた、CDをかけながら。
ラックに並んでいる順番にかけているので、昼寝用の選曲ではない。
“マエストロ”フレデリック・フェネル指揮、イーストマン・ウインド・アンサンブルの
16枚シリーズ中の2枚目。
この時の順番が、たまたまこれだっただけのことだ。

1曲目はゴードン・ジェイコブの組曲『ウィリアム・バード』。
そうそう、演奏会後の練習曲言うたら、こういうベーシックな線やねんな。
ホルストの『第1組曲』『第2組曲』、ヴォーン=ウィリアムズの『イギリス民謡組曲』とか。
俺って、どうもそういう発想しかないねんな…

ウトウトしてたら、アルバム最後の曲が「タタッタター」と始まった。
「これや!」私は急に閃いたのだった。
演奏会終わった、次の演奏予定がない、そやから基礎固めや、お休みや、、、違うて!
本番予定がないからこそ、本番用に選曲されへんようなデカブツに取り組んだらええんやんか!

演奏会で採り上げる大曲の選曲には慎重さが重要。
何せ、その演奏会の成否を左右するからである。
演奏自体も、どうしても硬くなりがち。

しかし、本番予定がなければ気楽に取り組める。
やってみたら、もしかするとそのまま演奏会にプログラムされるかもしれない。
あるいは、数年後の候補曲としてインプットされるかも。
はたまた、「こりゃ、本番では無理だわ…」という寂しい結果も。
いずれにせよ、やってみるのは面白そうだ。

「タタッタター」を楽譜リストから探すと…やっぱりない。
こうなりゃ思いきって購入じゃい、という訳でJEUGIAに電話。
1週間で取り寄せ可能ということで、勢いで注文してしまったその曲とは、
ウィリアム・ウォルトン作曲『戴冠式行進曲「王冠(クラウン・インペリアル)」』である。

1937年の作品だから、古典と呼んで差し支えなかろう。
その気高く美しいメロディに、高校1年の頃から虜になってしまっている。
今から10年前にも素晴らしい演奏と出会っているのだが、長くなるので、
それらの想い出はまた次回にしたいと思う。

練習曲、2曲はやりたいなということで、
せせらぎコンサート実行委員会で何度も候補に上がりながらボツりまくっている、
フィリップ・スパーク作曲『ダンス・ムーブメント』も採り上げることにした。
この楽譜はあるということだ!
うちって、どんな楽団なん!?

監督だって、楽しんじゃおっと2010年7月6日

バレーボールの監督って、結構目立ちますよね。
選手がプレーしているコートのすぐ近くで燃えてはりますしね。
でも、あくまでもコートの外。

アルゼンチン代表のマラドーナ監督、目立ってましたねぇ~。
すごく喜怒哀楽をはっきり表現しはりますし。
それでも、ピッチの外。

演劇の世界では、かなり厳しく稽古をつける方が有名ですよね。
でも、本番中は舞台袖で見つめるしかない。

北野武監督が、自身の映画に出演されるケース、多いですね。
ヒッチコック監督がちょこっと自作に顔を出すというのも有名です。
が、監督の立場では映っていませんよね。

世の中にはいろんな監督業がありますが、
オーケストラの指揮者って、特殊だと思いませんか?
本番中のプレイヤーと同じフィールドに立って、
しかもプレイヤーより目立つ場所にいるでしょ。
他にないのでは?

そんな指揮者をやってるせいか、それとも性格なのか、
どうも一人で背負ってしまうきらいがあります。
背中でお客さんに対する責任を一身に受け止めているのだと。

それが間違いだとは思いませんが、
あまり真面目に考え過ぎるのもどうか、と。
第一、プレイヤー諸氏と同じフィールドにいるからと言って、
指揮者は音を出す訳じゃないんだから。
本番中は、「頑張ろうぜ」と念を送るしかないんだし、
たまたま居場所がステージのど真ん中というだけなんですよ。

よ~し、もう開き直って俺も楽しんじゃえ、
と思ったら、
本当に楽しめました。

第23回せせらぎコンサートに来場いただいた皆さま、
楽しんでいただけましたでしょうか。
指揮者は無責任にも、ひたすら楽しませていただきました。
せせらぎプレイヤーズも楽しく演奏していました。
伝わっていればとても嬉しく思います。
次回も一緒に楽しみましょう。

本番1週間前2010年6月29日

昨年、第22回せせらぎコンサートを目指しての合奏練習は、
毎回毎回通すことをメインにやりました。
流れの中でのペース配分や、
失敗しても引きずらないで前に進んでいくことを、
奏者自身に考えてもらう、感じ取ってもらうことができるのではないか。
そんな思いで取り組みました。

サッカーに例えたら「流れの中からの得点を目指す」ということでしょうか。

この本番を想定した練習法、それなりに成果をあげたと思います。
その反面、細部を詰め切れずに終わったのも事実だったと思います。

今回、第23回せせらぎコンサートを目指すにあたって、
4月末まではやっぱり通すことに主眼を置きましたが、
それ以降は思いきって通し練習をやめ、
小返しばかりで進めました。

サッカーに例えると「セット・プレーでの得点を目指す」といったところでしょうか。

本当は、まず通したいのです。
その方がプレイヤーの皆さんが雰囲気を思い出せるし、
何より演奏に熱が入ります。
いきなり小返しすると、
暖まってきたかな、と思ったらすぐ止まってクール・ダウンしてしまうし、
フラストレーションもたまるでしょう。

しかし、今年はもっと丁寧にいきたいと思いました。
曲の雰囲気は4月までの通し練習で掴んでいる筈だから、
通しにかける時間を小返しに充てて精度を上げたい、と。

5~6月はほとんど通すことがないまま、
遂に本番1週間前の6/27(日)を迎えました。
午前中は小返しで稽古を積み、
本番通りに午後2時から全曲ぶっ通しに取り組みました。
果たして、全体として通るかどうかもさることながら、
そもそも一曲一曲が通るかどうかが未知数。
何せ、しばらくやってないんですから。

で、やってみての私の感想、
「なかなかええ感じやったやん」

毎週金曜日の合奏で、
プレイヤーひとりひとりにもう少し楽しんでもらえる要素も取り入れつつ、
やっぱり本番を目指して丁寧に作り込んでいくことは大切ですな。

さて、次の合奏は7/2(金)。
本番前ラストの合奏です。
本番当日の午前中は第2部中心のゲネプロとなり、
第1部は全く音出しできないまま本番を迎える可能性があります。
だから7/2は第1部を中心にした合奏です。

そして7/4(日)。
今年はどんな演奏をお届けすることができるでしょうか。
『孤高のメス』で堤真一さんが演じる外科医のように、
私は最後まで諦めない演奏をやり抜きたいと願っています。
(→そやから、そんなかっこええ男と比肩すんのはやめなさい!)

済みません、いつもいつも脱線ばっかりで。
とにかく精一杯取り組みます。
私たち吹奏楽団せせらぎを、どうぞよろしくお願いいたします。

(次回の「ひとりごと」は演奏会終了後とさせていただきます)

夏風邪2010年6月22日

大雨となった6/18(金)の練習。
久々に体がだるく、重かった。
2~3年ぶりに風邪をひいてしまったのだ。

いや、普段から風邪はひいていると思う。
きっと、冬場のインフルエンザ・ウイルスにも侵入を許していると思う。
「なんかちょいと、体調おかしいな」と思うことはよくある。
けれども、明らかに風邪、という症状にはならない。
毎日のアルコール消毒が効いているおかげだ(?)

まあ、それはさておき、子供の頃から普段の体温が低めで、冷え性だった。
冬なんか指先が冷たくて冷たくて仕方なかった。
風邪をひくこともしょっちゅうだった。

が、ここ数年で、平熱が上がってきたように思う。
たばこをやめて、血の巡りが良くなったのだろうか。
ウイルスが体内に入ってきても、すぐやっつけてくれている感じだ。

今回、久しぶりに発症したのだが、原因はハッキリしている。
体を冷やしてしまったからだ。

梅雨入り前のある日、夜勤前に昼寝しておこうと思った。
30度はないが、気温は高めで、吹き抜ける風が心地よい昼下がり。
窓を開けっぱなしにして横になった。
とても気持ち良かった。
が、だんだん寒くなってきた。
でも、眠気に勝てず、寒いな、冷えるな、と思いつつ2時間ほど寝てしまった。
そもそも、乾燥注意報が出ているくらいで、喉に違和感を覚えている時だった。
この昼寝が引き金で、発症してしまったようだ。

体調管理の難しい梅雨だ。
蒸し暑いから、ついつい冷やしたくなる。
ところが、梅雨寒って言葉もあるくらいで、急にひんやりした日もあったりする。
プレイヤーの皆さん、本番近いですから、特に気をつけましょうね。
私も早く治します。

演奏会で、お昼寝2010年6月15日

歩くことの効用、実はいろいろあるんです。

まず、歩くこと、そのもの。
とにかく歩くことは気持ちいいです。

次に、無意識に何かを思いつくこと。
歩いていると、ふと、「あっ、次の合奏、こういうことに注意してみよう」
といったことを思いつくことがあります。
すぐに忘れるので、紙と鉛筆をポケットに入れておくことが重要。

逆に、意識的に鼻歌を歌いながら歩くこと。
人通りが多いなら、頭の中だけで歌えば恥ずかしくありません。
演奏のシミュレーションも大概歩きながらやってしまいます。

また、素敵なお店と出会うことがあります。
そのいくつかには飛び込みます。
そのうち、気に入ったお店には何度か足を運びます。
いつの間にやら常連さんの列に加えていただくことと相成ります。

ここ数年で開拓した店のほとんどが、自分の足で稼いだ結果です。
雑誌や本で紹介された店というのはわずかです。
(自ら開拓したんだけど、あとでLeafを読んだら載っていた、
というケースは多々ありますが…)

そんな素敵なお店たちの数軒には、
せせらぎコンサートのチラシを置いていただくことができました。
歩き=宣伝活動にまで繋がるとは、自分でもビックリです。

さて、そんなお店の中に、
たった一人で何から何まで切り盛りしてはる店があります。
なので、料理を出してもらうまで30分以上待つなんてこともあります。
あんまり忙しそうなので、空いたお皿をさげることやテーブル拭きなどは、
ついつい手伝ってしまいます。

日曜定休にしてはるので、
「日曜昼下がりに一週間の疲れを癒しましょう!
昼寝がてら聴きに来てくれませんか」
と、厚かましくお誘いしました。
快諾していただくと同時に、
店頭にもチラシをいくつか置いてくださいました。

いつも忙しくしてはるから、
つい「昼寝がてら」という誘い文句を発しましたが、
これ、結構、重要なことだと、あとで思い至りました。

というのは、「眠くなるほどいい演奏」ということも言われるからです。

私が勝手に私淑するマエストロ、
フレデリック・フェネルさんが指揮された東京佼成ウィンドオーケストラ。
出張に絡めて東京までしばしば聴きに行ったもんです。
そりゃもう、至福のひとときを味わう訳ですな。
さらに、ということで休憩時間にビールを頂戴する訳ですな。
あまりの気持ちよさに、ついウトウトしちゃう訳ですな。

何しとんねん!というところですが、
フェネルさんとT0KWOの生演奏があんまりにも素晴らしいから、
お昼寝へと至る訳です。
お昼寝したって、ちゃんと聴いているんですよ、全身全霊を傾けて。
(→ホンマかい!)

比肩するのはおこがましいのを重々承知で、
お昼寝できる演奏を目指したいものだと思いました。

しかし、いびきはいけませんぞ!演奏会場や劇場では。

歩こう、歩こう~その22010年6月10日

6/6(日)朝~夕方、右京ふれあい文化会館での練習でした。
打楽器の皆さん、早朝から沢山の楽器運搬&セッティング、お疲れ様です。
にもかかわらず、夜勤明けで朝イチに着くことができず、済みません。
仕事終わり速攻で阪急梅田から特急に飛び乗り、
桂で準急に乗り換え、
次の西京極で降り、
タクシーで会館に着いたのは11時前でした。
折り畳み式ではなく、スコアが載る大きさの譜面台を抱えているので、
きっといろんな人に怪しい奴と思われていることでしょう。
(重たいですが、楽器ケースのほうが一般の方から見れば自然な姿でしょうな)

この日はプレイヤーの皆さん41人に集合いただきました。
エキストラでお願いしている方を合わせると42人。
私を含めると43人。
せせらぎキッズを含めると…
ありゃ、以外とキッズが少ないな、こりゃまた珍しい。
指揮者見習いの小林和真くんもお休みか、ちと寂しいな…

私の到着までに、実行委員長・近藤君自ら指揮してくれた2曲を含め、
全曲を合奏することができました。
ただし、この日は、数曲を除いて通していません。
細部を詰めておかないと勢いだけの演奏になる恐れを感じていたので、
小返しばっかりで進めさせていただきました。
(通してペース配分を掴みたい方には申し訳ござらぬ)

今年も打楽器パートへの負担が大きく、
曲の途中でかなり走り回ってもらわないとやり繰りつかない曲もあります。
例年だと、ヒナ段の最上段にティンパニ等の太鼓類を載せ、
下手側平地に鍵盤を配置するのですが、
とても無理なので今年は全打楽器を下手側平地に集め、
移動を容易にしてもらうことになりました。

今回の打楽器パートは5人出演してもらうのですが、
この日は仕事で来れない勝己君を除く4人の参加です。
勝己君は普段の金曜日には大概来れています。
逆に他の4人は平日の参加がなかなか厳しい状況が続いていました。

つい先日、夥しい打楽器群を5人でどうやり繰りするかの相談ができたばっかり。
この日はそれを試す機会と相成りました。
私はいつにも増してスコアを睨みっぱなしでした。
(cueが欲しいと思っておられた管楽器の方々にはごめんなさいね)
(でも考えてみたら、自分の出番は自分で責任持つの、当たり前ですわな)
(まあまあ、本番はちゃんと振りますさかい、ご心配なく)

それにしてもWood BlockとGuiroを同時演奏する野村さんやら、
Sus.Cym.のロールとMarimbaのグリッサンドを同時にこなす富永さんやら、
ChimesをレットリングさせてすぐにTam-tamをグワーンとやる朋ちゃんやら、
あんたら超人やな!
でもこれでは朋ちゃんがあまりに忙し過ぎるので、
助けに入ってくれることになった一幸さん、おおきに!

こんだけ頑張ってもらっても、なお人手が足りないので、
フルート・パートから安部さんに助っ人に来てもらって、
『龍馬伝』のChimesを演奏してもらうことになりました。
ホント急な話で、ごめんなさいね、そしてアリガトね。

こんだけ頑張ってもらっても、なお人手が足りないパート、
遂に諦めざるを得ないと判断しました。
もう、これ以上は無理しないで、今の動きを成熟させましょうな。

この日の合奏で嬉しかったのは、
『はぐれ刑事』の旋律をオーボエでプレイする中西さんから、
「どういう気持ちを入れて演奏したらいいの?」
と質問されたことです。
そやねんな、ホンマはそういう内面をどうしようかいな、
と相談しながら音造りしていきたいねんな。
所作を整えることに気がいきがちやけど、
やっぱり中身やねんな。
あぁ、ええ質問やった。

珍しく合奏の感想に力を入れて書きました。
自分でも意外!
『歩こう、歩こう~その2』は…
はい、ここからですねん。
(→えらい長いなぁ。もっと短くならへんのかい!)

帰路、天神川通りを歩いていると、
「乗って行きますぅ~」と、サヤちゃんとアサちゃんに声を掛けられました。
(→なかなか素敵な車やんかいな)
「アリガトな。でも地下鉄の太秦天神川駅、すぐそこやさかい」
言うて、ご辞退させていただきました。

つい、そんな風に口走ってしまいましたが、実は、
御池通が三条通に合流する嵐電天神川から、蚕ノ社、太秦広隆寺と歩き、
太秦広隆寺~帷子ノ辻の「大映通り商店街」を歩きに行ったのでした。

松竹と立命館大学が協力して作り上げた映画『京都太秦物語』の舞台が「大映通り商店街」。
他にも出町柳とか高島屋とか車折神社とかも舞台となるんですが、
全く行ったことのないこの商店街を、ぶらっとしてみたかったのです。
ちょうど右京ふれあい文化会館から近いし。

しかし、歩いてみて気付きました。
中学時代に来たことがあります。
いや、しょっちゅう来ていました。
太秦中学校や蜂ヶ岡中学校は、吹奏楽の合同練習の会場としてよく使われたからです。

それにしても太秦中学校は大映撮影所の跡地に建っていたとは…
これは初めて知りました。
いやはや、感慨深いものがあります。
ちなみに、松竹の京都撮影所は帷子ノ辻のすぐ近くにあるんですね、
現役スタジオとして。
これも初めて知りました。
三条通をちょこっと入っただけの所なのに、全く分からないもんですな。

帷子ノ辻から北野白梅町まで嵐電に乗り、
衣笠~西陣~出町とまた歩いて帰りました。
17141歩でした。
いや~、歩いた歩いた。